キナバル山の下りです。喘ぎながら登った道も下りはスーイスイ。

P.98 家で安らかに逝く方法
結論から言うと、点滴をしないで、
枯れ木のようになって死んでいくのが一番ラク。
実は医療産業の中で「在宅医療」は成長分野として注目されて
います。つまり経済的な目的があるので、
「点滴の管をつけたまま家へ変えそう」という企みが、生まれている。
また「どうせ点滴をするなら、何か薬も入れてみたい」というのが
医者の性で、抗がん剤も加わることがあり、
患者さんはさらに苦しむことになります。
P.99 医療では、患者さんのためを思ってつくりだした方法が、
問題の種になることが頻発。「鼻腔チューブ」「胃ろう」など、
強制的に栄養を与える方法がなかった時代は、人は
事故や脳卒中で昏睡状態におちいったら、それで一巻の終わりでした。
むりやり口に食べ物や飲み物を流し込むと、肺のほうに入って
肺炎で亡くなる。栄養を与えなければ餓死が待っている。
その代わり、植物状態で何年も生き続けることはありませんでした。
近藤医師のリビングウィル:
「その辺で倒れてもほっとくように。そばによるな」。(P.226)
と、家族に言い渡してあるそうです。
外で倒れたら救急病院に連れ込まれてしまいます。
脳出血なら医者は脳を開き血管にクリップをかけて出血をとめ、
血のかたまりを除きます。心筋梗塞なら心臓の血管に細い管を入れて、
詰まっている血を薬で溶かします。自力で呼吸できなくなっていれば、
気管に管を入れて人口呼吸器につなぎます。
今の日本ではそういった高度な治療の数々を施されて、
そう簡単にポックリ死ねません。
そしてかなりの確立で、半身不随などの思い後遺症を抱えます。
またしても、身近な人の例を思い出します。
夫の母は10年前(88歳)に脳梗塞で倒れ、苦しいリハビリの結果、
驚異的な回復を見ました。一時は自分で食べることはおろか、言語も排泄も
ままならなかった状態から生還し、自宅で好きなものを食べ、
気ままに暮らす生活を楽しみ、昨年末、亡くなりました。しかしながら、
驚異的とはいえ、僅かな麻痺は残り、徐々に自力での移動が難しくなり、
常に「なんでこんな事になってしまったんだろうか……」が口癖でした。
<近藤龍か?><リハビリ努力か?>どちらが良いのか、永遠の疑問です。




P.98 家で安らかに逝く方法
結論から言うと、点滴をしないで、
枯れ木のようになって死んでいくのが一番ラク。
実は医療産業の中で「在宅医療」は成長分野として注目されて
います。つまり経済的な目的があるので、
「点滴の管をつけたまま家へ変えそう」という企みが、生まれている。
また「どうせ点滴をするなら、何か薬も入れてみたい」というのが
医者の性で、抗がん剤も加わることがあり、
患者さんはさらに苦しむことになります。
P.99 医療では、患者さんのためを思ってつくりだした方法が、
問題の種になることが頻発。「鼻腔チューブ」「胃ろう」など、
強制的に栄養を与える方法がなかった時代は、人は
事故や脳卒中で昏睡状態におちいったら、それで一巻の終わりでした。
むりやり口に食べ物や飲み物を流し込むと、肺のほうに入って
肺炎で亡くなる。栄養を与えなければ餓死が待っている。
その代わり、植物状態で何年も生き続けることはありませんでした。
近藤医師のリビングウィル:
「その辺で倒れてもほっとくように。そばによるな」。(P.226)
と、家族に言い渡してあるそうです。
外で倒れたら救急病院に連れ込まれてしまいます。
脳出血なら医者は脳を開き血管にクリップをかけて出血をとめ、
血のかたまりを除きます。心筋梗塞なら心臓の血管に細い管を入れて、
詰まっている血を薬で溶かします。自力で呼吸できなくなっていれば、
気管に管を入れて人口呼吸器につなぎます。
今の日本ではそういった高度な治療の数々を施されて、
そう簡単にポックリ死ねません。
そしてかなりの確立で、半身不随などの思い後遺症を抱えます。
またしても、身近な人の例を思い出します。
夫の母は10年前(88歳)に脳梗塞で倒れ、苦しいリハビリの結果、
驚異的な回復を見ました。一時は自分で食べることはおろか、言語も排泄も
ままならなかった状態から生還し、自宅で好きなものを食べ、
気ままに暮らす生活を楽しみ、昨年末、亡くなりました。しかしながら、
驚異的とはいえ、僅かな麻痺は残り、徐々に自力での移動が難しくなり、
常に「なんでこんな事になってしまったんだろうか……」が口癖でした。
<近藤龍か?><リハビリ努力か?>どちらが良いのか、永遠の疑問です。



