こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

大内宿(福島県)にて、息子夫婦と偶然に出会う、2013年9月

2015-01-09 | 旅(国内)

大内宿(福島県南会津郡下郷町)はかつて会津地域の重要な宿場町であった。そして、寄棟造りの家屋による町並みは、重要伝統的建造物群保存地区となっている。私達は山形からの帰りに、この町並みを見学した(9月24日)。


保存地区の入り口にて

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寄棟造りと往還(道)にて(1)

この日の天候は晴れて乾燥気味であった。土埃を防ぐため、ある店の女性が柄杓で水をまいていた。流石はと、私達が思った場面である。ホースによる打ち水では、町並みの雰囲気が損なわれるかもしれない。

 

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磐越自動車磐梯山SAでの案内図

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側溝では、透明な水が勢いよく流れている。これは町並みが山で囲まれているためであろうか。関東で山が接近しているところに住んでいる、私達は親近感を覚える。


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寄棟造りと往還(道)(2)

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脇の畑ではネギが育てられている。ネギを薬味と箸がわりにして蕎麦を味わうことは、大内宿の名物になっている。

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ある蕎麦処の外観と屋内(天井と柱)

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さて、屋根の姿に気を引かれて、この棟を撮っていたとき、私達はたいへん嬉しいハプニングに遭遇した。

この場で、息子夫婦と出会ったのであった。互いに大内宿の近く住んでいるならば、

このようなことがあっても不思議でない。

しかし、群馬と都内に住んでいる近親者達が、大内宿で偶然に出会う確率は限りなく小さい筈である。

そのときの驚きと嬉しさは、今でもしっかりと私達の脳裏に焼き付いている。

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出会いの後の青空と町並み

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大内宿の様子から、かつての雑誌記事「260都市圏のデータから見える、あなたの町の真実、生き残る町、.........(藻谷浩介、

中央公論、2006年6月号、72-83ページ)」を思い出した。この記事は地域の活性化に関するものであった。

 

この日の駐車場(9月24日)

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大内宿からの帰りに、国道131号線で会津鉄道「AIZUマウントエクスプレス号」と出会った。車体に、NHK大河ドラマのタイトル「八重の桜」が書かれている。

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前ブログ「こつなぎの写真ノート」から加筆転載。

 


日光・中禅寺スカイラインで雲海を見る、2010年10月

2015-01-08 | 日光・足尾

湖面から蒸発する水分を含む空気は、冷やされると霧になる。広範囲に発生した霧が停滞すると、その霧は雲海として見えるようになる。中禅寺湖は山で囲まれているので、気象条件が整えば、雲海が湖上に発生しても不思議ではない。しかし、ここで雲海が発生することは、珍しいと聞いている。

この日(23日)の朝、快晴で無風状態であった。そして、日光中禅寺湖スカイラインで、中禅寺湖の上に現れた雲海に、私達は出会った。


スカイライン第1駐車場にて

中禅寺湖が雲海で覆われている。中央は男体山(2460 m)である。右奥は女峰山などだ。雲海には、朝日による山の影が映っている(8時10分頃)。スカイラインは雲海での島の下を通っている。この場所では、私達は濃霧の中を通過した。

 

 

第1駐車場では、多くの人々が雲海の景観を撮っていた。中には、金精峠で雲海での日の出を撮ってから、この駐車場に移動してきた人がいた。3年間ほど、このような機会を待っていたとの人にも出会った。

日陰に入っている山の稜線では、紅葉が朝日を浴びて輝いている(8時20分頃)。

 

 

雲海は奥日光方向まで広がっていた(8時15分頃)。奥の山波において、(左から)錫ヶ岳 (2388 m)、白錫尾根(白桧岳(2394 m)、白根山(日光白根山、奥白根山、関東以北の最高峰)(2578 m)、前白根山(2373 m) である。

 

 

雲海が消え始めて、スカイラインが見えてきた。

 

  

