前に「死刑制度をめぐる小論」というのを2回書いた。死刑執行が小川前法相によって3月末に行われたことを受けて、世界の情勢や世論調査の理解について書いた。死刑制度についてその後も時々書いてきたが、大きな論点についてはあまり書いていない。僕も重い問題をそんなに書きたいわけじゃなくて、映画の話題などを書いていたい。だけど今日は、「死刑の抑止力」という問題について、書いておきたいなと思った。大阪で起こった「通り魔事件」、またしても「自殺したいけどできなくて、人を殺して死刑になりたいと思った」などと供述しているらしい。こういう、ふざけたというか、了解不能な言葉を最近何回聞いたことだろう。このように「死刑制度があるから殺人事件を起こした」と言っている犯人が何人もいると言うのに、法務省からは今でも「死刑には一般的な抑止力がある」と言った言葉が聞かれる。死刑存置論者は一体どう考えているのだろうか。
「死刑の抑止力」は、重大犯罪に関しては「ない」というのが、犯罪学なんかでは世界的にほぼ共通の理解ではないかと思う。だからかどうか、今さら専門家はあまり語らない。でも、一般市民の中では「死刑があるから凶悪犯罪を少なくできる」と思っている人は多いと思う。だから専門家にもきちんとデータを集めて答えを出してほしい。
もし、死刑に重大犯罪の抑止力があるなら、1980年にフランスではミッテラン政権成立で死刑が廃止された後で、犯罪が急増しているはずである。あるいは、汚職事件でも死刑になってきた中国は、世界で一番腐敗が少ない国になるはずである。(最近死刑適用事件をしぼる刑法改正があったようだけど。)また何よりも一番はっきりするのは、アメリカである。アメリカでは州ごとに死刑があったりなかったりするから、死刑がある州と死刑がない州で犯罪発生率が違うかどうか、比べてみればわかるはずである。2002年に首都ワシントン近郊で、「DCスナイパー」事件と呼ばれた無差別銃撃事件が起き、10人が殺害された。黒人の元陸軍スナイパー、ジョン・アレン・ムハンマドと養子の少年が逮捕され、いろいろと衝撃を与えたという事件があった。犯行が各州にまたがっていて、どこで裁くか議論があったが、結局ヴァージニア州で死刑となり、2009年11月に執行されている。首都ワシントン特別区は死刑を廃止していたので、死刑に犯罪抑止力があるというなら、なぜこの犯人は特別区の中だけで犯行を犯さなかったのだろうか。
「フツーの人」にとって、ひったくりや振り込め詐欺の被害者になることはあっても、日常生活のなかで加害者になることはほとんどない。一番犯しやすい法律違反は道路交通法違反だから、罰則が厳しくなった飲酒運転は絶対しないよう心掛けているだろう。一方、取り締まりがないならスピード違反なんか、今よりもっとたくさん起こるに違いない。だから交通違反レヴェルの問題なら、確かに「罰則強化が法律違反の抑止力になる」ことはあるんだと思う。でも、殺人レヴェルの犯罪は、他人が見てないならやっちゃおうというような犯罪ではない。よほどカッとなっても、「心の中の道徳の歯止め」みたいなものがあるし、家族や仕事を失うことを考えれば、重大犯罪を犯すことはできない。つまり、「家族」や「仕事」があれば、である。「失っては困るもの」を持ってるか、どうか。
今度の事件の犯人は、報道によれば幼いころに母親を亡くし、その後父も店が倒産、現在は死亡、兄弟はバラバラであるという。中学卒業後、暴走族に入り、成人後は暴力団にも入っていたというが、覚せい剤で服役して、5月末に出所したばかりだという。典型的な「恵まれない家庭環境」に育った「粗暴な不良」だった感じである。従来なら、出所後にヤクザ業界周辺で吸収されたのではないかと思うが、もう規制強化と不況でそれもかなわなくなっているのか、それとも本人の性格か。刑務所で知り合った知人を訪ねて大阪へ行ったということである。本人に問題があるとはいえ、「どこにも居場所がない」境遇である。「無銭飲食」程度で刑務所に逆戻りする道を選ばず、2人殺害で「死刑願望」というはた迷惑になったのは、本人の今までの粗暴な生き方が出てしまったと考える。だから、本人に問題があるのは当然なんだけど、それでも「日本社会における、いったん落ちこぼれてしまった後の居場所のなさ」も明らかである。
いかに非道な「通り魔」でも、被害者一人なら死刑になるとは限らない。(犯情が悪質なら死刑の可能性もあるが。)「通り魔」は悪質なので、「成人被告が二人を殺害」なら、まず間違いなく(現在の判例状況では)死刑。無差別とはいえ、やたらと車やナイフで襲いまくるのではなく、明確に二人殺害で三人目がない点、死刑目的なら「合理的」である。こういう犯罪が多発するところを見ると、死刑に犯罪抑止力があるどころか、「犯罪誘発力」があるとも言えるではないか。
