読書感想文。「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるか」(山口周著 光文社新書)を読みました。
副題には「経営における『アート』と『サイエンス』」とつけられています。
今、世界のグローバル企業では幹部候補生を、アートスクールに送り込んだり、早朝のギャラリートークに参加させたりすることが増えたのですが、それはこけおどしの教養を身につけさせるためではありません。
それは「美意識」を鍛えているわけなのですが、それは今までのような「分析」「論理」「理性」に軸足を置いた、いわゆる「サイエンス重視の意思決定」では、この複雑で不安定な世界においてビジネスのかじ取りを行うことができない、ということがわかっているからです。
なぜ「サイエンス重視の意思決定」がだめなのか。それは、今や多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身に着けた結果、もはやだれもが正解を出せる世界になってしまったから、つまり「正解がコモディティ化」してしまっているからなのです。
そして誰もが正解をだせるようになったために、「差別化の消失」ということになってしまう。
これまで有効とされた、現象をモデル化して説明するようなやり方は、この複雑であまりにも多様化した社会では、合理的な解になかなかたどり着けません。
本書のテーマは、「アートとサイエンスのバランス」ということにあって、それは「直感と理性・論理のバランス」とも言い換えられますが、特に現代日本は、物事を決定する軸足が「論理」に偏っているのではないか、と著者は言います。
ではなぜ、アートはないがしろにされ、サイエンスは重要視されるのか。それは、サイエンスは説明に長けているのに対して、アートは説明することが実に難しいから、と言えます。
しかし多くのイノベーションを発揮した世界企業では、天才と呼べるような一人が「こうありたい」という夢のような発想とビジョンを提示し、それをサイエンスが支えるというスタイルで成功しています。
複雑性の高い意思決定には、「そもそも何をしたいのか?」「この世界をどのように変えたいのか?」といった、ミッションやパッションに基づく意思決定が必要で、そこでひつようになることは、リーダーの「直感」や「感性」で、それは言い換えれば「美意識」ということに繋がっていくのです。
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もう一つ。システムの変化の速すぎる現代社会では、ルールや法律が社会の変化についていけないという現実があります。
そのため、「法律に触れていなければ、何をしても良い」という"実定法主義"でものごとを考えると、(それでいいのかな)と首をかしげるようなグレーゾーンでのビジネスが横行します。
判断の基準を、「法律でダメと書いていない」ということではなく、「その判断は自然や人間の本姓に合致しているだろうか」、「真・善・美に合致しているか」とすることで、真っ当な判断につなげることができます。
例えばグーグルの社是は「Don't be evil(邪悪になるな)」ということで、それはグーグルの美意識なのだ、と言えそうです。
そして筆者は、「エリートこそ美意識を身に着けるべきだ」と言います。
社会を動かすシステムの中にいる人こそが、社会を変えられるのであって、システムの中にいない批評者や批判者、クレーマーには社会を変える力はないのだ、と。
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この美意識を育てるには、哲学・文学・美術・詩を読むといった、一見無関係のように見えるジャンルに触れることが必要と著者は言います。
こうしたジャンルに触れることで「真・善・美」に通じる感性や心性が、自分自身の心の中の育まれることでしょう。
周りから尊敬される人というのは、頭が良かったり、行動力があったりと人より抜きんでた力があるものですが、なかでも「判断や行動に美学がある」ということからくる、品性ということも重要なのじゃないでしょうか。
内面の「真・善・美」に照らすって、どこか日本人の心根には通じるものがあるようにも思います。