こんな時期外れに39度を出して寝込んでしまった。と思ったら今度は台風である。ニュースや新聞をちゃんと見ないうちにも、世の中は動いている。さて、ようやく「入れ墨問題」について書く元気が出てきた。というか、「入れ墨問題」自体がなかったんでは、と書いたばかりだけど、それでも「今回の入れ墨問題の語られ方」はちゃんと考えて見る必要があると思う。
昔、英語やなんかの授業で「5W1H」というのを聞いただろうと思う。問題を考えるときの基本というのは、いつも変わらずそれですね。で、「いつ」「なぜ」が報道ではよく判らない。報道は「処分もされてない」という形で2月頃にあるようだけど、大阪以外の人の多くは「入れ墨全員調査をやる」という破天荒な決定を聞いたからだと思う。また「なぜ」が出てこないのは、先に書いた「入れ墨威嚇事件そのものがなかったのでは」ということと関係がある。それはともかく、
①Where 大阪の公立児童福祉施設で
②Who 職員(公務員)が
③How 入れ墨を見せびらかすことにより
④What 施設の児童をおどした
では、以上の中で、何が一番問題なんだろうか?「公務員が入れ墨をしていたこと」だろうか?じゃあ、「大阪では私立の福祉施設で、職員が入れ墨をして入所者を脅してもいい」が「公立の施設では、脅しに使わなくても、入れ墨をしているだけでもいけない」ということになってしまわないか。それで正しいのか。
もちろん、それでいいという考えもあるだろう。私立施設でも入所者への脅しがあってはいけないが、私立の場合「評判が落ちる」ことで「入所者が減り」、「改善される」か「自然淘汰されてつぶれる」と考えるわけである。完全な市場絶対主義の立場である。
しかし、僕にとっては(多分多くの人にとっても)、「施設内で職員による威嚇事件があった」(まあ、あったということで)、ということが一番のポイントだと考える。公務員じゃなくて私立の施設で起こっても問題だし(施設の設置や入所は、市場原理で決まるわけではなく、都道府県や市町村が関与するわけだし)、公務員が入れ墨をしていいかは別にして、「入れ墨は手段」だと初めから報道されている。手段に過ぎないものを誇大に取り上げ、それ自体が大問題だというやり方は論点をずらす際の基本テクニックである。今回も実に見事な手際だと、批判は批判ながら感心もしてしまう。
職員が入所者を脅すというのは、つまり施設職員という上からの立場を利用して、弱いものにあたるということだから、つまり「パワハラ」(パワー・ハラスメント)である。当初、報道された事態の本質は「パワハラ」なのである。だから、対策を取るというなら、「パワハラ防止に向けた研修」を行うといった方向しかありえない。しかし、それは市長にとって大変困った展開だっただろう。なぜなら、「パワハラの例示」の中には、「公開叱責(多数の面前での叱責)」「感情を丸出しにする上司」「給料泥棒呼ばわりする」「退職勧奨や脅し」などいったものが含まれるからである。何だ、橋下市長自身がやってることじゃないですか、ということになってしまう。だから、問題を「公務員が入れ墨をしていいのか」とすり替え、「入れ墨をしたいなら公務員を辞めてください」と、まさに「パワハラにはパワハラ」で応酬しているのである。
入れ墨問題について、その本質に関してはそう考えているけれど、では入れ墨調査や「公務員は入れ墨をしていいのか」問題はどう考えればいいのだろうか。それは次回。
昔、英語やなんかの授業で「5W1H」というのを聞いただろうと思う。問題を考えるときの基本というのは、いつも変わらずそれですね。で、「いつ」「なぜ」が報道ではよく判らない。報道は「処分もされてない」という形で2月頃にあるようだけど、大阪以外の人の多くは「入れ墨全員調査をやる」という破天荒な決定を聞いたからだと思う。また「なぜ」が出てこないのは、先に書いた「入れ墨威嚇事件そのものがなかったのでは」ということと関係がある。それはともかく、
①Where 大阪の公立児童福祉施設で
②Who 職員(公務員)が
③How 入れ墨を見せびらかすことにより
④What 施設の児童をおどした
では、以上の中で、何が一番問題なんだろうか?「公務員が入れ墨をしていたこと」だろうか?じゃあ、「大阪では私立の福祉施設で、職員が入れ墨をして入所者を脅してもいい」が「公立の施設では、脅しに使わなくても、入れ墨をしているだけでもいけない」ということになってしまわないか。それで正しいのか。
もちろん、それでいいという考えもあるだろう。私立施設でも入所者への脅しがあってはいけないが、私立の場合「評判が落ちる」ことで「入所者が減り」、「改善される」か「自然淘汰されてつぶれる」と考えるわけである。完全な市場絶対主義の立場である。
しかし、僕にとっては(多分多くの人にとっても)、「施設内で職員による威嚇事件があった」(まあ、あったということで)、ということが一番のポイントだと考える。公務員じゃなくて私立の施設で起こっても問題だし(施設の設置や入所は、市場原理で決まるわけではなく、都道府県や市町村が関与するわけだし)、公務員が入れ墨をしていいかは別にして、「入れ墨は手段」だと初めから報道されている。手段に過ぎないものを誇大に取り上げ、それ自体が大問題だというやり方は論点をずらす際の基本テクニックである。今回も実に見事な手際だと、批判は批判ながら感心もしてしまう。
職員が入所者を脅すというのは、つまり施設職員という上からの立場を利用して、弱いものにあたるということだから、つまり「パワハラ」(パワー・ハラスメント)である。当初、報道された事態の本質は「パワハラ」なのである。だから、対策を取るというなら、「パワハラ防止に向けた研修」を行うといった方向しかありえない。しかし、それは市長にとって大変困った展開だっただろう。なぜなら、「パワハラの例示」の中には、「公開叱責(多数の面前での叱責)」「感情を丸出しにする上司」「給料泥棒呼ばわりする」「退職勧奨や脅し」などいったものが含まれるからである。何だ、橋下市長自身がやってることじゃないですか、ということになってしまう。だから、問題を「公務員が入れ墨をしていいのか」とすり替え、「入れ墨をしたいなら公務員を辞めてください」と、まさに「パワハラにはパワハラ」で応酬しているのである。
入れ墨問題について、その本質に関してはそう考えているけれど、では入れ墨調査や「公務員は入れ墨をしていいのか」問題はどう考えればいいのだろうか。それは次回。