尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ルーマニア映画「私の、息子」

2014年11月27日 21時54分37秒 |  〃  (新作外国映画)
 引き続き、25日に見た映画。ルーマニア映画で、2013年のベルリン映画祭金熊賞(最高賞)、国際映画批評家連盟賞を受賞した「私の、息子」である。カリン・ペーター・ネッツァ-監督、ルミニツァ・ゲオルギウ主演、と言われても全然なじみがない。だから、映画祭受賞という実績と、この映画を最初にロードショーした東京・渋谷のBunnkamura(東急文化村)の信用で見た人が多いだろう。僕はロードショーは見逃してしまったのだが、映画評を見て是非見たいと思っていた。見たら、これもまた、とんでもなく凄い映画だった。驚きの世界である。
 
 実はルーマニア映画は近年評価が高くなり、「ルーマニア・ニューウェーブ」などと言われている。日本ではほとんど公開されず、クリスチャン・ムンギウ監督の「4カ月、3週と3日」や「汚れなき祈り」ぐらいしか公開されていない。日本ではこれらもあまり高い評価は得られなかったが、とにかく最近のルーマニア映画というだけで注目する必要がある。

 冒頭で、ある中年女性が友人に息子の態度が悪いと言い募っている。友人は「だから、もうひとり産んでおけばと言ったでしょ」と取り合わない。その母親コルネリアの誕生パーティがあるが、息子は当然現れない。集まったメンバーを見ると、父と母は結構セレブな社交界の一員らしい。父は医者らしく、母は舞台美術家、建築家であるらしい。そんなある日、息子バルブが交通事故にあったと連絡があった。息子を心配するが、実は「息子が交通事故を起こして、子どもを死亡させてしまった」というのが、事故の真相だった。そこから、息子を救うのは自分しかいない、息子を刑務所に入れることは許さないという、母の大車輪の「暴走」が始まっていくのである。

 母がひとり息子を溺愛する映画は珍しくないし、現実にもよくあることだろう。でも、ここまでうっとうしい母親も珍しいし、息子を救うというより、こうやって息子を支配してきたのかとつくづく納得できる。カメラは冒頭からは激しく手持ちで揺れ動き、その激しさにげんなりするんだけど、だんだん慣れてくると、というかストーリイの暴走が始まると、臨場感あふれる工夫にさえ見えてくる。その場で誰かが話したら、そっちにカメラを向けるというドキュメンタリー感覚である。その結果として、こんなに「うざい母」の存在感も珍しく、これほどの存在感は杉村春子以来ではないかと思うぐらいである。だから、邦訳題名も「私の、」と「、」が入っているのである。

 事故は高速道路で追い抜きをしようとスピードをあげて車線変更した時に、子どもが出てきて跳ね飛ばしてしまったというもの。高速道路の最高速度は110キロらしく、追い抜こうとした車も110キロ。だから、息子は140キロぐらいは出していたということだ。それでは困るので、警察に行けば、140キロを認めてはいけないと息子に強要する。110キロと供述調書を変えてもらいなさいと言って、変えさせてしまう。警官側も、最初は何という母親かと迷惑視していた感じだが、次に行くと有力者だと判ったからか、供述調書のコピーをくれて、代わりに頼みごとをしてくる。しかし、抜かれた方の供述も変わらない限り、追い抜くにはそれ以上出さないといけないんだからと、次はそっちも供述も変えてもらおうとする。運転手の連絡先を聞いて、コルネリアは彼に会いに行く…。

 という具合で、単なるクレーマーの域を超えている。自分は有力者で、世の中は金とコネですべてが決まるんだから、自分がすべて決めていくと心底信じ切っている感じである。いやあ、EUに加盟したルーマニアが、こんなに有力者が何でもできる国だったのか。それにしても、母がこれだけ強くては、子どもは困るだろうと思うと、案の定「自立」できていない。親の許しなく、息子は子ども連れのカルメンという女性と同棲している。母は、こんな事故を起こしたら実家で暮らすべきだと、留守中に息子の家に行き、下着などを持ってきてしまう。しかし、息子はもう二度とそっちから電話するな、必要な時はこっちから連絡すると激高する。その後、コルネリアが同棲相手カルメンと話すと、息子の意外な面が見えてくる。そして、3人で被害者宅を訪れることになるが、息子はどうしても車から降りることができない。母とカルメンだけが向かっていく。被害者の父と母は一体、どのような反応を示すだろうか。それは、映画で見ることで、もうここで書くことは止めておきたい。

 原題は「チャイルズ・ポーズ」(胎児の姿勢)で、車にこもって被害者に会いに行けないような息子の姿を指している。このような、「愛情という名の支配」はどこの国にもある問題なのだなあと思う。しかし、息子が警察に捕まっても、関係者の供述調書をカネで変えさせようなどと思う母親はいないのではないか。というか、そんなことは普通は民間人にはできない。(冤罪事件の場合、警察、検察が真実を語っている関係者を何度も何度も呼び出して供述を変えさせようと強要するケースはよくあるが。)そういうルーマニア社会への驚きが非常に大きい。だけど、だからといって、これほどトンデモナイ母親も珍しく、それを堂々と演じきったルミニツァ・ゲオルギウという女優はものすごい実力だと思う。

 ところで、なんで高速道路に子どもが入れるんだろう。老人が運転して出口から逆走して高速に入り込むという事故は日本でも時々報道される。しかし、高架になっていて、高いフェンスもあるから、子どもが高速道路を渡ろうとすることなどできないだろう。村上春樹「1Q84」や映画「新幹線大爆破」では、高速道路から降りていく主人公が出てくるが、そんなことをしている人を見たこともないが、まあ、それは大人ならやってやれないこともないんだろうけど。子どもが入れるようでは事故も危険だし、騒音もうるさい。何の防御策も取らないことは日本では考えられない。有力者の金力がものを言うらしいルーマニアでも、着実な交通事故削減策を取っていかないといけないと思う。父親が子どもに高速に入るなと注意してなかったと嘆くシーンがあるが、そういう問題ではないだろう。劇映画に言っても仕方ないけど。失われた命は帰ってこないが、教訓にしていくことはできる。
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