私達は、雲海を全く予想していなかった。この日は、歌ヶ浜 (駐車) → 狸窪(むじなくぼ) → 半月峠 → 半月山展望台 → 第二駐車場 → 歌ヶ浜 (駐車)のコースを歩くつもりだった。しかし、歌ヶ浜の駐車場がすでに満車状態であった。そのため、予定を変更せざるをえなかった。結果として、私達は中禅寺湖の上での珍しい雲海に出会った。



さて、今日の朝刊には、「秋ぽっかり」とのタイトルで、23日に真上から撮った八丁出島の航空写真が掲載されていた(朝日新聞、24日、13版)。ここでは、半月展望台で撮った八丁出島の写真をアップする(望遠レンズ使用)。

 

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P.S.

午前7時過ぎに第1いろは坂(登り用)に入った。意外なことに、車の流れはスムーズであった。帰りは、二荒橋交差点から迂回経路を走行した。この交差点での渋滞解消の社会実験によるためであった。歌ヶ浜駐車場から第2いろは坂(下り)の入り口まで、約20分を要した(渋滞)。

半月山展望台(20人位まで)では、好みの位置で写真を撮りたい人々が陣取っていたりにて混雑していた。三脚を構え場所を譲らない人もいた。

 

こつなぎの写真ノートから加筆転載(2015年3月、再現像画像のアップロード)。


秩父紅などの福寿草、秩父市吉田・龍勢会館にて、2012年3月

2015-01-08 | 

福寿草(フクジュソウ、キンポウゲ科多年草)には多くの変種がある。園芸種を入れると百種類以上のものが知られているらしい。

江戸初期から正月の飾り花として栽培され、江戸末期には新年を祝う花として人気があった(花の大歳時記、角川書店)。

暖炉たく部屋暖かに福寿草(正岡子規)

 

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落ち葉の中で咲く福寿草の花を見るのも一興である。

道の駅「龍勢会館」(秩父市吉田、県道37号)の裏山では、「秩父紅」と呼ばれる秩父地方の固有種が植栽されている。


秩父紅の植栽地(一部)、龍勢会館にて、2012年3月3日

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秩父紅の花


ところで、福寿草では新葉が伸びきらぬうちに茎頭で大きな花が開く。

この姿はデフォルメを感じさせる。しかし、花の形と色には魅力が満ちている。

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花のクローズアップ

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花が開いてあまり時間が経っていないもの

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秩父紅の他に、在来種なども植栽されている。

黄金色の花

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「福寿草家族のごとくかたまれり」(福田蓼汀)

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撫子ような形の花びらを開いている福寿草もあった。

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これらの福寿草をゆっくりと眺めてから、私達は石間沢口の自生地に向かった。

福寿草は、元日草、報春花、長寿菊、福神草、福つく草などとも呼ばれる。花が黄金色であるためであろう。

秩父紅には、固有の別名があるだろうか。

 

 


自生地の福寿草、秩父市吉田・石間沢口、2012年3月

2015-01-08 | 

福寿草(フクジュソウ)をキンポウゲ科の多年草である。庭で育ててみたいが、自生地あるいは植栽地で、数多くの花を見ることも面白い。昨日(3月3日)、私達は秩父市吉田・石間沢口の自生地に向かった。秩父観光協会吉田支部のホームページで、自生地の福寿草が咲き始めたことを知ったからだ。


自生地は私有地内にある。民家の庭を通って、その地に行く(3月3日午後)。

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入り口の奥にある庭では、福寿草が午後の日差しで元気に輝いていた。

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「自生地にて」

庭に置いてある協力募金箱に協力の意を示し、私達は自生地へと急いだ。自生地は山の北側斜面(麓から、中腹、そして尾根までにおいて、1,000平方メートル)にある。

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山麓の様子、奥のものは自生地の案内板

通路にはロープが張られている。この年は寒さで福寿草の開花が遅れているとのことであった。福寿草が生えている様子を矢印で示す。

 

