尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼・桂小金治

2014年11月07日 23時22分41秒 |  〃  (旧作日本映画)
 桂小金治が亡くなった。11月3日没。88歳。僕には非常に思い出深い人だけど、若い人だと判らないかもしれない。ネットのニュースで最初に知ったが、「落語家の桂小金治」が死んだと出ていた。これはおかしいのではないかと思う。落語家は「真打」になって、初めて師匠と呼ばれる。小金治は「二つ目」の時に映画界に飛び込んだ。よって、最後まで「真打」にはならなかった。もっとも晩年にはホール落語などで高座に上ることがあったというが、この人の最大の業績は落語ではない。まあ、本人はその方がうれしいかとも思うが、「落語家」と言ってしまうのはどうなのか。
 
 では何と呼ぶべきかと言えば、「テレビ司会者、映画俳優」であり、そこに「落語家出身」ということになる。桂小金治はある時代には、「日本人なら誰でも知っている」長嶋や大鵬のような存在だった。それは映画に出たからではなく、テレビに出たからである。テレビの「ワイドショー」が個人名で語られていた時代だった。「木島則夫モーニングショー」であり、「桂小金治アフタヌーンショー」である。木島則夫の名前も知らない人が多くなったと思うが、NHKからNET(今のテレビ朝日)に移籍し、モーニングショーで知名度を上げ、民社党から参院選東京地方区に立候補、2回当選した。桂小金治は選挙に出たわけではないが、テレビの司会者にはそれだけの知名度と集票力があったのである。

 「テレビの黄金時代」は60年代中頃から70年代頃だと思う。テレビがほぼ全家庭に行き渡ったのは64年の東京五輪の頃(ちなみに当然、白黒テレビ)である。その前後から新しい試みがどんどん出てきて、「テレビ」が毎日の話題となった。新聞が現れ、映画が現れ、ラジオが現れ、戦後15年経ってテレビが普及する。ケータイ、スマホ、パソコンはない時代である。テレビが最新のメディアだったわけである。その時代をタレントとして、あるいは製作側から支えた人々がどんどん亡くなっている。テレビで有名だった人は、出なくなると急に忘れられる。だから、桂小金治を知らない人も多くなっていく。

 桂小金治は、テレビで最初「怒りの小金治」と言われ、次に「泣きの小金治」と言われた。今はそういう風に番組内で感情を爆発させると批判されるのではないか。「小金治だから許された」部分もあると思うけど、それが人々の共感を呼んだのである。誰もが歌えるヒット曲があった時代、「国民的な共感」という感情の基盤が今よりずっとしっかりしていた時代だったんだと思う。僕は子どもながらに、そういう小金治が実は好きではなかった。というか、嫌いだった。感情の押し付けみたいなとこが。でも、この人は何故か憎めなかった。感じ方、考え方はなんか違うんだけど、なんだか判る気がしちゃう…そういう人がいるもんだけど、この人は僕にとってそういう人だった。

 その後、50年代、60年代の日本映画をよく見るようになって、桂小金治がいかに映画に出まくっていたかを知った。最初は松竹にいた川島雄三が寄席(いまはなき人形町末広亭)を見て、映画出演を持ちかけた。1952年の「こんな私じゃなかったに」という映画が初出演。次の「明日は月給日」では落語家の役で実際に寄席でやってる場面があったと思う。俳優業が好評で、映画出演の方がはるかに経済的に恵まれることから、どんどん引き受けているうちに松竹と専属契約を結ぶようになる。

 その後も川島作品には出続けた。後に東宝、日活に移籍、非常にたくさんの映画に出た。ベストテンに入るような映画はほんの少しで、大部分はプログラムピクチャーの脇役である。それもこれも、どう見てもサラリーマン役は無理で、商店の御用聞きとか、ドジな兵隊とか、そんな役がはまり役なのである。当時の日本映画では、そういう役をそつなくこなせる俳優が不可欠で、実に達者に日本社会の下積みの人々を演じてきた。それはほとんど評価されていないけど、ずっと見ていけばとても面白い戦後社会論になるのではないか。

 川島雄三は、「幕末太陽傳」という傑作を除き、それ以外の作品は「怪作」が多い。今見てもとんでもない映画が多いが、そういう映画に決まって桂小金治が出ている。「グラマ島の誘惑」では、森繁久彌とフランキー堺が皇族軍人兄弟で、桂小金治がお付きの武官。船が難破して、報道班員の女性や慰安婦たちと無人島に流れ着くというすごい設定で、軍隊と天皇制を風刺している。桂小金治はもちろん軍命に忠実なタイプを巧みに演じている。「貸間あり」という映画では、大阪の不思議なボロアパートに奇人変人が集結。フランキー堺が4か国語を話せる何でも屋、隣人の小金治はこんにゃくとキャベツ巻きを売っている。そういうヘンテコな映画が最近はわりと上映の機会があり、川島映画に不可欠の俳優として再評価する必要がある。変人ぞろいの中では、「その中では常識人」役を割り当てられることが多かった。今思うと、桂小金治は「日本の庶民」を全身で表現していたのではないか。それは演技を超えた部分だったかもしれない。そして絶対にこの人でなければ出来なかったのが、「アフタヌーンショー」だったように思う。
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