北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【おまけ】養老牛温泉で丸見え

2011-05-08 23:40:25 | Weblog
 昨夜の暴風雨はひどいものでした。これは明日もだめだ、と思いきや朝の釧路は霧。そしてそれがやがて晴れて明るい春の一日となりました。

 すっかり遠出をあきらめていたのですが、「やっぱりどこかへ出かけよう」ということになり、今回は中標津方面へドライブに行くことに。中標津となると一度養老牛温泉に行きたいと思っていたので温泉の用意をして飛び出しました。

 養老牛温泉には日帰り入浴ができるお宿が三軒ありますが、今回は映画「釣りバカ日誌」の最終話となった「釣りバカ日誌ファイナル」においてロケに使われた「藤や」さんを訪ねました。


           【藤やさん、創業は1965年とか】


 連休も最終日の午後とあってお客さんももういなくて、私一人で温泉を独占。養老牛温泉の源泉は80℃もあるのだそうで、源泉かけ流しの贅沢なひとときを楽しみました。

 露天風呂はかなり熱くてつかるのには根性が要りましたが、春の風は冷たくて上半身の冷たさで下半身に感じるお湯の熱さとちょうど良い感じ。

 男性側の露天風呂は宿の前の道路が良く見えて、…ということは向こうからも丸見えの「なんじゃこりゃ(笑)」状態。いや、地方ならではのお楽しみかも。








    ※     ※     ※     ※     ※

 養老牛温泉の「ヨウロウウシ」の語源はWikiによると、「アイヌ語の「エ・オロ・ウシ」(頭=山鼻がいつも水についているもの)、または「イ・オロ・ウシ」(それをいつも水に漬けているもの)が由来とされている。後者だとすれば、近隣のアイヌ民族の女性が繊維を作るため、シナノキやイラクサの皮を温泉水に漬けて柔らかくしていたことにちなんだものだろう」とされています。 (→http://bit.ly/kyxZ0W

 アイヌ語地名にも豊かな文化がありますね。 



 釧路から日帰りで行ける露天風呂めぐりなんて楽しそうですが、普段は車がないのが残念。

 自転車で行ける露天風呂…なんてありますかね。

  
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北海道スケールという感覚

2011-05-08 23:29:36 | Weblog

           【多和平はこのあたり】



 中標津方面へのドライブをすることにして、手前の標茶町にある地平線の見える大牧場「多和平」へ。いろいろな人たちからも薦められていたので、また一つ願いがかないました。

 多和平は標高270m、キャッチフレーズの「地平線の見える大牧場」の名にふさわしく遠くまで360度の展望が楽しめます。

 こちらからは眼下の広大な牧場とともに、遠くには雄阿寒岳や雌阿寒岳、西別岳などの眺望が広がっていて、北海道らしい風景の一つと言えるでしょう。案外知っている人が少ない展望台ですが、ぜひお楽しみいただきたいものです。


           【多和平展望台はシンプル】


           【多和平から阿寒方面を望む。雄阿寒岳がわかりますか?】



    ※     ※     ※     ※     ※



 その後中標津の養老牛温泉を訪ねたついでに、「多和平を見たのだからついでに同じく360度の展望を楽しめるという開陽台も訪ねよう」ということになり、開陽台展望台も訪ねました。

 開陽台展望台と言えばバイク族の聖地と言われていて、陽気が良くなると道内外から多くのライダーたちが訪れて来ます。




 先ほどの多和平とは位置が変わると見える山の景色も変わって、武佐岳や斜里岳のほかに、海を隔てた国後島の姿も見えて印象的。こんなに近くの島が他国の領土となっているということが机の上の領土返還議論ではなく体で感じられるようです。


           【武佐岳と、右側は知床方面の山々】



           【海も近いけれど、そのすぐ向こうには国後島が…】



 開陽台の方は展望台の施設として立派なものが建てられていて、売店や喫茶コーナーも充実しています。

 充実ついでに中標津の紹介ビデオコーナーがあったのを見てみましたが、こちらでは北海道遺産として認定された釧根地区の防風林を上手に紹介してくれていました。

 このビデオを見てから外を眺めると改めてこの地域が防風林に囲まれているかが良くわかりました。逆に言うとこのビデオを見ていなかったら気が付かなかったことでしょう。

 防風林と言ってもその幅は百間(=180m)もあり、一辺の長さが3kmの格子状の牧草地や畑地が広がります。防風林の延長も最長のものは270kmになると言いますから、やはり内地にはないスケールと言えるでしょう。

 「釧根地区の防風林」とは聞いていましたが、改めてそのスケールの大きさに【北海道らしさとは何か】を実感しました。

 よくぞこれだけの開拓をしたもので、道民はもっと北海道のスケールの大きさをとことんまで感じるべきです。

 この皮膚間隔こそ北海道を誇りに思う原点であり、一人ひとりが持っていたいものではないでしょうか。

 「北海道、でっかいどう」

 最近感じていますか?




