北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

落語を聴かなくなった理由

2019-09-13 22:33:58 | Weblog

 

 年に2~3回、大学の先輩で10歳ほど年上のご夫婦を交えて飲む機会があります。

 年齢が上の方のライフスタイルを聞くと、自分の将来についていろいろと気がついたり考えさせられたりすることがあります。

 「70歳を超えてもまだゴルフはやっているよ」とか「テレビはほとんど見ないなあ。BSの銘作映画を見るくらいかな」などと聞くと、あと十年くらい先の日常の過ごし方のイメージがわいてきます。

 先輩ご夫婦は十年ほど前に、「最近の楽しみは落語を聞くことなんですよ」と言っていたことがあるのを思い出しました。

 札幌に面白い落語家が来ればご夫婦でよく聴きに行っていたのです。

 そういえば落語なんて粋な趣味だなあ、と思って、私も聞いてみようかなという思い半分で、「今でも落語を聴きに行ったりするんですか?」と訊いてみました。

 すると意に反して、「落語かあ、そういえば行かなくなったなあ」という返事が返ってきました。

 そこにはどういう心境の変化があったのかに俄然興味がわいてきました。

「どうして以前は聴いていた落語を聴かなくなったのでしょうか」

 答えは、「かつての名人と呼ばれた落語家のCDなんかは聴くことがあるのよ。でも今の噺家が演じる落語を聴きに行かなくなったという感じかな」と奥様。

「その理由は何ですか?」
「そうねえ、落語って人生話じゃない?以前は自分たちが若かったので、年上の名人の話芸で人生の話をされると、うんうんとうなづきながら笑えたのよ。でも自分たちが歳を取って、高座の噺家が自分たちよりずっと若いひとになってしまうと、笑えなくなったのよ。なんで年下のあなたたちにそんなことを言われないといけないの?っていう心境かな(笑)。歳を取ると頑固になるしね(笑)」

「年上の話は聞けても、若い人の話は聞けないと(笑)」
「何回か若い人の落語を聴いたんだけど、本当にちっとも笑えなかった。落語なんて次にどんな展開があるかわかっているからか、と思うかもしれないけれど、古今亭志ん生とかの名人だと同じネタでもやっぱり笑っちゃう。だけど若い人だと笑えない」

「まあそこが名人と呼ばれる人たちの魅力だったり上手さということでしょうか」
「それは絶対にあると思う。でも半分は自分たちが歳を取って、若い人たちの言葉を素直に聞けないという頑固さがありそうよ(笑)」


 落語で笑うのではなく笑わせてくれるのは落語家だ、ということでしょうか。 

「今は聴きたい落語家さんもいなくなったわねえ」

 社会が高齢化するということにはこういう側面もあるのかな。

 さて、自分も笑わない頑固な親父になるのかな。

コメント
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