死刑制度と言うのは、「国家が個人の生命を奪う」ということだから、「やり直しを完全に認めない」ということである。それは「国家の理念」としてはどうなんだろうというのが、死刑はない方がいいだろうと思う一番の理由。もちろん現実の一人ひとりの犯罪者の中には、「今の状態では社会に戻すのは難しいのではないか」というケースがあると思う。だから「仮釈放のない無期懲役(終身刑)」という刑罰を置いておくことも必要なのかなと思う。(時間がたったら、「仮釈放のある無期刑」への恩赦請願ができるのはもちろんである。)一度死刑を「期間限定停止」してみて、それでもこういう事件がおこるかどうか、「社会実験」してみてはどうかと思ったりする。
「死刑の抑止力」は、重大犯罪に関しては「ない」というのが、犯罪学なんかでは世界的にほぼ共通の理解ではないかと思う。だからかどうか、今さら専門家はあまり語らない。でも、一般市民の中では「死刑があるから凶悪犯罪を少なくできる」と思っている人は多いと思う。だから専門家にもきちんとデータを集めて答えを出してほしい。
もし、死刑に重大犯罪の抑止力があるなら、1980年にフランスではミッテラン政権成立で死刑が廃止された後で、犯罪が急増しているはずである。あるいは、汚職事件でも死刑になってきた中国は、世界で一番腐敗が少ない国になるはずである。(最近死刑適用事件をしぼる刑法改正があったようだけど。)また何よりも一番はっきりするのは、アメリカである。アメリカでは州ごとに死刑があったりなかったりするから、死刑がある州と死刑がない州で犯罪発生率が違うかどうか、比べてみればわかるはずである。2002年に首都ワシントン近郊で、「DCスナイパー」事件と呼ばれた無差別銃撃事件が起き、10人が殺害された。黒人の元陸軍スナイパー、ジョン・アレン・ムハンマドと養子の少年が逮捕され、いろいろと衝撃を与えたという事件があった。犯行が各州にまたがっていて、どこで裁くか議論があったが、結局ヴァージニア州で死刑となり、2009年11月に執行されている。首都ワシントン特別区は死刑を廃止していたので、死刑に犯罪抑止力があるというなら、なぜこの犯人は特別区の中だけで犯行を犯さなかったのだろうか。
「フツーの人」にとって、ひったくりや振り込め詐欺の被害者になることはあっても、日常生活のなかで加害者になることはほとんどない。一番犯しやすい法律違反は道路交通法違反だから、罰則が厳しくなった飲酒運転は絶対しないよう心掛けているだろう。一方、取り締まりがないならスピード違反なんか、今よりもっとたくさん起こるに違いない。だから交通違反レヴェルの問題なら、確かに「罰則強化が法律違反の抑止力になる」ことはあるんだと思う。でも、殺人レヴェルの犯罪は、他人が見てないならやっちゃおうというような犯罪ではない。よほどカッとなっても、「心の中の道徳の歯止め」みたいなものがあるし、家族や仕事を失うことを考えれば、重大犯罪を犯すことはできない。つまり、「家族」や「仕事」があれば、である。「失っては困るもの」を持ってるか、どうか。
今度の事件の犯人は、報道によれば幼いころに母親を亡くし、その後父も店が倒産、現在は死亡、兄弟はバラバラであるという。中学卒業後、暴走族に入り、成人後は暴力団にも入っていたというが、覚せい剤で服役して、5月末に出所したばかりだという。典型的な「恵まれない家庭環境」に育った「粗暴な不良」だった感じである。従来なら、出所後にヤクザ業界周辺で吸収されたのではないかと思うが、もう規制強化と不況でそれもかなわなくなっているのか、それとも本人の性格か。刑務所で知り合った知人を訪ねて大阪へ行ったということである。本人に問題があるとはいえ、「どこにも居場所がない」境遇である。「無銭飲食」程度で刑務所に逆戻りする道を選ばず、2人殺害で「死刑願望」というはた迷惑になったのは、本人の今までの粗暴な生き方が出てしまったと考える。だから、本人に問題があるのは当然なんだけど、それでも「日本社会における、いったん落ちこぼれてしまった後の居場所のなさ」も明らかである。
いかに非道な「通り魔」でも、被害者一人なら死刑になるとは限らない。(犯情が悪質なら死刑の可能性もあるが。)「通り魔」は悪質なので、「成人被告が二人を殺害」なら、まず間違いなく(現在の判例状況では)死刑。無差別とはいえ、やたらと車やナイフで襲いまくるのではなく、明確に二人殺害で三人目がない点、死刑目的なら「合理的」である。こういう犯罪が多発するところを見ると、死刑に犯罪抑止力があるどころか、「犯罪誘発力」があるとも言えるではないか。
死刑制度と言うのは、「国家が個人の生命を奪う」ということだから、「やり直しを完全に認めない」ということである。それは「国家の理念」としてはどうなんだろうというのが、死刑はない方がいいだろうと思う一番の理由。もちろん現実の一人ひとりの犯罪者の中には、「今の状態では社会に戻すのは難しいのではないか」というケースがあると思う。だから「仮釈放のない無期懲役(終身刑)」という刑罰を置いておくことも必要なのかなと思う。(時間がたったら、「仮釈放のある無期刑」への恩赦請願ができるのはもちろんである。)一度死刑を「期間限定停止」してみて、それでもこういう事件がおこるかどうか、「社会実験」してみてはどうかと思ったりする。