若い時から、休日となると人に会うこともないだろうと、髭を剃らないことが多くありました。
そんな状態で実家の両親を訪ねると良く母親からは「なにさ、無精ひげでだらしない」と叱られたものですが、「はいはい」と受け流していたものです。
それがあるとき鎌倉時代の高僧道元の著した「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」に触れた折に、「洗面」という項目があることがわかりました。
そこには「インドや中国では洗面をするが歯磨きをせず、日本では歯磨きをするが洗面をしない」という一文がありました。
歯磨きと言っても今のような歯ブラシがあるわけではないので、「嚼楊枝(しゃくようじ)」と言っていわゆる小指よりは細い枝を楊枝としてこれをよく噛んで歯の上や裏側などを研ぎ洗う、とあります。なるほど、昔はそうして歯を磨いていたのですね。
一方、日本では顔を洗わないと言われますが、まったく洗わないという事でもなく、汚れたときや気持ちよくなるために洗うということはあったようで、ただ毎日顔を洗うという習慣がないのだと。
そして仏教では、まず顔を洗うという事は汚れたから洗うのではなく、まず洗うという行為を行ってから仏さまにむかうのだ、と言うのです。
いわゆる「顔を洗わないことは世間に対して失礼なのだ」ということです。
私自身、これに触れて「ああ」と思ってからは休日にも髭を剃るようになりました。
実にだらしない日常ですが、たまに古典に触れると心が現れる感じがします。
さらには、ひねればきれいな水が出る生活環境のありがたみをさらに感じることにもなります。
コロナ自宅療養中ですが、日常は保ちたいものです。