北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

使い切った達成感

2024-07-12 22:35:14 | Weblog

 釣りのシーズン真っ盛りということで、足りなくなったフライ(虫に似た疑似餌)を作っています。

 ところがフライを巻くのに使っている茶系の糸(スレッド)がなくなりかけてきたので、慌てて植物園近くのフライショップ「テムズ」へ買いに行きました。

「スレッドがなくなったので買いに来ました」と言うと、名物女将が「あらー、スレッドを一本使い切ると『やり切った』という達成感があるんじゃないですか」と笑って受け答えをしてくれました。

 でも考えてみれば、多分このスレッドも買ってから10年くらいは経っているので、まあ長持ちした部類でしょう。
 
 今持っているフライの材料も、生きているうちに全部使うことは到底考えられないので、随分と余剰材料に囲まれているというわけです。

 とはいえ、女将に言われた通りにスレッド一巻を使い切るというのはなかなかないことです。

 日常の暮らしでいえば、味噌醤油、ドレッシングなどの調味料や食材や酒などの食材系消耗品はしょっちゅうなくなるのですが、飲食以外で何かを使い切るというのはなかなか珍しい事です。


      ◆


 日常でいうと文房具も消耗品ですが、昭和時代のボールペンなどは使い切る前にインクが固まってしまって最後まで使い切るのが難しいものでした。


 当時はボールペンでも本体を活かしてインクだけを交換するというリフィルという概念がなくて、ボールペンを使い切るともう一度本体ごと買うことになりました。

 人生でボールペンを一番使ったのは大学浪人をしていたころだと思います。

 浪人時代は勉強するのに、A4サイズの茶色いわら半紙を大量に購入して、とにかくそれにひたすら書き込むというやり方で勉強をしていました。

 さすがにそれくらい熱心に書き込むとボールペンのインクも固まる暇がなくて割と早めに新しいボールペンに変わるということの繰り返しでした。

 浪人時代は友人たち3人と全部で4人が一軒家を借りて同居して暮らすという、青春チックな浪人生活をしていました。

 早逝して今は亡き友人の吉岡君もその4人の一人で、医学部目指してボールペンを次々に使いつぶす勉強方法を取っていました。

 一年の浪人生活後にそれぞれがアジトを旅立つときには、吉岡君は使い切ったボールペンの本体をため込んでいて、それが直径10センチほどの束になりました。

「すごい量だなあ。それはどうするの?」と訊くと、「うん、将来子供ができた時に『お父さんは浪人の時にこれだけ勉強した』と見せてやるんだ」と笑っていました。

 北大医学部に合格して医学研究者になった吉岡君とは、同窓会ですれ違うくらいでなかなか話をすることもなかったのですが、お互いが50歳を過ぎたころに一度同窓会めいた少人数の集まりがあり、そこで同席しました。

 私もあのときのボールペンのことを思い出して、吉岡君に「浪人のころに使い切ったボールペンの束を持っていただろう?あれはどうした?」と聞いてみました。

 すると彼は「そんなことあったっけ?」などとすっとぼけたことを言っていましたが、やがて「家庭教師をしたときに教え子にあげちゃったよ」と白状しました。

 家庭教師と言うことは学生時代だろうからまだ結婚していなかったはず。

 ということは自分の子供さんには見せることはなかったのだろうか、と思いを巡らしました。

 ボールペンも今はリフィルのインクで交換することが当たり前になり、いくら使い切ったものを貯めても大きな束になることはないのかもしれません。

 勉強の証を形で残しておくとすると今は何になるのでしょうね。

 ボールペンの束が懐かしい、昭和の50年代ってそういう時代でした。

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