今日になって、桂小金治の訃報が伝えられたが、また別に書く機会を作りたいと思う。10月の訃報では、赤瀬川原平の追悼を書いたが、首都圏では千葉と町田でもともと予定されていた展覧会が開かれている。品切れになっていた文庫本も是非増刷して欲しいなと思う。
僕の心に残る人として、山下道輔さんが死去した。(10.20没、85歳)朝日に訃報が載ったけれど、掲載されなかった新聞の方が多い。朝日でも「肩書き」は「国立ハンセン病療養所多磨全生園入所者」となっている。これは「肩書き」と言えないが、公的な役職に就いた人ではないので他に書きようがないのだろう。山下さんは、全生園でハンセン病図書館に拠って、ハンセン病資料を集め続けた人である。各地の自治会資料や新聞記事などを丹念に集めて、散逸しないように努めた。ハンセン病関係の知名人という場合、療養所の自治会活動、あるいは国賠訴訟の原告団活動、さらに小説や詩や俳句が評価されるとか、ハンセン病問題を当事者として告発するとか…。山下さんは直接そういう活動を起こしたわけではないが、「縁の下の力持ち」的に図書館を守り続けた。大きな集会があると、集会で皆に呼びかける方ではなく、ロビーの書籍売り場で本を売った。そういう形で「ハンセン病問題」を残した人である。ハンセン病問題に関心を寄せる人なら、大体は名を知っているような人で、多くの人に慕われていた。心に残る人である。
三浦綾子さんの夫だった三浦光世さんが死去した。(10.30没、90歳)この人は一応「三浦綾子記念文学館長」という肩書がある。「歌人」であり、「著述家」ということにもなる。でも、結局この人の人生は、キリスト者となり、脊椎カリエスの三浦綾子と知り合い、結婚して病妻の文学を支えたということにつきる。「評点」は綾子自身の記述だが、「塩狩峠」以後の作品はすべて「口述筆記」だったというから、驚くしかない。三浦綾子は北海道・旭川に住み続け、キリスト教に基づく人間愛の小説を書いたベストセラー作家だったが、1999年に死去している。旭川には三浦綾子記念文学館があり、「評点」で忘れがたい神楽の外国樹種見本林の一角に作られた気持ちのいい場所である。僕は2回行ったことがあるのだが、旭川で一番心落ち着く場所と言ってもいい。クリスチャンではなく、三浦文学にもそれほど高い評価を置かないのだが、それでもこういう場所があるといいなと思うし、こういう本があるのはいいなと思う。現代にあって、この二人が出会ったのは、確かに「奇跡」とも思える出来事で、現代には稀なる「奇跡の夫婦」だった。
元長崎市長の本島等氏が死去。(10.31没、92歳)自民党に支持されて当選した保守系政治家だったが、88年に市議会で昭和天皇の戦争責任をあると思うと答弁。右翼に脅迫されても撤回せず、90年1月に右翼活動家から拳銃で銃撃されて一カ月の重傷を負った。この事件は日本の戦争責任問題を考えるときに忘れてはならない事件だが、「保守系」と言っても、原爆を落とされた長崎の地では「歴史が見える」ということだと思う。そういう「地場の保守」の強さは、沖縄などでも見ることができる。
女優の中川安奈(10.17没、49歳)が死去した。「敦煌」でデビューというけど、見なかった。僕は舞台で見たこともなかったけど、崔洋一「Aサインデイズ」で演じた沖縄のロック歌手が印象に残っている。建築家の岡田新一という人は知らなかった。(10.27没、86歳)芸術院会員だそうだが、最高裁庁舎のコンペで丹下健三チームを押さえて最優秀賞を獲得した。でも最高裁はやっぱり冷たい感じがするし、宇都宮美術館もあんまり見やすい感じがしないなあ。作家で「れくいえむ」で芥川賞を受けた郷静子(9.30没、85歳)の訃報が10月になって伝えられた。「れくいえむ」は自身の戦争体験を描いたもので、書きたいことがあるからそれ一作を書いたというタイプの作家だった。「元駐タイ大使で外交評論家」となる岡崎久彦(10.26没、84歳)が亡くなった。ベストセラーの「戦略的思考とは何か」も読んでないし、当然他の本も読んでない。だから批判も書けないけど、安保法制懇メンバーだった人だし、どうして外務省出身者(「親米保守」の立場)が安倍首相の外交ブレインに慣れるのかも僕には判らない。
ウォーターゲート事件時のワシントンポスト編集主幹だったベン・ブラッドリー(10.21没、91歳)はワシントンポストを有力紙に育てた。「クリーム」のベーシスト、ジャック・ブルース(10.25没、71歳)が死去。エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと結成した「クリーム」は2年ほどの活動だけど、大きな盈虚を与えた。社会党から衆議院副議長を務めた岡田利春(10.11没、80歳)は土井委員長時代の副委員長でもある。「社会党」を担った人々がどんどん亡くなっている。功罪共にきちんと検証しておかないといけない戦後史だと思う。ノンフィクション作家枝川公一(8.15没、73歳)の訃報が2カ月たって報道された。
