尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「35人学級」問題を通して日本を考える

2014年11月09日 22時44分57秒 |  〃 (教育行政)
 時事的な教育問題について、あまりにビックリしたので他の諸問題に先駆けて書いておきたい。「35人学級」問題と書いたのは、最近財務省が「35人学級を40人学級に戻して、予算を浮かせるべき」と「妄言」を言っている問題を指している。しかし、本当の「35人学級」問題とは、本来は学年進行で上級生にも適用されるはずだったのに、それが小学1年生に限定されてしまっているという方を指すはずである。少なくとも文科省だって、小学1年生に加え、2年生までは「35人」を実行することを考えている。今でも、文科省のホームページ上に「小学1・2年生における35人学級の実現」という資料が掲載されているのである。それは「少人数教育の実現」というコーナーの一番下に掲載されている。その資料を見ると、秋田県や山形県などの先進的事例と比較して、少人数の方が効果的とされている。民主党政権で少人数教育を実行していくはずだったが、自民党政権で凍結されたのである。

 さて、今回の問題は報道によれば以下のようになる。「財務省が、公立小学校の1年生で導入されている「35人学級」を見直し、1学級40人体制に戻すよう文部科学省に求める方針を固めたことが22日、分かった。教育上の明確な効果がみられず、別の教育予算や財政再建に財源を振り向けるべきだと主張している。これに対し、文科省は小規模学級できめ細かな指導を目指す流れに逆行すると強く反発しており、2015年度予算編成での調整は難航が予想される。財務省は27日の財政制度等審議会で見直し案を取り上げる考え。40人学級に戻せば、必要な教職員数が約4千人減り、人件費の国負担分を年間約86億円削減できるとの試算を提示する。」(共同通信)

 「少人数教育をすすめるべきか」は、教育関係者にとっては「決着済み」の問題だろう。予算の問題ではない。逆に考えると、「86億円で出来ること」なんだから、どんどん上級生にも適用していくべきである。自衛隊の戦闘機一機より安い。およそ「教育的ではない」議論をここで書いても仕方ない。もう「少なくとも小学校1年生の35人学級は維持すべきである」という以上に書くことはない。事々しく理由を書き連ねる必要もないだろう。「常識」の問題である。

 だから、僕が書きたいのは、この「常識」が通じない人々が権力を握っている日本という国は何なのだろうかということなのである。財務省によれば、戻しても構わない理由付けは以下のようなものである。「いじめなどの発生頻度が他の学年との比較で減ったかどうかを分析した。それによると、小学校で確認されたいじめのうち1年生の割合は、導入前の5年間の平均が10・6%だったのに対し、導入後の2年間は11・2%に上がった。暴力行為も3・9%から4・3%に、不登校も4・7%から4・5%と目立った改善は見られず、「厳しい財政状況を考えれば40人学級に戻すべきだ」と結論付けた。」というのである。

 僕はこの部分を知って、がく然とした。おいおい、君たちは統計を読めないのか。それとも私立学校の優等生で過ごしてきて、日本の学校というものを知らないのか。大体、いじめ統計自体が僕には大きな疑問がある。それは「いじめ「報告件数」が多すぎる」の記事で書いている。それはともかく、一応文科省の統計を使うとして、また財務省による「平均値」の件数を再確認していないのだが、それも信用することにする。

 その上で言うのだが、これは統計の読み方が逆である。「いじめ」というものは、見えにくいものである。学校で言えば、「ケンカ」はより見えやすく、「いじめ」はより見えにくい。社会の中でも、「薬物」「性犯罪」「汚職事件」などは、発覚しにくい犯罪とされる。一件の事件の背後に、「まだ見つかっていない」事件が控えている。どうしてかというと、「被害者がいない」か「被害者が名乗りを挙げにくい」タイプの犯罪だからである。だから、明るみに出た事件の他に、隠れている事件があると考え、それを「暗数」という。「いじめ」事件に関しても、学校が報告したものがすべてのいじめであるとは言えず、その背後に「教員が認知できなかった件数」があるはずである。

 だから、「いじめ報告件数」が増えたというなら、少人数学級により教師がより目配りできるようになり、「いじめ認知」が増えたと理解するべきものである。「少人数教育が成果を挙げた事例」になるのである。もっとも、財務省の例示によれば、暴力行為も増え、不登校も減っている。要するに、それほど大きな変化はないというべきかもしれない。それも当然だろう。小学校1年生なんだから、報告すべき問題行動そのものが少ないだろう。高学年になり、さらに中学生になるほど多いと予想されるので、本来は中学生まで35人学級にした上で比較しなければわからないというべきだろう。ところで、いじめなどの問題行動は、たまたま起きたりする偶発性も大きいので、その報告件数だけで「少人数学級」を論じても仕方ない。「常識」さえあれば、多すぎても少なすぎても「教育的効果」は薄れると判るはずである。そして「40人」は諸外国と比べても多すぎるということも。

 もう一つの重大な問題は、「もし全国の学校で、小学校一年のいじめ件数を過少報告したら、どうなるのだろう」ということである。そうすると、「少人数学級は効果があった」という判断になるのか。そうすると、「教育現場を守るためには、ウソの報告をした方がいいのか」ということである。これでは江本じゃないけど、「ベンチがアホやから」と言いたくなるではないか。日本の中央官庁はそういう発想をするところなのである。どうなっているんだろうか。
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