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山麓での自生地の先にも、福寿草が自生しているとの案内に誘われて、私達はかなり勾配の山道を登った。山道には、立ち入らないようとのロープが張ってある。道はよく整備されているが、靴などについては、山道を歩くつもりで準備をするほうがよいだろう。

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既に、自生地が日陰になっているためか、それとも開花が遅れているためであろうか。大部分の花は閉じていた。福寿草の花は、日差しを受けると開くが、日差しがなくなると閉じる性質を持っている。ところで、福寿草の花びらは萼よりも大きい。花が閉じていると、花びらの裏側と萼の色や形などがよく分かる。萼は花びらを守るマウントのように見える。

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落ち葉を払いのけて、顔を出した福寿草

花が開き切っているものにはない雰囲気、いきいきとした野生感が素晴らしい。

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山腹にて、福寿草は落葉樹林内の日照があるところにに群生していた。

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ロープにさげられていた手書きの呼びかけ、そして福寿草の蕾

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道から離れたところにある群れを、望遠レンズで撮った(焦点距離、200 mm(35 mm換算、320 mm))。

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ところで、石間沢口ではの福寿草は花弁が大きい在来種であるといわれている(吉田支部ホームページから)。

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福寿草群生地の入り口付近の山麓には節分草が群生していた。節分草は石灰岩地質を好む。

秩父地方は石灰岩の宝庫である。

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北アルプスの展望、上信越自動車道・佐久平PAにて、2012年3月

2015-01-07 | 自動車道PA/SA

上信越自動車道において、群馬県側から長野県側へと続くトンネル(12箇所、最長距離は 4km(八風山))の通過から開放された直後、気象条件に恵まれると、北アルプス連峰が視野に入って来る。そのようなとき、私達は迷わず佐久平PAに寄る。

佐久平PAからは西に北アルプス連峰、南に八ヶ岳連峰の展望が素晴らしい。このPAには、ハイウエイオアシス(佐久平ハイウエイオアシス「パラダ」)があり、エスカレータでオアシス内の高い場所にアクセスできる。撮影、2012年3月29日11時半頃。

 

北アルプス連峰、エスカレータの降り口付近にて


 

上の画像に対応する展望図(カシミールによる)

穂高連峰から白馬乗鞍岳に至る、40座以上の高峰が一望できる。


槍ヶ岳を中心とする展望(望遠)

湯の丸山(長野県)や烏帽子岳(長野県)などの山頂からの展望には及ばないが、自動車道PAからとしては出色の眺めである。





 対応する展望図(カシミールによる)

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烏帽子岳(2,066 m、長野県東御市)の山頂にて、2011年11月1日

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鹿島槍ヶ岳(双耳峰)を中心とする展望(望遠)、エスカレータの降り口付近にて


 湯の丸山や烏帽子岳などの2,000 mクラスの山頂からは剱岳が見えるが、PAからもこの高峰を遠望できる。

展望図(カシミールよる)

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針ノ木岳から鹿島槍ヶ岳までの展望。針ノ木岳そして蓮華岳の右に立山が見える。


烏帽子岳の山頂にて、2011年11月1日

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冠雪の峰において、左は立山、右は剱岳だ。双耳峰の岩峰が鹿島槍ヶ岳である。

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 下り線のPAからの展望も魅力的である。



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ところで、ハイウエイオアシスからの八ヶ岳連峰などの眺めも素晴らしい。

逆転相の発生で霞が漂っている八ヶ岳連峰の姿は運転の疲れを忘れさせる。


ここで眺める蓼科山(右、2531 m、八ヶ岳連峰北端の山)

 

自動車道のPAでは、上り線と下り線で展望が異なる場合が多い。佐久平PAでは、どちらの側からもハイウエイオアシスにアクセスできる。そして、展望の醍醐味を味わうことができる。


2016年10月30日、画像の再現像。2017年12月16日、拡大用画像のアップロード。2023年10月 再現像(一部)