僕の心に残る人として、山下道輔さんが死去した。(10.20没、85歳)朝日に訃報が載ったけれど、掲載されなかった新聞の方が多い。朝日でも「肩書き」は「国立ハンセン病療養所多磨全生園入所者」となっている。これは「肩書き」と言えないが、公的な役職に就いた人ではないので他に書きようがないのだろう。山下さんは、全生園でハンセン病図書館に拠って、ハンセン病資料を集め続けた人である。各地の自治会資料や新聞記事などを丹念に集めて、散逸しないように努めた。ハンセン病関係の知名人という場合、療養所の自治会活動、あるいは国賠訴訟の原告団活動、さらに小説や詩や俳句が評価されるとか、ハンセン病問題を当事者として告発するとか…。山下さんは直接そういう活動を起こしたわけではないが、「縁の下の力持ち」的に図書館を守り続けた。大きな集会があると、集会で皆に呼びかける方ではなく、ロビーの書籍売り場で本を売った。そういう形で「ハンセン病問題」を残した人である。ハンセン病問題に関心を寄せる人なら、大体は名を知っているような人で、多くの人に慕われていた。心に残る人である。
三浦綾子さんの夫だった三浦光世さんが死去した。(10.30没、90歳)この人は一応「三浦綾子記念文学館長」という肩書がある。「歌人」であり、「著述家」ということにもなる。でも、結局この人の人生は、キリスト者となり、脊椎カリエスの三浦綾子と知り合い、結婚して病妻の文学を支えたということにつきる。「評点」は綾子自身の記述だが、「塩狩峠」以後の作品はすべて「口述筆記」だったというから、驚くしかない。三浦綾子は北海道・旭川に住み続け、キリスト教に基づく人間愛の小説を書いたベストセラー作家だったが、1999年に死去している。旭川には三浦綾子記念文学館があり、「評点」で忘れがたい神楽の外国樹種見本林の一角に作られた気持ちのいい場所である。僕は2回行ったことがあるのだが、旭川で一番心落ち着く場所と言ってもいい。クリスチャンではなく、三浦文学にもそれほど高い評価を置かないのだが、それでもこういう場所があるといいなと思うし、こういう本があるのはいいなと思う。現代にあって、この二人が出会ったのは、確かに「奇跡」とも思える出来事で、現代には稀なる「奇跡の夫婦」だった。
元長崎市長の本島等氏が死去。(10.31没、92歳)自民党に支持されて当選した保守系政治家だったが、88年に市議会で昭和天皇の戦争責任をあると思うと答弁。右翼に脅迫されても撤回せず、90年1月に右翼活動家から拳銃で銃撃されて一カ月の重傷を負った。この事件は日本の戦争責任問題を考えるときに忘れてはならない事件だが、「保守系」と言っても、原爆を落とされた長崎の地では「歴史が見える」ということだと思う。そういう「地場の保守」の強さは、沖縄などでも見ることができる。
女優の中川安奈(10.17没、49歳)が死去した。「敦煌」でデビューというけど、見なかった。僕は舞台で見たこともなかったけど、崔洋一「Aサインデイズ」で演じた沖縄のロック歌手が印象に残っている。建築家の岡田新一という人は知らなかった。(10.27没、86歳)芸術院会員だそうだが、最高裁庁舎のコンペで丹下健三チームを押さえて最優秀賞を獲得した。でも最高裁はやっぱり冷たい感じがするし、宇都宮美術館もあんまり見やすい感じがしないなあ。作家で「れくいえむ」で芥川賞を受けた郷静子(9.30没、85歳)の訃報が10月になって伝えられた。「れくいえむ」は自身の戦争体験を描いたもので、書きたいことがあるからそれ一作を書いたというタイプの作家だった。「元駐タイ大使で外交評論家」となる岡崎久彦(10.26没、84歳)が亡くなった。ベストセラーの「戦略的思考とは何か」も読んでないし、当然他の本も読んでない。だから批判も書けないけど、安保法制懇メンバーだった人だし、どうして外務省出身者(「親米保守」の立場)が安倍首相の外交ブレインに慣れるのかも僕には判らない。
ウォーターゲート事件時のワシントンポスト編集主幹だったベン・ブラッドリー(10.21没、91歳)はワシントンポストを有力紙に育てた。「クリーム」のベーシスト、ジャック・ブルース(10.25没、71歳)が死去。エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと結成した「クリーム」は2年ほどの活動だけど、大きな盈虚を与えた。社会党から衆議院副議長を務めた岡田利春(10.11没、80歳)は土井委員長時代の副委員長でもある。「社会党」を担った人々がどんどん亡くなっている。功罪共にきちんと検証しておかないといけない戦後史だと思う。ノンフィクション作家枝川公一(8.15没、73歳)の訃報が2カ月たって報道された。