法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
ZOOM法音道場のご案内
主宰者の《日乗》

外苑のイチョウ葉も・・・

2013年11月12日 22時45分27秒 | 日乗

午後、テニスに誘われて、青山方面に出かけました。

JR信濃町からイチョウ並木抜けました。

昨日からの寒波もあり、イチョウの黄色も濃くなってきました。

来週あたりには見頃になるでしょう。



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11月の《道元とカウンセリングコース》のご案内

2013年11月11日 22時37分58秒 | カウンセリング研究会【くりのみ】

11月の《道元とカウンセリングコース》のご案内です。

 日 時 :11月15日(金) 午後6時30分~8時30分
 場 所 :タワーホール船堀(部屋は、入口の掲示板をご覧ください)

《当日の流れ》
 ・『正法眼蔵 他心通』音読
 ・坐 禅(15分) ☆楽な服装でお越しください。
 ・『正法眼蔵 仏向上事』第6回目の解説
 ・質疑・応答&楽談


◎その他
  ①会費+会場費  大人1000円    大学生500円
  ②テキスト等は、事務局で用意しています。
    (準備の都合があります。初参加の方は、ご一報をお願いします)
  ③《くりのみ会》は、特定の団体・宗教・宗派とは関係ありません。
    どなたでも参加できます。
  ④勉強会の後、夕食&懇親会もあります。(20:40~21:40頃)
    自由参加。毎回、楽談で盛り上がります。

*初めてご参加の方は、ご一報をください。(鈴木)
  090-7808-2201   s75sntr*docomo.ne.jp
                    *を@にしてください。

 

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冬到来!木枯らし一号

2013年11月11日 22時17分31秒 | 日乗

好天に誘われて、お昼ごろ、江戸川河川敷に出かけました。
少々風は吹いていましたが、太陽の光が温かく気持ち良かったです。

2時過ぎ、北の空に黒雲。

急いで帰宅したところ、突然の降雨。

その後、急激に温度が下がりました。

TVニュースでは、木枯らし一号との「ことです。

フィリピンでは、台風で大きな被害がでているようです。
大勢の方々がお亡くなりになっているようです。

大自然に対立するのではなく、折り合いをつける智慧が必要に思います。


南無阿弥陀仏
合掌

 

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2013年11月10日 11時25分49秒 | 日乗

親鸞は「光明は智慧のかたち」「智慧は光明のかたち」と両端をたたえて解釈せられました。
この智慧はすなわち我等に自性を反省せしめしものであります。
この光明はすなわち煩悩具足の自覚において感触せるものであります。
眼は光によってものを見ることは、あるいは眼が物を見るともいい、
あるいは光が物を照らすとも言い得るでありましょう。
智慧とは自性の暗を見る眼であり、業障の深さを照らす光でありましょう。

『金子大栄随想集 第一巻』
雄渾社 



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「不可思議光」の前に

2013年11月09日 22時11分44秒 | 日乗

区立図書館で、
『金子大栄随想集 第一巻』を借りて読んでいます。

本書から、「不可思議光」について【落穂拾い】しました。

反省によってあらわれる南無の心は、必然に南無阿弥陀佛にむかうのであります。
しかし、その阿弥陀佛とはいかなるものであるかは、まだ説明しないのでありますから、
今の分はただあるものでよいのであります。
何物かの前に合掌礼拝する、それが人生の自覚においてあらわれねばならないものであります。
そのあるものはおそらく「光」と呼ばれるべきものでありましょう。
帰依の心は不可思議なる光の前に、あらわし出された暗の自己を見るからです。
しかし我等は、その光の何たるかを究める前に、深くわが暗に眼覚めねばなりません。
真に暗を知る心は、そのまま光にむかわしめるのであります。
まことに不可思議な光であります。
それゆえ親鸞は、南無不可思議光如来と呼ばれました。
それこそは親鸞の自性の反省であり、人生苦における心証であったのであります。
そればこの帰依の道は、決してかぎられた人の特別なるものではありません。
たといその道を行く人は少なくとも、道それ自体は何人といえども必ず行かねばならないものであります。


