グザヴィエ・ドラン監督の「トム・アット・ザ・ファーム」(2013)を見た。グザヴィエ・ドラン(Xavier Dolan、1989~)って、誰だという人もまだ多いと思うけど、近年世界で最注目の映画監督の一人であることは間違いない。まだ25歳で、ゲイをカミングアウトし、セクシャル・マイノリティをテーマとする映画を作っている。すでに日本公開が4作目で、2014年のカンヌ映画祭では“Mommy”という作品で、審査員賞を受賞している。ゴダールと同時受賞だったが、同じフランス語映画界で超ベテランと新進気鋭が同時に評価されたわけである。今、フランス語映画界と書いたけど、この人はフランスの人ではなく、カナダのフランス語圏であるケベック州で映画を作っている人である。
2013年に「わたしはロランス」(2012)という映画が公開され、性同一性障害をテーマとした端正な映像美に関心が集まった。僕も見たけど、ちょっと長すぎてテーマがうまく生かされていないように思い、ここでは触れなかった。その後、同監督の「マイ・マザー」(2009)、「胸騒ぎの恋人」(2010)も公開されたが、小規模な公開だったので僕は見ていない。「わたしはロランス」は監督が出演していないが、最初の2作、それに「トム・アット・ザ・ファーム」では監督本人が主演している。この作品はヴェネツィア映画祭に出品され、国際批評家連盟賞を受賞した。また最初の3作品では監督がオリジナル脚本を書いている。つまり、25歳にして、脚本、監督、主演する映画を続々と作っているのである。
今回の「トム・アット・ザ・ファーム」(原題はフランス語だから“Tom à la ferme”)は初めての原作もので、カナダを代表する劇作家だというミシェル・マルク・ブシャールの戯曲をもとに、原作者とグザヴィエが脚本を書いた。監督が劇の上演を見に行って、すぐに映画化を決めたという。今回の作品も「同性愛」をテーマとしている。冒頭はカナダの田舎にある農場、なんだか人気がない。そこに金髪の青年(トム)が車でやってくる。人がいないのであちこち探しまわる。この段階では何もわからない。やがて合鍵を見つけて、家に入って休んでいると、老女が戻ってくる。どうやらトムは客としてきたのだが、それは彼女の息子であるギヨームが亡くなり、その葬儀に来たらしい。この監督本人が演じている、妻夫木聡を金髪にしたような青年がしっかりしてるのか頼りないのか、不思議な感じ。
だんだん判ってくるのだが、ギヨームの「友人」だったトムは、実は同性の恋人だったらしいが、そのことは秘密にされていて、今まで存在を知らなかった暴力的な兄フランシスがいて、家を支配している。その兄は、ギヨームにはサラという恋人がいることになっていて母にはそういう風に装えと命令してくる。同性愛だということはどこにも出てこないのだが、画面の暗示することとグザヴィエの映画だから、やはりそうなんだなと思って見るわけである。この「ウソ」で固められた家族の、閉ざされた牢獄のような農場が、怖い。別に壁があって扉は鍵がかかっているという訳ではなく、農場だからどこでも行けるし、逃げることは出来そうである。実際逃げたこともあるけど、とうもろこし畑で怪我して捕まっただけだった。車で来たんだから、車で逃げられそうなもんだけど…。そして「架空の恋人」だったはずのサラが現実に現れて…、人間関係の闇が次第に明らかになってくる。
こういう「田舎の閉ざされた世界」で、「秩序から排除されるもの」(例えば性的なマイノリティ、あるいは人種的なマイノリティ…)が現実に、または精神的に「閉じ込められる」恐怖を描く映画はアメリカ映画なんかにたくさんある。これもそういう感じだけど、カナダだけに寒そうな農村地帯で、そこを遠望するカメラが美しい。そこで描かれる人間関係の輪は、ものすごく「怖い」ので、これは一種のホラー・サスペンス映画に入るだろう。でも怖がらせることが目的のエンターテインメントではなく、人間関係の孤独を描くアート系映画の感触がある。まだまだ、ホントにすごい映画を見たというほどの興奮や達成感はないけど、この映画は十分の才気と映像美を味わえると思う。注目すべき新人監督として覚えておくべきだし、特にセクシャル・マイノリティ問題を、自分のテーマとする作家として注目すべき存在。それにしても、25歳でこんなに世界の映画祭を席巻した人もいないのではないか。この戯曲も是非日本で翻訳して公演して欲しいと思う。(なお、グザヴィエというのは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・デ・ザビエル Francisco de Xavier と同じである。)