 


富士山を眺める。東北自動車道・佐野SAにて、2013年1月

2015-01-07 | 自動車道PA/SA

私達は国道50号、北関東・東北・外環・常磐自動車道にて目的地に向かった。そして、途中で佐野SA(栃木県、上り線)に寄った(午前10時頃)。

 

このとき、SAは優れた富士山の展望台であった(焦点距離84 mm(35 mm判換算 135 mm))。

 

 

 

 富士山のクローズアップ(焦点距離200 mm)

 

 

富士山はSAから約100 km離れている。しかし、その姿は大きくインパクトのあるものであった。富士山の左側(山裾)の突起は宝永山である。ところで、夜明けのときは、どのような光景が現れるだろうか。いつか確かめてみたい。

 

 

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SAにおいて、山の展望は富士山だけではなかった。八ヶ岳連峰、両神山、赤城山、浅間山などを、この日は望むことができた。

南八ヶ岳(冠雪、左から赤岳、横岳、硫黄岳)、170 mm(35 mm判換算 270 mm)

 

 雪雲で霞む赤城山(155 mm(35 mm判換算 250 mm))。この山の大きさを再認識した。

 

浅間山(山頂が見えるだけであったが(200 mm(35 mm判換算 329 mm)。

 

両神山(右側の岩峰、秩父連山)

 

 

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帰りは常磐自動車道、友部JCTから北関東自動車へと遠回りをした。北関東自動車道において、筑波山、富士山、高原山、浅間山、赤城山などの夕景が美しかった、ドライバーにとって落日は眩しかったが、赤く大きな陽が落ちていく光景は感動的であった。次回は、助手席に座り、シャッターを切ることにしよう。

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2021年11月25日、再現像画像(RAW→JPG)のアップロード

 


兼六園での雪景色とマンサクの花、2011年2月

2015-01-07 | 公園・庭園

兼六園。その名の由来は面白い。入場のときにもらったパンフレットには、「加賀藩12代藩主・前田斉広(なりなが)から依頼を受けた、奥州白河藩主・白河楽翁が、六勝(宏大・幽すい・人力・蒼古・水泉・眺望)を兼備するとの意味で、兼六園と命名した。」とある。(「すい」を漢字で書くと、ココログではエラーが発生する)

 

ところで、白河楽翁(松平定信)は茶人であり、優れた作庭家でもあった。福島県白河市には、楽翁が造園した南湖公園(国指定史跡名勝)がある。かつて、小生は風雅に満ちた南湖公園で何度か遊んだことがある。そのためであろうか。兼六園の命名の由来に、ある種の感慨を覚える。

 

さて、昨夜(6日)とは異なって、7日の朝は雨が降っていた。しかし、私達が入場する頃には晴れ間が見え始めた。園内には雪がかなり積もっている。この場所での積雪は無料のモデル(?)の身長の半分近くまでとなっているようだ。しかし、通路の除雪は行き届いている。


2011年2月7日11時40分頃

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徽軫灯籠のそばにある楓では、雨滴が枯枝(葉を落とした枝)に付いている。この雨滴が日差しを受けて輝く瞬間をしばし待った。霞ヶ池の水面は2/3程度凍っていた。融けている場所で鴨が泳いでいる。池の奥の建物は内福亭である。12時頃。

 

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瓢池のそばに、夕顔亭と名付けられた茶室がある。この茶室は園内でもっとも古い建物(1774年(安永3年)とのこと。道を隔てての立木が茶室の風情にマッチしている。亭にある竹根石手水鉢は雪に埋もれているようであった。

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夕顔亭にて。もう一つの手水鉢、12時40分頃

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園内では、私達の願いに応えてくれるかのように、マンサクの花が咲いていた。幹に「満作」との名札が付けられている。雪と満作の花、兼六園ならでの組み合わせだ。


