「アデルの恋の物語」以後の作品を全部見ることにして、簡単に書きたい。画像も少な目で。
⑯アデルの恋の物語(1975) ☆☆☆☆
76年キネ旬7位。非常にシンプルな構造で一直線に進む「狂気の愛」の物語。公開時に見た時に非常に強い印象を受けた。今回見直すと、これは「ストーカーという言葉がなかった時代のストーカー映画」だと思った。あるいは「恋愛中毒」と言ってもいい。アデルが実際に後半生を精神病院で送らざるを得なかったことが示すように、これは明らかに「心の病」を描いている。もっとも春日武彦「ロマンティックな狂気は存在するか」という本があるように、一時期まで「狂気になるほどの熱狂的な愛」という神話もあったのだろう。でも、現実にはそれはロマンティックな誤解であり、人格破壊があるだけなのである。
アデルはヴィクトル・ユゴーの娘で、巨大な父、早世した姉を背負っている。父はナポレオン3世に反対して、英仏海峡の英領ガーンジー島に亡命中で、アデルはそこで若い英国士官と結ばれる。当時のことだから、当然結婚を前提にしていたとアデルは思っただろうけど、男は避けるようになる。(初めから遊びなのか、それとも激しすぎる求愛に閉口したのか…。)映画は英領カナダのハリファックスに偽名のアデルが男を追って到着するところから始まり、男がカリブ海のバルバドスに転任すると、そこまで追って行き倒れるまでを描く。この種の映画の典型となる傑作。
⑰トリュフォーの思春期(1976) ☆☆☆★
76年キネ旬3位。日本では「アデル」と同年に公開されて、両方ベストテンに入ったが「思春期」の方が評価が高かった。僕にはそれがよく判らなくて、幼い子供たちのエピソードをつないだだけのような作品に思えて面白くなかった。今回見直して、これは「子どもたちの自然な姿を映像に収めて、フランス社会を定点観測してみた面白い作品」だと思うようになった。題名は思春期だけど、小学生の時期でもっと幼い時代の悪意のないいたずらなどが多い。中で「虐待」のケースがあり、最後に教師が子供向けに大演説している。トリュフォーの娘なども出ているドキュメンタリー・タッチの作品で、トリュフォーの映画では異色の作品になっている。見直した時はとても面白く感じたけれど、少し時間が経つと「アデル」のような一直線映画の印象の方が残る。
⑱恋愛日記(1977) ☆☆
キネ旬27位。この映画はなあ…という感じの映画。同じ監督作品を続けてみると、「反復」が目につくことになる。トリュフォー映画の場合、一番重大な問題は「女性の脚」へのフェティッシュな執着で、この映画はそういう傾向を集大成した「脚フェチ一代記」である。全然ハンサムとは言えない、「私のように美しい娘」で害虫駆除業者をやってたシャルル・デネルという男優が主人公で、女性遍歴を繰り返すさまを描いている。最後は自伝を書いて出版しようとし、うまく行くはずだったけど…。冒頭は葬儀の場面である。正直に言って、僕には全然判らない映画。
⑲緑色の部屋(1978) ☆☆☆★
キネ旬24位。日本でもフランスでもほとんど評価されていないと思うが、非常に美しい映画で、岩波ホール公開時より僕の大好きな映画。でも、「死者に取りつかれた男」という主題が暗すぎて一般的には受けないだろう。ロウソクで死者を弔うチャペルを撮影するアルメンドロスの撮影は異様に美しい。トリュフォーが自分で主演していることで判るように、トリュフォー映画の中でも非常に重要な映画ではないかと思う。日本でも天童荒太「悼む人」が直木賞を取ったわけだから、この映画の主題は伝わるのではないか。人間には「死」を直視できず避ける心性もあるが、「死」を身近に感じ取りつかれるような心性もある。ナタリー・バイの美しさも際立ち、「3・11」後の今こそ見直されれるべき傑作。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/38/de/ac597d5a1f288ac83388d936fa745653_s.jpg)
⑳逃げ去る恋(1979) ☆★
