今日は暑い一日でした。風は爽やかなのですが、建物の中は風通しが悪くてどんより暑く、夏らしい風情が出てきました。
そろそろ本州では梅雨明け間近でしょうか。
【夜のモエレ沼公園】
大学の先生に招かれて何人かの知人達と夜のモエレ沼公園で食事。日没の姿がすごくきれいで明日は晴れの予感。
モエレ沼公園は半年ぶりなので、顔なじみの園長さんに挨拶に行こうとしたら「その園長さんは先月お亡くなりになりました」という衝撃の事実を知りました。
前園長はモエレ沼公園の実現に力を尽くされた方で、まだ定年前の若さでした。しかし「実はもう長く闘病生活だったようですよ」と教えてくれる方もいて、このモエレ沼プロジェクトは文字通りのライフワークであり、命と引き替えにしたイサム・ノグチの作品なのですね。
お葬式にはニューヨークからも追悼文が届いたとか。ちょっとショックな話題でしたが、故人のご冥福をお祈りする限りです。
モエレ沼公園が話題になればきっと前園長さんを思い出す事でしょう。合掌。
* * * *
今日の会合には、札幌市内で今おそらく最も有名なフランス料理店の「M」のオーナーシェフであるNさんが参加されていて、初めてお会いする事が出来ました。
Nさんは表情は明るく笑顔を絶やさないのですが、ある瞬間眼光が鋭く、料理の職人、という感じがびんびん伝わりました。
話がついつい料理の事に及び、厨房の中の様子などをうかがうと、「厨房の中にいると、目が一点を見ていないんですよ。視野全体をぼわーっと見ている感じで、おまけに目が後ろにもあるという感じがしています」とのこと。
「目が後ろにあるという感じってどういうことですか?」
「それは、目には見えていない事も分かるということですよ。例えば、オーブンの中に入れた料理なんかが、『今だ!今開けて!』というのが分かるんです。後ろで誰が何をしているのかもわかる。厨房の中ってそんな感じですよ」
「料理って動きがパターン化されてくるんですか」
「そうですね。同じ厨房で料理を何年もしていると、柔らかい床だったら同じ立ち位置が掘れてきたりしますよね」
「すごいですね。料理の動作ってどれくらいが基準になるのですか」
「普通の料理人で10秒くらいが一つの動作でしょうか。一秒って案外長いものですよ。僕は5秒くらいで次、次って動いてしまいますけど」
Nさんは最近、料理人学会という運動に共鳴して活動に参加しているとか。
「料理人って、狭い世界の中にいるので対外的なコミュニケーションを取る機会が少ないんですよ。シェフになれればお客さんと『今日の料理はどうだった』といった会話をする事もあるのですが、もっと会った事のないような外の人と話をする機会が必要だと思ったんです」ともうその存在は社会的な重みが加わっています。
「最近湯布院の皆さん達とお話をする機会が何回かあって、遊びにも行ったりしたんです。そうしたらあるところでお婆さんが小さな足袋を縫っているのに出くわしました。あまりに小さいのでてっきりお孫さんのために縫っているんだろうと思ってそう話しかけると、お婆さんは笑って『これは私が長年履いた足袋なんですけど、古くなってもう今日で捨てようと思いましたので、最後にこうしてお礼をこめて縫っているんです』というお話だったんです。いろいろな人に会うとそういういい話に出会いますよね」
それを聞いた今日のホストである大学の先生が「『おしまい』は『終わり』じゃあないんだよね。『仕舞い』に丁寧語の『お』をつけているでしょ。日本人はそれだけの感性をもって物事を見ていたし、そう振る舞っていたんですよね」
そうそう、このモエレ沼公園のレストランもNさんのプロデュースなのでした。
食事を終えた後の夜のモエレ沼公園には爽やかな風が吹いていました。
そろそろ本州では梅雨明け間近でしょうか。
【夜のモエレ沼公園】
大学の先生に招かれて何人かの知人達と夜のモエレ沼公園で食事。日没の姿がすごくきれいで明日は晴れの予感。
モエレ沼公園は半年ぶりなので、顔なじみの園長さんに挨拶に行こうとしたら「その園長さんは先月お亡くなりになりました」という衝撃の事実を知りました。
前園長はモエレ沼公園の実現に力を尽くされた方で、まだ定年前の若さでした。しかし「実はもう長く闘病生活だったようですよ」と教えてくれる方もいて、このモエレ沼プロジェクトは文字通りのライフワークであり、命と引き替えにしたイサム・ノグチの作品なのですね。
お葬式にはニューヨークからも追悼文が届いたとか。ちょっとショックな話題でしたが、故人のご冥福をお祈りする限りです。
モエレ沼公園が話題になればきっと前園長さんを思い出す事でしょう。合掌。
* * * *
今日の会合には、札幌市内で今おそらく最も有名なフランス料理店の「M」のオーナーシェフであるNさんが参加されていて、初めてお会いする事が出来ました。
Nさんは表情は明るく笑顔を絶やさないのですが、ある瞬間眼光が鋭く、料理の職人、という感じがびんびん伝わりました。
話がついつい料理の事に及び、厨房の中の様子などをうかがうと、「厨房の中にいると、目が一点を見ていないんですよ。視野全体をぼわーっと見ている感じで、おまけに目が後ろにもあるという感じがしています」とのこと。
「目が後ろにあるという感じってどういうことですか?」
「それは、目には見えていない事も分かるということですよ。例えば、オーブンの中に入れた料理なんかが、『今だ!今開けて!』というのが分かるんです。後ろで誰が何をしているのかもわかる。厨房の中ってそんな感じですよ」
「料理って動きがパターン化されてくるんですか」
「そうですね。同じ厨房で料理を何年もしていると、柔らかい床だったら同じ立ち位置が掘れてきたりしますよね」
「すごいですね。料理の動作ってどれくらいが基準になるのですか」
「普通の料理人で10秒くらいが一つの動作でしょうか。一秒って案外長いものですよ。僕は5秒くらいで次、次って動いてしまいますけど」
Nさんは最近、料理人学会という運動に共鳴して活動に参加しているとか。
「料理人って、狭い世界の中にいるので対外的なコミュニケーションを取る機会が少ないんですよ。シェフになれればお客さんと『今日の料理はどうだった』といった会話をする事もあるのですが、もっと会った事のないような外の人と話をする機会が必要だと思ったんです」ともうその存在は社会的な重みが加わっています。
「最近湯布院の皆さん達とお話をする機会が何回かあって、遊びにも行ったりしたんです。そうしたらあるところでお婆さんが小さな足袋を縫っているのに出くわしました。あまりに小さいのでてっきりお孫さんのために縫っているんだろうと思ってそう話しかけると、お婆さんは笑って『これは私が長年履いた足袋なんですけど、古くなってもう今日で捨てようと思いましたので、最後にこうしてお礼をこめて縫っているんです』というお話だったんです。いろいろな人に会うとそういういい話に出会いますよね」
それを聞いた今日のホストである大学の先生が「『おしまい』は『終わり』じゃあないんだよね。『仕舞い』に丁寧語の『お』をつけているでしょ。日本人はそれだけの感性をもって物事を見ていたし、そう振る舞っていたんですよね」
そうそう、このモエレ沼公園のレストランもNさんのプロデュースなのでした。
食事を終えた後の夜のモエレ沼公園には爽やかな風が吹いていました。