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11月の《教育とカウンセリングコース》が終了しました。

2013年11月09日 21時35分08秒 | 日乗

本日午前、 11月の《教育とカウンセリングコース》 が終了しました。

ご参加は、総勢8名(男性4名 女性4名)でした。

3名の方から、ご都合で欠席の連絡がありました。
ありがとうございます。

学習の内容は、予定通りでした。
◆懐奘  『正法眼蔵随聞記』の音読    
◆ロジャーズ著 『パースナリティと行動について一理論』 音読&意見交換
◆井戸端(楽談) 

(命題2)に関連で、父親との関係についての体験談がだされました。
また、お二人の方から、初めてカウンセラー経験の事例を語ってもらいました。


次回は、12月7日(土)です。
皆さんのご参加をお待ちしています。

 

 

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昭和の歌姫・島倉千代子さんが逝去

2013年11月08日 23時47分46秒 | 日乗

昭和の歌姫・島倉千代子さんがお亡くなりになりました。

戦後生まれの方々には、お姉さん的な歌手で、
ラジオから流れる島倉さんの歌声をよく覚えていることでしょう。

「この世の花」
「りんどう峠」
「逢いたいなアあの人に」
「東京だよおっ母さん」
「からたち日記」
etc
そして、1967年の「人生いろいろ」

ありがとうございました。


南無阿弥陀仏
合掌

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【落穂拾い】No364を更新しました。

2013年11月08日 23時42分47秒 | 【落穂拾い】

カウンセリング研究会【くりのみ】のホームページに、
【落穂拾い】No364を更新しました。

→ http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/otibohiroi/360-369/otibo364/page001.htm

内容は、ロジャーズのパースナリティ理論の《命題2》についてです。

明日の学習会で、《命題2》を読みます。


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法然上人のことば

2013年11月07日 23時11分18秒 | 日乗

昨日に続いての法然上人のことばです。

 『法然全集 第三巻』
1989年12月20日 第一刷
春秋社

問い
浄土の教えを知るには、まず何を見て心にかなうようにしたらよいでしょうか。

答え
経典では『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』を、
浄土の三部経と名付けています。
書き記されたものでは、善導の『観経疎』『六時礼讃』『勧念法門』、
道綽の『安楽集』、慈恩の『西方要決』、懐感の『群疑論』、
天台の『十疑論』、我が国の人では恵心の『往生要集』などが、
常に人の見るものです。
ただし、何もご覧にならなくても、
よく心得られて念仏をを申し上げれば、
往生するのにどのような疑いがおこりましょうか。

問い
それでは、念仏の安心をどのように心得たらよいでしょうか。

答え
三心を具えるようにしなさい。
その三心というのは、
一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心です。

 

来年1月から、
「声明と楽談(座談)」の勉強会をスタートする予定です。

皆さんのご参加をお待ちしています。

 

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法然上人のことば

2013年11月06日 21時00分09秒 | 日乗

区立図書館で、

 『法然全集 第三巻』
1989年12月20日 第一刷
春秋社


を借りてきて読んでいます。

本書の、「問答集」からの【落穂拾い】です。

 問い。
念仏をとなえている人たちが、毎日となえるつとめとして、
声をたてて申す人もいれば、心のうちで念じ数をかぞえている人もいますが、
どちらの方がよいのでしょうか。

答え。
それは口に出してとなえるのも名号ですし、
心に念ずるのも名号ですから、
どちらの方法とるにしても往生のはたらきとなります。
ただし、仏の本願は名をとなえる願ですから、声を出してとなえるべきです。
それ故、『観無量寿経』には「声を絶えないように、十念をっとなえよ」と説き、
『往生礼讃』には「私の名号をとなえ、少なくとも十声の念仏に至るまで」と説明しています。
耳に聞こえる程度ならば、高声念仏のうちに入ります。
そうであるからといって、そしり嫌われることも知らないで高声でとなえることはよくありませんが、
本来は声に出してとなえるものと思って下さい。

 

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