自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? ④

2014-03-18 05:46:13 | 推薦図書










P.66 脳卒中、心筋梗塞を問わず、入院すると本人の思いとは

   関係のない部分で治療方針が決定されるのでPPKは難しくなる。


   とくに救急車で入院すれば、当然のことながら、

   救急救命・延命治療を希望しているとみなされます

   医師は「手術すれば助かるかもしれません。しないとこのまま

   亡くなられます」などと家族に説明することもある。

   家族はまず承諾せざるを得ないので、手術をすることになる。

   人工呼吸器を付けたまま、しばらくは生き続けることになるかもしれない。


   元気な人であれば延命治療のレベルから
   歩いて退院するまで回復するケースがある一方で、

   胃ろうや気管挿管などの施術を受け、
   
   運が悪ければ人生の終わりに、「地獄の苦しみ」を味わわされたあげく、

   結局亡くなる人も少なくない。


   つまり、救急救命・延命治療をすべきか否かの

   瞬時の判断がとても重要だということ。
  


この後、実際の患者さんの例が色々紹介されています。

結局、大事なことは<本人の在宅死への意思>と、

<医療者側に本人の意思を守ることへのブレがないこと>

<家族全員が緩和ケアの意味を良く理解していること>
のようです。
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小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? ③

2014-03-17 05:42:56 | 推薦図書

キナバル山のロッジより下は難しい所はなく、ひたすら登るだけです。


登山ガイド(サーダー兼ポーター)は、日本のツアー会社の指示を受け、
とにかくゆっくり、わざと?一歩ずつを引き伸ばして、イライラするほと
ゆっくり登っていきます。

9人のグループの中では、当然、健脚組と虚弱組がいるので、
ガイドは最年長&最虚弱の人に合わせて、とにかくスローテンポです。



それでも何とか、ロッジが見えてきて、ついに全貌が現れました。


P.42 夜間セデーションとは: 睡眠薬の力を借りて夜間は深い眠りに入り、

      朝が来る頃に薬の力が切れて自然と目を様図方法。

   病院で時々行われる「セデーション(持続鎮静)」とは異なる。

   
   後者は(持続鎮静)、耐えがたい苦しみから逃れるため、

   通常は患者さんが亡くなるまでずっと眠らせておく方法。


   多くの場合、開始した時点で今生のお別れとなるため、

   患者さんの家族にはつらい選択となるのに対し、



   前者の「夜間セデーション」は夜間の痛みや不安を取り除くために

   夜の間だけ薬の力を借りて眠ってもらう方法。

   朝になれば目が覚めてまた新しい一日が始まり、

   安楽死というイメージで誤解されている「セデーション」とは逆の、

   生き抜くための「夜間セデーション」なのです

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小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? ②

2014-03-16 05:47:07 | 推薦図書


P.19 スピリチュアルペインとは生きる意味や価値を見失ったり、

   「私」という存在に罪悪感を抱いてしまったりすること。

  
   病院にいると、人が苦しんで死ぬプロセスや、

   遺族が嘆き悲しむ風景が否応なく目に入るため、死の恐怖が心を支配し、

   自分が死んだら一体どうなるのかというマイナス思考に陥ります。


   在宅ならばそれがないとは言い切れませんが、

   住み慣れた家で、なじみの人の声や音を聞き、

   暮らしの匂いとともにあることで、意識は自然と死ではなく、

   今を生きることに向います。

  
   その積み重ねの先に訪れる死を、

   より自然な形で引き受けられるようになるでしょう。
   


P.20 身体的疼痛については、病院やホスピスの方に軍配が上がると

   思っている人が多いのですが、それも違います。

   身体的疼痛はオピオイド(医療用麻薬)ができたことと、

   夜間セデーション(夜間は睡眠薬でぐっすり眠り、痛みを感じないように

   する方法。(中略)病院で受ける以上の緩和ケアが自宅でも期待できる。



P.33 <お一人様>が「退院して、在宅療養したい」という意思がある場合、

   1.痛みのコントロール:医師による苦するの疼痛ケアと看護師による

             心のケアなどを受けて、とにかく痛みを取ること。


   2.暮らしが支えられること:動けなくなったら身体を支え、着替えさせ、

     トイレ介助をし、食べられる人には食べさせ、食べられなくなった人は

     本人の希望に沿った方法で支えること。


    そのためには、介護チームとの連携が欠かせない。看護師と介護職員等が

    チームを組めば、必要なケアのうちかなりの部分までカバーできるでしょう。

    その要として、すべての分野に精通した人(=Total Health Planner)が

    司令塔を務めれば、なおよいでしょう。




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小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?