           【祖先はこれだけの開拓をして、しかもそのあとから木を植えてきたのだ】

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ラーメンのまるひら

2011-05-08 10:01:49 | Weblog


 かねてより、「釧路のラーメンと言えばどこですか?」と訊いたら何人もから名前が挙がっていたのが『まるひら』さん。

 確かにいろいろなグルメサイトを見ても上位にランクされているのですが、うちの奥さんが釧路に来ている間がチャンスと思い、昨日行ってきました。

「昼だったら混んで大変ですよ」と言われていたので、思い切って朝10時にお店に飛び込みました。

 お店はカウンターに10席に小上がりにテーブルが二つ。こぢんまりしたお店です。

 お店はご主人と奥さんと思しき二人が作っていて、メニューはしょうゆ味と塩味の二種類に、普通、大盛り、特大盛りの盛り三種類といたってシンプル。味噌味なんてありません。 

 麺の茹で時間は35~40秒。あっという間に茹で上がるのが釧路ラーメンの特徴の一つです。






 さて注文したしょうゆラーメンのお味は、カツオをはじめ魚介の出汁が効いていてとても優しいしょうゆ味。最近の札幌ラーメンは豚骨系が跋扈していて、朝から食べる気にはとてもなりませんが、ここのラーメンだったら朝から食べても胃腸に優しくて力が出そう。

 釧路ラーメンの真骨頂という称号は伊達ではありませんなあ。




【食べログ】まるひらさん
  http://bit.ly/jtwGPr
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実は町は消えていた

2011-05-08 02:09:43 | Weblog

           【僕たちの町は国の宝…だったのだ】



 こんなに天気の悪いGWってありましたかね、と言いたくなるくらい天気の悪い連休。今日も釧路は細かい雨が一日中降っておりました。観光も打撃が大きくなんとかしなくてはいけません。


 そんなわけで、妻が来てくれている釧路の市内観光で阿寒本町方面へと車を走らせました。

 道の駅「阿寒丹頂の里」のレストラン「赤いベレー」ではエゾシカ肉をふんだんに使った阿寒紅葉スープカレーを注文。エゾシカのお肉はしっかり煮込んであってスプーンを入れるとすぐに崩れるほど。

 カレーもスパイシーで美味しかったです。阿寒湖ドライブではエゾシカ肉を食して撲滅(?)の観点からも絶対に押さえておきたい定番メニューと言えるでしょう。


           【エゾシカ肉の定番メニュー、お勧めです】


    ※    ※    ※    ※


 さて、同じく道の駅と一体となった施設で、レストラン「赤いベレー」の裏手にあるのが「炭鉱と鉄道館」。こちらには昭和45年2月に閉山した雄別炭鉱と、そこから掘り出される石炭を釧路の港まで運んだ雄別鉄道に関する資料が保存されています。


           【炭鉱と鉄道館。訪れる人もまばらでさびしい】



           【雄別炭鉱はこのあたりにありました】



           【展示施設は実際に使われていたものばかり】


雄別炭鉱は釧路市阿寒町(旧阿寒町)の雄別地区において、大正8(1919)年から開発と鉄道の敷設が始まり1923年の鉄道完成と同時に採炭が始まりました。

 1964年には最大産出量年73万トンを誇りましたが、エネルギー転換の波には勝てず、1969年に茂尻鉱坑内で爆発事故を起こしたことがきっかけとなって結局翌1970年に閉山となったものです。

 閉山にあたっての様子をWikipedia《雄別鉄道》から引用してみます。

---------------≪ ここから引用 ≫--------------
 (雄別炭鉱閉山は)当時、戦後最大の炭鉱会社大手の倒産であった。資金繰りが原因でのあまりに突然の倒産であったため、地元自治体は、築後1年も経過していない公立学校の校舎や公民館施設などの放棄を余儀なくされた。

 雄別鉄道の終点である雄別炭礦雄別鉱業所の置かれていた阿寒町雄別地区では、雄別炭礦閉山と共に、役所、警察、郵便局、病院、映画館、小中学校、寺、神社などの建物や施設が数か月で停止閉鎖され、企業・商店は廃業もしくは阿寒町市街地や釧路市への移転を強いられることとなった。

 当時15000人程度の人口があった阿寒町雄別地区は、雄別炭礦の残務整理業務に携わる社員以外の住民が全く姿を消し、雄別炭礦閉山後の数年で無人地帯と化した。

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------
 
 往時の雄別炭鉱では従業員は3000人、関連の住民は13000~15000人に達したと言われています。

 今も阿寒本町から雄別地区へ向かう途中の布伏内(ふぶしない)には炭住街がそれらしく残っていますが、その奥でかつて栄えた炭鉱町は駅も線路もなくなり、朽ち果てた建物の跡が残るばかりです。

 今日、人口減少と若者の流出によって、高齢化率が高くなった限界集落が数多く発生していて、このままでは集落が消えるという危機感があると言われています。

 しかしながら歴史を紐解けば、集落が忽然として消えた例は枚挙にいとまがありません。特に雄別だけではなく空知地方でも同様に、炭鉱町のように産業政策の大幅な転換によって産業と雇用が失われ、同時にいくつもの町が実際には消えているのです。

 集落がなくなることを恐れることはありませんが、そこで生活をした人たちによって生まれたドラマや物語も今日新しい価値を生み出せないというのは残念な限りです。

 美しい湖や山の風景を【表観光地】として、朽ち果てた廃墟やかつての集落跡を見る【裏観光地】というのが脚光を浴びているという話も聞きますが、上手に生かせるものでしょうか。

 物質的なものが残らないとしても、思い出やドラマの素材など観念的な形でも生かせないものか。

 そこに関心を寄せる人たちがいる限りは何らかのニーズがあるはずで、関心の元となるドラマや新鮮な驚きとは何か。その辺を紡ぐ作業にヒントがあるかもしれません。

 もう少し地域での炭鉱の歴史を勉強してみることにいたします。 
 


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