僕の評価はこの映画が一番低い。アントワーヌ・ドワネルものの5作目で、最後の作品。今までの映画が随所に引用され、なんだか「自作解説」みたいな感じである。離婚したクリスチーヌ、昔好きだったコレットも出てきて、同窓会的にアントワーヌの女性遍歴を振り返る。これは「シネマ・セラピー」としてのトリュフォー映画の性格が一番正直に出ている。その意味では「トリュフォー研究」の観点からは興味深いが、なんでアントワーヌの恋愛に僕らがこれほど付き合わされるのかと正直ウンザリする。どうしても弁明的にならざるを得ないし、映画にしなくていいんじゃないと思ってしまうのである。まあ、この映画だけ見てもよく判らないと思うんだけど、そういう「自立性の低さ」も低評価になる理由。
㉑終電車(1980) ☆☆☆
セザール賞作品賞、監督賞、主演男女優賞など10部門受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、キネ旬16位。この時代、ゴダールは商業映画に復帰しつつも日本では公開されず、ロメール、リヴェットはまだ紹介されず、シャブロルは「娯楽映画」ばかりになり…、トリュフォーひとり、「フランス映画を支えるような大監督」になり、「古典」的な映画作家に「昇格」しつつあった。そういう彼がフランスで一番評価された映画が「終電車」で、ドイツ占領下のパリで劇場を守るカトリーヌ・ドヌーヴの「抵抗」を描く。フランス人の琴線に触れるテーマを若手のジェラール・ドパルデュ―との絡みで大作恋愛映画+対独抵抗映画に結晶させた。そこが評価されたんだろうけど、当時の社会状況、劇団の恋愛事情、劇中劇などが混然一体となって感動するというより、日本人が見ると「バラバラ感」があるのは否めないのではないか。どうも長すぎるし。日本ではベストテンで上位にならなかったし、そういう評価は今回見ても僕には変更不要に思った。ドヌーヴの落ち着いた美しさは一見の価値。
㉒隣の女(1981) ☆☆☆
83年キネ旬6位。郊外の一軒家で美人妻と子どもと共に暮らす男。その隣の空き家に夫婦が入ってくる。会ってみれば、「隣の女」は「訳ありの元カノ」だった…。という夢のような悪夢のような設定で、世界の恋愛映画に大影響を与えた映画だが、今見直すと、ジェラール・ドパルデューが若くて(まだあまり)太ってないのに一番驚くかも。スーパーに車で買い物に行って再会、休日はテニス場で社交、彼女は絵本作家を目指している…といったいわゆる「ニューファミリー」的な設定に当時の僕の評価は引きずられていた。そういう社会風俗的な部分が時間とともに色あせると、そこに見えてくるのは「愛に傷つき、心を病む女性」の姿である。ファニー・アルダンの造形は今見ても、全く古びてないどころか、日本のイマドキを見るようである。でも、僕は奥さん(ミシェル・ボームガルトネル)の方が好みだから、子どももいるんだし、何をやってるんだと思ってしまうけど。トリュフォーはファニー・アルダンと子どもを作っちゃったんだから、こういう人が好きなんだろうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5e/a0/4be3107757a0ab39113a99c5f5829c76_s.jpg)
㉓日曜日が待ち遠しい!(1983) ☆☆☆
トリュフォーの「遺作」はモノクロのミステリー映画で、もうファニー・アルダンを見るためだけのような映画である。不動産屋の社長のジャン=ルイ・トランティニャンの周りで、不審な殺人が相次ぎ、疑われる。秘書のアルダンが隠れる社長に代わってニースまで真相追及に出かけ、危険なミステリーの中に飛び込んで行く。ほとんどハッピーエンドがないトリュフォー映画としては珍しく、最後に二人が結ばれて終わる。ミステリー的なムード(謎解き)はある意味トリュフォー作品で一番あると思うが、この「解決」は論理的に無理があるように思う。でも細部は忘れてしまうから、今回で3回目だけど、真相は何だったっけと一応楽しく見ることができる。すごい傑作とは思わないけど、これはこれで「遺作」としてはいいかなと思っている。