雪を背景とする満作の花は際立って美しい。花には雨滴がついている。しかも、雨滴には他の花が映っている。花の色は、雪による光の反射でが一段と冴えている。

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さあ、帰らなければならない。旧石川城の数少ない遺構の1つ、石川門(1788年(天明8年)建立)を見ながら、駅行きのバスを待つ。今回は、石川城公園に寄る時間がなくなってしまった。


門の屋根は鉛瓦であるために白く見える。この場面では、背景として青空が欲しかった(14時20分頃)。

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私達は2月6日、7日の両日で3回ほど兼六園の中を歩いた。兼六園のみならず、園に隣接する石川県立伝統産業工芸館に入場したり、近くの和菓子屋の老舗に寄ったりしたが、カミさんの歩数計は、2日間で約3万歩となっていた。兼六園は広い。

 

 


富士山の山頂への落日、2014年1月

2015-01-07 | 夕景

何時か、私達はダイヤモンド富士を撮りたいと思っていた。自分達が住んでいる街の位置は、富士山の東方向もしくは西方向から大きく外れている。そのため、自分達にとって、ダイヤモンド富士は絵に描いた餅の如しであった。


昨年の1月中旬、富士山を遠望できる場所にお住まいのAさんご夫妻から、夕陽が富士山の山頂に沈む光景を見ませんかとの誘いを受けた。自動車道(北関東、東北、外環、常磐)を2時間ほどドライブして、私と家内はその遠望スポットに向かった。

 

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茨城県南部の市街地で撮った画像から

この日は晴天であったが、夕刻が迫ってくるにつれて雲が多くなった。さらに、濃い霞のために富士山が全く見えなかった。


ビルの奥に富士山が現れることを期待して、15時45分頃。

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夕陽が沈み始めると、富士山の姿が浮かび出てきた。フォーカスと露出条件はマニュアル設定にして、イベントを待ち構えた(16時32分)。

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霞は減光フィルターになった。撮り手は躊躇することなく太陽にレンズを向けた。当然のことながら、このイベントを肉眼で直視することはできなかった。


夕陽と山頂があたかも接触したように見えたとき、上空の雲がリング状に輝き始めた。16時36分20秒。



 


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夕陽は山頂に沈みつつあった。紅色の光景に感動を覚えながら、撮り手はシャッターのリモートスイッチを押した(連写)。


16時37分10秒

 

16時38分20秒



16時38分40秒


16時41分15秒

 



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12日の前後(11日と13日)、陽が沈む始めたとき、富士山は厚い雲の彼方となったしまったとのことであった。したがって、12日は奇跡的とも言えそうな機会となった。私達はAさんご夫妻に深く感謝したい。


イベントが終わってから、上空に漂う雲の美しさが一段と増した(16時45分頃)。その後、富士山のシルエットは、余韻にひたっている私達の視界から消えた。

 

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こつなぎの写真ノートから、部分的に画像を入れ替えて転載。

 


雲海とアカヤシオ、赤城山鳥居峠にて、2014年5月

2015-01-07 | 赤城山

赤城山で、アカヤシオの花が目立ち始めた。 鳥居峠で東側(利平茶屋方面)を眺めると、眼下の尾根を彩る淡紅色の群れが視界に入ってくる。

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自分達の街で望む赤城山(一部)。画像には入れていないが、左側に荒山と鍋割山がある。鳥居峠には、かつて地上ケーブルカー駅があった。この峠は車でもアクセスできる展望台だ。

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一作日(6日)、赤城山の東・西・南方向は雲海で覆われた。斜めからの陽光を浴びる雲海、山影、青空、そして山肌のコントラストが、私達には印象的であった。

鳥居峠にて、東方向、16時40分頃


右奥のクローズアップ、16時40分頃

 

長七郎山や小地蔵岳による影はたびたび変化した。山影が薄くなると、アカヤシオの彩りが浮かび出る。また、陽射しを浴びているダケカンバの赤味を帯びた新芽も目立つ。たらればの思いは、この木のそばにアカヤシオである(16時45分頃)。