2014-03-15 09:14:08 | 推薦図書

写真は相変わらず、キナバル山の自然です。





標題の本: 上野千鶴子が聞くQ&Aという形で、

著者はお一人様の代表選手・上野千鶴子氏と、
日本在宅ホスピス協会会長・小笠原文雄医師

先般ご紹介した萬田緑平医師の本より、個別ケースが詳細に記され、

読むのに時間がかかりました。が、これからの日本の介護を考える上で、

是非とも読んでおくべき本だと思います。


中味が濃いので、要領良くまとめるのが難しいほど。
心に残った言葉から順不同でメモしていきます。

P.225 あとがきから

   現在の日本では病院で死ぬのがあたり前、どのような状況であっても

   救急救命が最優先、最期の瞬間は家族が立ち会わなければいけない……

   このような考え方が一般的です。


   しかし、在宅では笑顔で穏やかな最期を迎えることができます。 

   在宅ホスピス緩和ケアチームのかかわりのなかでは、

  「在宅ひとり死」は孤独死ではなく、「希望死・満足死・納得死」だと思います。


   「ひとりで死ねる。ひとりで死んだっていいんだよ」ということを

   日本のみなさまに知っていただければ幸いです。



P.221 在宅医療は今、診療報酬の面でも恵まれた状態ですから、

   この分野に関心を持つ若い医者は増えています。今後は、

   医療システムそのものを変えることも必要でしょう。


   今、入院している人の半数以上は在宅で療養した方がいい患者さんですから、

   病院勤務のプロフェッショナルな医師も、減らすことができる。

   勤務医が激務なのは、自宅ならばのんびり暮らせるような人まで入院させ、

   命を1分1秒まで長らえさせる医療や、

   訴訟から身を守るだけの医療に汲々としているからです。
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葉っぱのフレディー

2014-03-14 05:32:41 | 生き方

石楠花の一種ですが、ずいぶん小型です。


昨日の「枯れ草」という言葉は、イメージは悪いけれど

  <言い得て、妙>という点は認めます。

そういう意味では、朝の洗足池は素敵な枯葉の宝庫です。
豊な人生経験・暖かさ・洒脱な会話が軽やかに飛び交っています。

中でもSAITOHさんは、毎週、日野原先生のエッセイ切抜きを恵んで下さる方で、
本当に感謝しています。
特に3/1の フレディ」の舞台をあなたの街で」は
刺激的な記事でした。

自分が誰で、死ぬまでに何をするべきなのか?

死ぬことは恐いことなのか?

子どもも大人も一度は真剣に、または楽しく?考えてみるべき
重要なテーマだと思います。

ミュージカル研究会の今年度の発表は7/12(土)午後で、
演目は <震災~3年後>のトマト農家夫婦と5匹の猫たちの話です。


「葉っぱのフレディ」をやるとしたら、多分来年度以降になります。

でも、私の頭の中では既にいくつかの曲と出演者が浮かんでは消え、

台詞も響き始めています。




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若草物語

2014-03-12 11:51:17 | 生き方
写真は引き続きキナバル山の自然です。

可愛いリスが休憩所で餌をねだりに来ます。が、餌付けはいけません。


この<ウツボカヅラ>は日本でも良く見かける大きさです。



標題の<若草物語>は、最近始まった小さなネットワークの名前です。

水曜夜、ミュージカル研究会の中核メンバー4人の集まりなのですが、
75歳のHATSUEさんは、賢く堅実かつ有能なビデオ撮影家で、
AlcottのLittle Womenに登場する長女メグ(映画ではJanet Leighが演じた役)と
同じ雰囲気です。

次女はボーイッシュでお転婆なジョー(June Allyson)。
趣味は読書で、作家を目差していて、恋愛や男性に興味がないなんて、
まるで私そっくり!……とまでは言いませんが、ちょいとは似ています。

三女ベス(Margaret O'Brien)は<内気な性格に加えて病弱>という設定。
内に強さを秘めた少女なので、HATSUEさんの妹のHIROKOさんと通じる点があります。
彼女は35年もモダンバレエをやっている一途なダンサーです。

四女エイミー(Elizabeth Taylor)は、正にバレリーナのTAEKOさんに瓜二つ。
「おしゃまで美術の才能がある」という形容を「踊りの才能」と置き換えて、
さらに、TAEKOさんにはステージ構成・演出家としての才能が溢れています。

たまたま<家が近い>という理由で集まった私たち、それぞれの才能に敬意を払い、
ミュージカルの振り付けやStoryを話し合い、将来の夢、社会的なこと、
人生のことなど、何でも話し合える仲間です。

多分、実の姉妹よりも価値観が似ていて、お互いにたくさんの言葉を使わなくても
意思が通じます。誰かが自分の夢を語れば、すぐにその素晴らしさを理解して、
助言もすれば、危うさの指摘もしてくれます。

こんなに初々しい私たちのことを、年齢面だけ見て、

  「枯れ草物語」と言ったオジサン、

ヒトは年齢でも肉体でもなく、でござんすヨ!