⑯アデルの恋の物語(1975) ☆☆☆☆
76年キネ旬7位。非常にシンプルな構造で一直線に進む「狂気の愛」の物語。公開時に見た時に非常に強い印象を受けた。今回見直すと、これは「ストーカーという言葉がなかった時代のストーカー映画」だと思った。あるいは「恋愛中毒」と言ってもいい。アデルが実際に後半生を精神病院で送らざるを得なかったことが示すように、これは明らかに「心の病」を描いている。もっとも春日武彦「ロマンティックな狂気は存在するか」という本があるように、一時期まで「狂気になるほどの熱狂的な愛」という神話もあったのだろう。でも、現実にはそれはロマンティックな誤解であり、人格破壊があるだけなのである。
アデルはヴィクトル・ユゴーの娘で、巨大な父、早世した姉を背負っている。父はナポレオン3世に反対して、英仏海峡の英領ガーンジー島に亡命中で、アデルはそこで若い英国士官と結ばれる。当時のことだから、当然結婚を前提にしていたとアデルは思っただろうけど、男は避けるようになる。(初めから遊びなのか、それとも激しすぎる求愛に閉口したのか…。)映画は英領カナダのハリファックスに偽名のアデルが男を追って到着するところから始まり、男がカリブ海のバルバドスに転任すると、そこまで追って行き倒れるまでを描く。この種の映画の典型となる傑作。
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⑰トリュフォーの思春期(1976) ☆☆☆★
76年キネ旬3位。日本では「アデル」と同年に公開されて、両方ベストテンに入ったが「思春期」の方が評価が高かった。僕にはそれがよく判らなくて、幼い子供たちのエピソードをつないだだけのような作品に思えて面白くなかった。今回見直して、これは「子どもたちの自然な姿を映像に収めて、フランス社会を定点観測してみた面白い作品」だと思うようになった。題名は思春期だけど、小学生の時期でもっと幼い時代の悪意のないいたずらなどが多い。中で「虐待」のケースがあり、最後に教師が子供向けに大演説している。トリュフォーの娘なども出ているドキュメンタリー・タッチの作品で、トリュフォーの映画では異色の作品になっている。見直した時はとても面白く感じたけれど、少し時間が経つと「アデル」のような一直線映画の印象の方が残る。
⑱恋愛日記(1977) ☆☆
キネ旬27位。この映画はなあ…という感じの映画。同じ監督作品を続けてみると、「反復」が目につくことになる。トリュフォー映画の場合、一番重大な問題は「女性の脚」へのフェティッシュな執着で、この映画はそういう傾向を集大成した「脚フェチ一代記」である。全然ハンサムとは言えない、「私のように美しい娘」で害虫駆除業者をやってたシャルル・デネルという男優が主人公で、女性遍歴を繰り返すさまを描いている。最後は自伝を書いて出版しようとし、うまく行くはずだったけど…。冒頭は葬儀の場面である。正直に言って、僕には全然判らない映画。
⑲緑色の部屋(1978) ☆☆☆★
キネ旬24位。日本でもフランスでもほとんど評価されていないと思うが、非常に美しい映画で、岩波ホール公開時より僕の大好きな映画。でも、「死者に取りつかれた男」という主題が暗すぎて一般的には受けないだろう。ロウソクで死者を弔うチャペルを撮影するアルメンドロスの撮影は異様に美しい。トリュフォーが自分で主演していることで判るように、トリュフォー映画の中でも非常に重要な映画ではないかと思う。日本でも天童荒太「悼む人」が直木賞を取ったわけだから、この映画の主題は伝わるのではないか。人間には「死」を直視できず避ける心性もあるが、「死」を身近に感じ取りつかれるような心性もある。ナタリー・バイの美しさも際立ち、「3・11」後の今こそ見直されれるべき傑作。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/38/de/ac597d5a1f288ac83388d936fa745653_s.jpg)
⑳逃げ去る恋(1979) ☆★