2013年に「わたしはロランス」(2012)という映画が公開され、性同一性障害をテーマとした端正な映像美に関心が集まった。僕も見たけど、ちょっと長すぎてテーマがうまく生かされていないように思い、ここでは触れなかった。その後、同監督の「マイ・マザー」(2009)、「胸騒ぎの恋人」(2010)も公開されたが、小規模な公開だったので僕は見ていない。「わたしはロランス」は監督が出演していないが、最初の2作、それに「トム・アット・ザ・ファーム」では監督本人が主演している。この作品はヴェネツィア映画祭に出品され、国際批評家連盟賞を受賞した。また最初の3作品では監督がオリジナル脚本を書いている。つまり、25歳にして、脚本、監督、主演する映画を続々と作っているのである。
今回の「トム・アット・ザ・ファーム」(原題はフランス語だから“Tom à la ferme”)は初めての原作もので、カナダを代表する劇作家だというミシェル・マルク・ブシャールの戯曲をもとに、原作者とグザヴィエが脚本を書いた。監督が劇の上演を見に行って、すぐに映画化を決めたという。今回の作品も「同性愛」をテーマとしている。冒頭はカナダの田舎にある農場、なんだか人気がない。そこに金髪の青年(トム)が車でやってくる。人がいないのであちこち探しまわる。この段階では何もわからない。やがて合鍵を見つけて、家に入って休んでいると、老女が戻ってくる。どうやらトムは客としてきたのだが、それは彼女の息子であるギヨームが亡くなり、その葬儀に来たらしい。この監督本人が演じている、妻夫木聡を金髪にしたような青年がしっかりしてるのか頼りないのか、不思議な感じ。
だんだん判ってくるのだが、ギヨームの「友人」だったトムは、実は同性の恋人だったらしいが、そのことは秘密にされていて、今まで存在を知らなかった暴力的な兄フランシスがいて、家を支配している。その兄は、ギヨームにはサラという恋人がいることになっていて母にはそういう風に装えと命令してくる。同性愛だということはどこにも出てこないのだが、画面の暗示することとグザヴィエの映画だから、やはりそうなんだなと思って見るわけである。この「ウソ」で固められた家族の、閉ざされた牢獄のような農場が、怖い。別に壁があって扉は鍵がかかっているという訳ではなく、農場だからどこでも行けるし、逃げることは出来そうである。実際逃げたこともあるけど、とうもろこし畑で怪我して捕まっただけだった。車で来たんだから、車で逃げられそうなもんだけど…。そして「架空の恋人」だったはずのサラが現実に現れて…、人間関係の闇が次第に明らかになってくる。
こういう「田舎の閉ざされた世界」で、「秩序から排除されるもの」(例えば性的なマイノリティ、あるいは人種的なマイノリティ…)が現実に、または精神的に「閉じ込められる」恐怖を描く映画はアメリカ映画なんかにたくさんある。これもそういう感じだけど、カナダだけに寒そうな農村地帯で、そこを遠望するカメラが美しい。そこで描かれる人間関係の輪は、ものすごく「怖い」ので、これは一種のホラー・サスペンス映画に入るだろう。でも怖がらせることが目的のエンターテインメントではなく、人間関係の孤独を描くアート系映画の感触がある。まだまだ、ホントにすごい映画を見たというほどの興奮や達成感はないけど、この映画は十分の才気と映像美を味わえると思う。注目すべき新人監督として覚えておくべきだし、特にセクシャル・マイノリティ問題を、自分のテーマとする作家として注目すべき存在。それにしても、25歳でこんなに世界の映画祭を席巻した人もいないのではないか。この戯曲も是非日本で翻訳して公演して欲しいと思う。(なお、グザヴィエというのは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・デ・ザビエル Francisco de Xavier と同じである。)