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「穏やかな死に 医療はいらない」 ⑤

2014-03-10 04:58:40 | 推薦図書

いよいよ登山口。


右端に立っているお兄さんが、現地ガイド。真中でかがんでいるのがサーダー。
左端の二人はポーターです。(女性も!)
一人5kg程度の荷物を預け、登山者は防寒具や水のみをサブザックに入れて上ります。


最後に、この本の目次を紹介しておきましょう。

プロローグ 僕が外科医をやめたわけ

第一章 上手に枯れて穏やかに死ぬ

   「ゆっくり」「じんわり」穏やかに生き抜く

   僕が後悔している延命治療ーー点滴

   僕が後悔している延命治療ーー抗がん剤

   もしも余命一ヵ月と言われたら僕が受けたくない医療


第二章 自宅はホーム、病院はアウェイ

   病院医師が帰宅に反対する理由

   自宅だからできる穏やかな死

   一人でも自宅で死ねる
   
   「本当の看取り」に医者はいらない


第三章  自分の最期は自分で作る

   死を受け入れよう。でも余命診断は当たらない

   最期のお別れはお早めに

   人はどんなふうに亡くなっていくのか


第四章 これまでの死の光景、これからの死の光景

最期に<自分で自分らしい死を迎えるためのチェックシート>が付いています。


以下、おわりに より

P.230 著者は、幼い子供を残して末期を迎えた患者さんに

「三人の子どもが大きくなっても読めるように、手紙を書いたら?」と薦めたそうです。


   人に勧めた以上はと、僕も自分の死後、妻や娘に読んでもらえるように

   手紙を書きました。

   手紙を書くと、自分にとって大切なもの、大切な人が見えてきます。

   
   僕は今でも終末期を迎えた患者さんに、家族へ手紙を書くことを勧めています。

   すると、亡くなった患者さんから僕宛に手紙が来たりします。

   何よりの宝物です。


P.231 生まれてきたときに「おめでとう」と言うのなら、

   亡くなるときにも「おめでとう」を言いたい。

   僕は、素敵な人生の締めくくりをハッピーエンドに演出してあげられる

   舞台係になりたいのです。


   外科医だった頃は、病院でこんなことを考えている仲間には、
   ほとんど出会えませんでした。

   患者さんにも「素敵に死んでほしい」なんて言えませんでした。


   今は、すばらしい人生の最終章を演出しようという仲間に囲まれ、

   最後の最後まで精いっぱい生き抜こうという患者さんと共に過ごせている。

   それだけで本当に幸せです。
   
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「穏やかな死に 医療はいらない」 ③

2014-03-09 08:57:28 | 推薦図書
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バスは高度を上げながら、登山口に近づいていきます。


ここは、キナバル山全貌が見渡せる展望台。
バスの車窓から電線を避けながら苦労して撮影していたのに……









P.132 「本当の看取り」に医者はいらない

<看取りの瞬間><最期のお別れ>の時に、関係者は何をすべきか?
という話です。

   そもそも、「死の瞬間」を待つことは、そんなに重要なことでしょうか?

