自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

「穏やかな死に 医療はいらない」 ③

2014-03-09 08:57:28 | 推薦図書
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バスは高度を上げながら、登山口に近づいていきます。


ここは、キナバル山全貌が見渡せる展望台。
バスの車窓から電線を避けながら苦労して撮影していたのに……









P.132 「本当の看取り」に医者はいらない

<看取りの瞬間><最期のお別れ>の時に、関係者は何をすべきか?
という話です。

   そもそも、「死の瞬間」を待つことは、そんなに重要なことでしょうか?

   僕は死の瞬間を見張ることよりも、

   いつか訪れる死に対して心の準備ができ、

   感謝の気持ちやお別れの言葉を伝えていることのほうが、

   ずっと大切だと思います。


自宅では当然心電図モニターなどないので、ご臨終のサインは患者さんの呼吸です。

でも、夜中に何度も確認したり、見張っている必要は無いそうです。

P.134 「知らないうちに、眠るように亡くなっていたんですよ」

   そんなふうにおっしゃるご家族もたくさんいます。

   でも、本当の意味でお別れができていたなら、

   死の瞬間を知らずに過ごしたことを悔いるご家族は、一人もいません。


P.135 僕の仕事は死の瞬間に立ち会うことではありません。

   患者さんやご家族が穏やかに終末期を自宅で過ごせるよう、

   サポートするのが仕事です。


P.136 ご家族の心に不安や悲しみが残ったまま見取りの時期が来てしまうのは、

   僕たちのケアが足りなかった証拠。

   逝ってほしくないのに逝かれてしまうのだから、

   ご家族は「がんばって! 息して!」と泣き続け、悲しみがあふれます。


   穏やかな看取りは薬のコントロールで決まるのではなく、

   患者さんとご家族の心の状態で決まります。

   愛する家族が亡くなる場面を、僕たち医療者が邪魔するべきではないと思います。


という理由で、医師(著者)は最低限の看取りの儀式(逝った人への声かけと一礼)をし、

看護士のリードで、ご家族と一緒に患者さんの体をきれいにしていくそうです。

十分にお別れができている家族なら、明るく介護生活を思い出しながら、

満足感に溢れた会話ができるそうです。
コメント
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