11月の《道元とカウンセリングコース》のご案内です。
日 時 :11月15日(金) 午後6時30分~8時30分
場 所 :タワーホール船堀(部屋は、入口の掲示板をご覧ください)
《当日の流れ》
・『正法眼蔵 他心通』音読
・坐 禅(15分) ☆楽な服装でお越しください。
・『正法眼蔵 仏向上事』第6回目の解説
・質疑・応答&楽談
◎その他
①会費+会場費 大人1000円 大学生500円
②テキスト等は、事務局で用意しています。
(準備の都合があります。初参加の方は、ご一報をお願いします)
③《くりのみ会》は、特定の団体・宗教・宗派とは関係ありません。
どなたでも参加できます。
④勉強会の後、夕食&懇親会もあります。(20:40~21:40頃)
自由参加。毎回、楽談で盛り上がります。
*初めてご参加の方は、ご一報をください。(鈴木)
090-7808-2201 s75sntr*docomo.ne.jp
*を@にしてください。
区立図書館で、
『金子大栄随想集 第一巻』を借りて読んでいます。
本書から、「不可思議光」について【落穂拾い】しました。
反省によってあらわれる南無の心は、必然に南無阿弥陀佛にむかうのであります。
しかし、その阿弥陀佛とはいかなるものであるかは、まだ説明しないのでありますから、
今の分はただあるものでよいのであります。
何物かの前に合掌礼拝する、それが人生の自覚においてあらわれねばならないものであります。
そのあるものはおそらく「光」と呼ばれるべきものでありましょう。
帰依の心は不可思議なる光の前に、あらわし出された暗の自己を見るからです。
しかし我等は、その光の何たるかを究める前に、深くわが暗に眼覚めねばなりません。
真に暗を知る心は、そのまま光にむかわしめるのであります。
まことに不可思議な光であります。
それゆえ親鸞は、南無不可思議光如来と呼ばれました。
それこそは親鸞の自性の反省であり、人生苦における心証であったのであります。
そればこの帰依の道は、決してかぎられた人の特別なるものではありません。
たといその道を行く人は少なくとも、道それ自体は何人といえども必ず行かねばならないものであります。
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カウンセリング研究会【くりのみ】のホームページに、
【落穂拾い】No364を更新しました。
→ http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/otibohiroi/360-369/otibo364/page001.htm
内容は、ロジャーズのパースナリティ理論の《命題2》についてです。
明日の学習会で、《命題2》を読みます。
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昨日に続いての法然上人のことばです。
『法然全集 第三巻』
1989年12月20日 第一刷
春秋社
問い
浄土の教えを知るには、まず何を見て心にかなうようにしたらよいでしょうか。
答え
経典では『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』を、
浄土の三部経と名付けています。
書き記されたものでは、善導の『観経疎』『六時礼讃』『勧念法門』、
道綽の『安楽集』、慈恩の『西方要決』、懐感の『群疑論』、
天台の『十疑論』、我が国の人では恵心の『往生要集』などが、
常に人の見るものです。
ただし、何もご覧にならなくても、
よく心得られて念仏をを申し上げれば、
往生するのにどのような疑いがおこりましょうか。
問い
それでは、念仏の安心をどのように心得たらよいでしょうか。
答え
三心を具えるようにしなさい。
その三心というのは、
一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心です。
来年1月から、
「声明と楽談(座談)」の勉強会をスタートする予定です。
皆さんのご参加をお待ちしています。
区立図書館で、
『法然全集 第三巻』
1989年12月20日 第一刷
春秋社
を借りてきて読んでいます。
本書の、「問答集」からの【落穂拾い】です。
問い。
念仏をとなえている人たちが、毎日となえるつとめとして、
声をたてて申す人もいれば、心のうちで念じ数をかぞえている人もいますが、
どちらの方がよいのでしょうか。
答え。
それは口に出してとなえるのも名号ですし、
心に念ずるのも名号ですから、
どちらの方法とるにしても往生のはたらきとなります。
ただし、仏の本願は名をとなえる願ですから、声を出してとなえるべきです。
それ故、『観無量寿経』には「声を絶えないように、十念をっとなえよ」と説き、
『往生礼讃』には「私の名号をとなえ、少なくとも十声の念仏に至るまで」と説明しています。
耳に聞こえる程度ならば、高声念仏のうちに入ります。
そうであるからといって、そしり嫌われることも知らないで高声でとなえることはよくありませんが、
本来は声に出してとなえるものと思って下さい。