僕の評価はこの映画が一番低い。アントワーヌ・ドワネルものの5作目で、最後の作品。今までの映画が随所に引用され、なんだか「自作解説」みたいな感じである。離婚したクリスチーヌ、昔好きだったコレットも出てきて、同窓会的にアントワーヌの女性遍歴を振り返る。これは「シネマ・セラピー」としてのトリュフォー映画の性格が一番正直に出ている。その意味では「トリュフォー研究」の観点からは興味深いが、なんでアントワーヌの恋愛に僕らがこれほど付き合わされるのかと正直ウンザリする。どうしても弁明的にならざるを得ないし、映画にしなくていいんじゃないと思ってしまうのである。まあ、この映画だけ見てもよく判らないと思うんだけど、そういう「自立性の低さ」も低評価になる理由。
㉑終電車(1980) ☆☆☆
セザール賞作品賞、監督賞、主演男女優賞など10部門受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、キネ旬16位。この時代、ゴダールは商業映画に復帰しつつも日本では公開されず、ロメール、リヴェットはまだ紹介されず、シャブロルは「娯楽映画」ばかりになり…、トリュフォーひとり、「フランス映画を支えるような大監督」になり、「古典」的な映画作家に「昇格」しつつあった。そういう彼がフランスで一番評価された映画が「終電車」で、ドイツ占領下のパリで劇場を守るカトリーヌ・ドヌーヴの「抵抗」を描く。フランス人の琴線に触れるテーマを若手のジェラール・ドパルデュ―との絡みで大作恋愛映画+対独抵抗映画に結晶させた。そこが評価されたんだろうけど、当時の社会状況、劇団の恋愛事情、劇中劇などが混然一体となって感動するというより、日本人が見ると「バラバラ感」があるのは否めないのではないか。どうも長すぎるし。日本ではベストテンで上位にならなかったし、そういう評価は今回見ても僕には変更不要に思った。ドヌーヴの落ち着いた美しさは一見の価値。
㉒隣の女(1981) ☆☆☆
83年キネ旬6位。郊外の一軒家で美人妻と子どもと共に暮らす男。その隣の空き家に夫婦が入ってくる。会ってみれば、「隣の女」は「訳ありの元カノ」だった…。という夢のような悪夢のような設定で、世界の恋愛映画に大影響を与えた映画だが、今見直すと、ジェラール・ドパルデューが若くて(まだあまり)太ってないのに一番驚くかも。スーパーに車で買い物に行って再会、休日はテニス場で社交、彼女は絵本作家を目指している…といったいわゆる「ニューファミリー」的な設定に当時の僕の評価は引きずられていた。そういう社会風俗的な部分が時間とともに色あせると、そこに見えてくるのは「愛に傷つき、心を病む女性」の姿である。ファニー・アルダンの造形は今見ても、全く古びてないどころか、日本のイマドキを見るようである。でも、僕は奥さん(ミシェル・ボームガルトネル)の方が好みだから、子どももいるんだし、何をやってるんだと思ってしまうけど。トリュフォーはファニー・アルダンと子どもを作っちゃったんだから、こういう人が好きなんだろうな。
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㉓日曜日が待ち遠しい!(1983) ☆☆☆
トリュフォーの「遺作」はモノクロのミステリー映画で、もうファニー・アルダンを見るためだけのような映画である。不動産屋の社長のジャン=ルイ・トランティニャンの周りで、不審な殺人が相次ぎ、疑われる。秘書のアルダンが隠れる社長に代わってニースまで真相追及に出かけ、危険なミステリーの中に飛び込んで行く。ほとんどハッピーエンドがないトリュフォー映画としては珍しく、最後に二人が結ばれて終わる。ミステリー的なムード(謎解き)はある意味トリュフォー作品で一番あると思うが、この「解決」は論理的に無理があるように思う。でも細部は忘れてしまうから、今回で3回目だけど、真相は何だったっけと一応楽しく見ることができる。すごい傑作とは思わないけど、これはこれで「遺作」としてはいいかなと思っている。
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