入会している、二宮尊徳由来の報徳を学ぶ「大日本報徳社」から今月の会報が届きました。
表紙の写真は懐かしい元静岡県知事の石川嘉延さんの写真で、巻頭インタビュー記事も大日本報徳社の鷲山社長と石川元知事との対談でした。
私は掛川に2002~2004年度の3年間在籍して当時の榛村純一市長に使えましたが、静岡県庁に向かうことも多くありました。
石川知事は台湾生まれですが、その後合併前の大東町(現掛川市)に住まわれて、卒業した高校も掛川西高校とあって、県庁では何度となくお話をさせて頂き、「榛村さんのところの助役さんね」と随分かわいがっていただきました。
ご自身は東京大学から当時の自治省に入省され、1993年に静岡県知事に就任されました。
以後4期16年に亘って静岡県政をリードされ、「富国有徳」をキャッチコピーとしました。
「富国有徳」とは、国際日本文化研究センター教授で後に静岡県知事になる川勝平太氏が提唱したもので、「社会規範や良識、マナーが行き渡った中で、多くの人が、私欲にとらわれず、社会のために役立とうという志を持って活躍している社会を表しているということ」だとされていますが、どこか掛川の生涯学習の影響を受けているのではないか、と私などは思います。
その後に多大な成果をもたらした石川県政でしたが、地域経済の活性化では県民一人当たり所得を伸ばし、医療・福祉では「ファルマバレー構想」として、産学官が連携して富士山麓に医療集積をもたらす構想を建て、県東部に静岡県立がんセンターを設立させました。
防災面では在任中に発生した阪神淡路大震災を教訓として、「TOUKAI-0(とうかいぜろ)」プロジェクトを立ち上げ県内の木造住宅の耐震化を推進しました。
文化面では静岡文化芸術大学を新設し、人口流出を食い止めるだけではなくむしろ他県から女子学生を呼び込むほどに魅力のある大学にしたいと述べられています。
また「グランシップ」と呼ばれる、大ホールや国際会議場、展示ギャラリーを備えた文化施設を建設し、そこに演出家の鈴木忠志さんを引っ張り込んで静岡県舞台芸術センターを設立し、舞台芸術の振興や文化をベースにした地域力向上への取り組みがスタートしました。
実際にあってお話をしているだけで知性と教養と品格と胆力のある人物だと感じるところが多く、榛村さんといい石川さんといい、掛川の排出する人物に圧倒された思いがあります。
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石川県政の当初から関わっていた静岡空港の建設では、一部に反対運動が起きたり未買収の土地があったりして批判的な勢力を勢いづかせる政治闘争になってしまいました。
その最終局面では地権者から「知事が引責辞任すればそれを条件に立ち木の伐採に応じる」という交渉案がだされ、空港の開港と刺し違える形で自らの首を差し出すという大英断をされたのです。
その事件そのものは私が掛川を離れてからのことでしたが、側から見ていて「何とくだらないことで静岡は素晴らしいリーダーを失った」と無念でならなかったものです。
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石川さんの掛川での中学校時代に学校に報徳の講師が見えられたことがあったそうです。
そのときその講師は黒板に円を描いて「人生は円のようなものでどこが欠けても円にならない。だからそのような人生を送りなさい」と言われたそうです。
石川さんは対談の中で「その時はまだ中学生だったので不快哲学の話は分からなくて『なるほど、その通りだな』と思っただけでしたが、(鷲山社長と対談していて)今しみじみと思い出しました」と述べられています。
良い言葉は人の心に深く染み入るのですね。
石川嘉延元知事さんのお元気な様子が伺えて心が温かくなりました。
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