アカヤシオが群生している尾根のクローズアップ(16時45分頃)


アカヤシオの城に雲海の波(霧)が押し寄せてきた。尾根の背後では、長七郎山の影が霧のスクリーンに投影され始めた(16時50分頃)。


自分がいつかは撮ってみたいと思っていたシーンから(16時50分頃)

 


ところで、雲海がまだはっきりとしていないときの光景。このときは、数人のカメラマンが撮影していた。鳥居峠にて、13時頃。




13時半から16時頃まで、私達は地蔵岳の山頂で雲海などの眺めをエンジョイし、アカヤシオの尾根が日陰に入る時を待った。画像において、(右から)長七郎山、小沼、小地蔵岳、鳥居峠(小地蔵岳の向こう側)、篭山、覚満淵(湿原)、駒ヶ岳山麓。最奥の山陵は袈裟丸山だ。なお、篭山にはアカヤシオが群生している。

 

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EOS 6D、EF 17-40 mm f4L、EF 70-200 mm f4L、DPP + Aperture 3.5。

こつなぎの写真ノートから転載。




雲海と展望、赤城山地蔵岳にて、2014年5月

2015-01-07 | 赤城山

地蔵岳(1673 m)は、旧中央火口丘として展望の頂きである。気象条件が整うと、山頂での褒美は広大な展望となる。また、山頂は赤城山内の峰や湖を一望する上でも格好の位置にある。この記事での画像は、5月6日に撮った。


青空、巻雲、そしてアンテナ群(山頂にて、15時30分頃)

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巻雲は、寒気と暖気が上空でぶつかりあっていることを暗示する。


この日(6日)、赤城山の東、南、西方向は雲海で囲まれていた。しかし、北方向の展望は、トップクラスにランクしたくなるほど、クリアーであった。このような景色が待っているからこそ、登ったときの高揚感は強くなる(撮影、15時頃)。

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山内では、左から黒檜山(最高峰、1828 m)、小黒檜山、五輪尾根、大沼。最奥の稜線では(左から)武尊山、笠ヶ岳、至仏山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、四郎岳など。


カシミール3Dによる山座同定図

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武尊山(左)から燧ヶ岳(右)までのクローズアップ

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上越国境方面のクローズアップ

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カシミールによる山座同定。

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黒檜山の右奥(駒ヶ岳の上奥)は、袈裟丸山、男体山(日光)など

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地蔵岳信仰の面影(16時頃)

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山頂からは、赤城山の三方向が雲海で囲まれていることが一目瞭然となる。東方向。(左から)駒ヶ岳、篭山、鳥居峠、小地蔵岳、長七郎山、そして小沼。小沼の色は見る角度、天候、季節に応じて変わる。


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左端の頂は駒ヶ岳、奥の稜線は袈裟丸山だ。中央の窪地(水面)は覚満淵、右端は小地蔵岳である。かつて、覚満淵は豊かな植生の湿原であった。

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東南方向では、気温の逆転相と雲海の眺めがはっきりとしていた。逆転相の上に富士山が見えると、絵葉書の構図ができあがるだろう。この日、構図は未完成であった。


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南西方向では、荒山(1571 m)と鍋割山(1332 m)が雲海の岸辺の如くに見えた(15時50分頃)。南側(左)と北側(右)での差は、赤城山で雲海ができる気象条件を探る上で興味深いかもしれない。これらの山と地蔵岳の標高差は、それぞれ100 mと350 mである。画像において、左の切れ目は銚子の伽藍である。


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銚子の伽藍のクローズアップ。伽藍は小沼を源とする川が流れ落ちる峡谷だ。痩せ尾根の先端の展望台からの眺めには迫力がある。しかし、伽藍では転落死事故が過去に起きている。