   僕は死の瞬間を見張ることよりも、

   いつか訪れる死に対して心の準備ができ、

   感謝の気持ちやお別れの言葉を伝えていることのほうが、

   ずっと大切だと思います。


自宅では当然心電図モニターなどないので、ご臨終のサインは患者さんの呼吸です。

でも、夜中に何度も確認したり、見張っている必要は無いそうです。

P.134 「知らないうちに、眠るように亡くなっていたんですよ」

   そんなふうにおっしゃるご家族もたくさんいます。

   でも、本当の意味でお別れができていたなら、

   死の瞬間を知らずに過ごしたことを悔いるご家族は、一人もいません。


P.135 僕の仕事は死の瞬間に立ち会うことではありません。

   患者さんやご家族が穏やかに終末期を自宅で過ごせるよう、

   サポートするのが仕事です。


P.136 ご家族の心に不安や悲しみが残ったまま見取りの時期が来てしまうのは、

   僕たちのケアが足りなかった証拠。

   逝ってほしくないのに逝かれてしまうのだから、

   ご家族は「がんばって! 息して!」と泣き続け、悲しみがあふれます。


   穏やかな看取りは薬のコントロールで決まるのではなく、

   患者さんとご家族の心の状態で決まります。

   愛する家族が亡くなる場面を、僕たち医療者が邪魔するべきではないと思います。


という理由で、医師(著者)は最低限の看取りの儀式(逝った人への声かけと一礼)をし、

看護士のリードで、ご家族と一緒に患者さんの体をきれいにしていくそうです。

十分にお別れができている家族なら、明るく介護生活を思い出しながら、

満足感に溢れた会話ができるそうです。
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「穏やかな死に 医療はいらない」②

2014-03-08 17:39:52 | 推薦図書

今日から夫のカメラの記録でキナバル山への旅を綴ります。


上の美しい朝焼けをホテルで眺めた後、バスで登山口へ移動。


町の中は大した渋滞もなく、のんびりムードです。




さて、私たちが突然、または徐々にでも、自分の死に直面したとき、

「自分は、周囲の人に何を望むのか?を考える・準備する」のが

この本の趣旨ではないようですが、私は、そのように捉えました。


P.98 「在宅緩和ケアを看取り屋ぐらいにしか思っていない主治医」

という言葉が出てくるほど、<緩和ケア>というと、

<医学的治療方法が無いから、医療から見放される>という感じがします。

実際、”緩和ケア”が「カンオケヤ」に聞こえる……という

笑えない話もあるそうです。


P.99 (医学界では)死の医学は遅れています。

   人の身体が死に向うとき、医療を施さない自然な状態では

   身体にどういう現象が現れるのかという研究は、殆ど目にしたことがない。


   そりゃあそうです。

   治すことが使命の医師が医療を離れた自然死を研究するわけがない。


P.100 この死の医学の観点を抜きにして緩和ケアを実践することはできません。

   病院医師にとって治療の目標は患者さんにいい人生を送ってもらうことではなく、

   少しでも長く生きさせることです。

   「医師の仕事は治してあげること」という思考が染み付いていて、

   これを生きがいとして仕事をしています。


   この治すことの真逆にあるのが緩和ケアです。

   在宅緩和ケアは医療設備ゼロの自宅でこの真逆のことをやるのです。


今、私の母を含めて、かなり多くの知人が

「無駄な治療は受けたくない。管だらけで、ベッドに縛りつけられたくない。」

<延命治療は断る>と、言っているのです。


でも、<がん末期>とか、<老衰>とか、明らかに治療の手立てがない時でなく、

脳梗塞・心筋梗塞などの急性血管障害や不測の事故などの場合に、

どこまで医療を求めるのか?を、よ~~く考えておく必要がありそうです。


P.105 在宅緩和ケアは治す医療ではなく、患者さんとご家族の心を診る医療です。

   死を受け入れる大切さ、最期の日まで生きることの大切さを、

   時間をかけて患者さんやご家族に理解してもらいます。

   医学の知識だけでできる仕事ではありません。


このようなお医者さんを、自宅近くに見つけ出し、懇意になっておくことが重要そうです。

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「穏やかな死に 医療はいらない」①

2014-03-07 08:28:52 | 推薦図書

写真はキナバル山の自然です。





標題の本、著者は萬田緑平・医師 2013/2  朝日新聞出版

現在は<在宅緩和ケア>の専門家として活躍されている著者ですが、
外科医として病院勤務の頃は、
手術、抗がん剤治療、再発治療、緩和治療、救急治療など、
患者さんの病気を治すべく奮闘されてきたそうです。

病院医療と在宅ケアの両方を見てきた著者だからこそ書ける、

  終末期と死の現場について記されています。

P.31 (病人にとって)治療の効果より苦痛が上回ったら、

   撤退したほうがいい。

   病院医師は、「治療をしないともっと苦しくなりますよ」と、
   言ったりするので、苦しいだけの治療を続けてしまう患者さんは
   たくさんいます。

   たしかに、治療をやめたら死んでしまうかもしれません。でも、
   苦しい治療を続けたところで、助かるわけではないのに、
   病院はなかなか治療をやめさせてくれません。

お医者さんは、「自分や自分の家族なら、やらない」であろう処置を、
色々な理由で、機械的に、意図的に、流れ作業で行うことがあるようです。

恐ろしさを感じます。
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