先日の稚内を応援する「稚内FTC札幌会」では、私が新しい代表幹事になったことから、少しだけ挨拶をする時間をいただけました。
短い挨拶の中で、私の稚内の思い出を語りました。
私は3歳から8歳(小学校3年生)までを稚内で過ごし、その後札幌に引っ越していったのですが、実は私の最初の記憶はその3歳の時に稚内で住んでいたアパートの中の記憶でした。
一家四人が六畳一間の部屋に住んでいて、もちろんお風呂はないし、流し台もトイレも共同と言うまさに昭和30年代の日本の片隅の暮らしです。
そして人生の一番古い記憶は3歳の時にアパートの中の廊下で遊んでいて、勢い余ってガラス戸に手から突っ込んでしまい、右手首を切って泣いていたというもの。
今でも右の手首にはその時の傷が残っていて、それが一番古い記憶です。
子供の時の記憶って、印象的なものばかりがいつまでも残っていますが、私のような昭和中期生まれは、まだ虫や草などの身の回りの自然が多く、大きなミミズをみつけたり、ヘビを追い回したり、家の裏の草むらに隠れた忍者ごっこなどが日常の遊びでした。
勉強のことは全く覚えていないけれど、印象的な景色やシーンなどはいつまでも心に残っているものです。
本当なら今の子供たちにも、勉強や宿題だけではなく、日常にもっと自然を取り入れた遊びをしてもらいたいところですが、住まいの近くから緑や自然が消えた今、多様な思い出を作るにはどうしたら良いでしょうか。
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少し前の「President Online」というネットサイトに、「プログラミング教育の肝は"教えない"こと」というタイトルの記事が出ました。
→ https://president.jp/articles/-/26339
これからの時代は、プログラマーが不足するという危機感がありますが、プログラミングできる人材を育成するうえで必要なことは、著者の言葉を借りれば、「プログラミングに大切なことは、問題を発見し、その解決方法を創造する力だ。これは、暗記式の勉強では絶対に身につかない。それを身につけるには、子どものうちから、自分で考えて自力で解決するトレーニングをさせるのがいい」ということになります。
要は、暗記式の勉強ばかりしていないで、体を使って、自分が問題や課題や興味を見つける対象を増やさないとダメなんだ、ということだそう。
野生動物にとっての遊びは、生きるための練習だ、と言われると得心が行きますが、人間も同じのように思います。
子供の時に大いに遊んだ僕は、いよいよ良い年になって、ますます遊ぼうと思います。
まあもうプログラマーになることはありませんがね。