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時刻は16時。山頂には私達だけとなってしまった。アカヤシオの尾根が日陰に入る時間帯を逃したくない。急いで鳥居峠に戻った。山頂と八丁峠登山口との標高差は約200 mである。私達のようなスロー派でも、30分程度で山頂に着く(ただし、花の季節では1時間)。


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こつなぎの写真ノートから転載。

 

 


上空から八ヶ岳連峰を眺めると

2015-01-04 | 空路にて

八ヶ岳連峰を遠望するとき、上空から眺めた連峰の姿が脳裏に蘇ってくる。搭乗機(成田発ソウル行き便)は連峰付近の上空を通過した。そのとき、三ツ頭、権現岳、赤岳、阿弥陀岳などから蓼科山まで、連峰の構成する山頂と稜線のすべてを一望することができた。

八ヶ岳連峰の全体像、2013年3月上旬14時頃



カシミールによる展望図

 

全体像、左下に棚田、右奥には浅間山など見える。


 

南八ヶ岳、岩峰群のクローズアップ

 

 

蓼科山を中心にした北八ヶ岳

奥には、(右から)浅間山、剣ヶ峰、高峰山、湯の丸山、烏帽子岳など


右端には蓼科山、左端には諏訪湖、中央には霧ヶ峰(車山、八島ヶ原など)。


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県境(長野・群馬)の山波の上空には雲が浮かんでいた。自分達の展望スポットで八ヶ岳が見えないときは、このような雲が視界を遮っているのであろうか。そんなことを思いつつ、シャッターボタンを押した。雲が円盤状に見えることも面白い。



10分後には、北アルプスの鋭峰が視界に入ってきた。




画像は最後尾の窓際席(右側)で撮った(もちろん、エコノミークラス(苦笑))。ところで、これ以後は、天候に恵まれないなどのために、画像のような景色を眺めるチャンスがない。

 

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Coolpix P7700、マニュアル設定、RAW、現像 Aperture 3.5。

2018年8月12日、再現像画像のアップロード。

 


今年のお年玉、八ヶ岳連峰の遠望、2015年1月上旬

2015-01-02 | 山を眺める

今朝、ライブカメラの撮影映像で長野県側の天候が良好であると知って、私達は市内の展望スポットに向かった。そのスポットで眺めると、八ヶ岳連峰や浅間山が驚くほど明瞭に聳え立っている。80-100kmも離れているにもかかわらず、長野県側の高山がこれほどまでにはっきりと望めるチャンスはは多くない。朝の強い冷え込み、山での積雪、太陽の方向などによる賜は、私達にとって嬉しいお年玉となった。撮影、1月2日9-10時。


市街地の奥に、八ヶ岳連峰(2500-3000 m)を望む(群馬県桐生市白葉峠付近にて、2日午前9時頃)。

山座同定(カシミール)

 

南八ヶ岳(権現岳、赤岳、横岳、硫黄岳、天狗岳など)のクローズアップ

 

 北八ヶ岳(縞枯山、横岳(北横岳)、蓼科山など)と荒船山(テーブル形)


 

10時頃での八ヶ岳(雲が南八ヶ岳を覆い始めた)

 

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八ヶ岳連峰の北側では、浅間山(右)と妙義山(中央奥)がパノラマの核となっている(左端の雪山は蓼科山)。

 


ところで、先週から夕陽が八ヶ岳連峰に沈むようになった。午後は雲が多くなってしまったので、今日の落日は見ていない。


先週後半での落日(12月27日16時半頃)




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EOS 6D、EF 70-200 mm F4L、CPLフィルター使用、RAW、DDP4 or Aperture 3,5。落日はHDR撮影。



迎春、朝光を浴びて

2015-01-01 | 

 

謹 賀 新 年







昨夜は強い風が吹きましたが、今日は静かな朝を迎えました。本年もよろしくお願いいたします。


庭の山茶花と筑紫石楠花です。

山茶花は例年よりも早く咲き始めました(昨年12月上旬から)。

どちらも昨夜の強風に耐えて、朝の光を浴びています。