神奈川近代文学館で、11月24日まで須賀敦子展ををやっている。そのことは知っていたけど、会期末が迫ってきて、これは逃してはいけないということで、今日横浜まで行ってきた。
須賀敦子(1929~1998)が亡くなって、もう15年以上過ぎてしまった。イタリア文学の優れた翻訳者として知っていた須賀敦子という人が、「ミラノ 霧の風景」で突然読書界にデビューしたのは、1990年、すでに61歳になっていた。評判になり、一読、並々ならぬ力量に感嘆するとともに、その背景にあるだろう世界の奥深さに恐れを抱いたものである。続いて書かれた「コルシア書店の仲間たち」(1992)では、ミラノにあったカトリック左派の書店を舞台に、後に夫となるペッピーノ(ジュゼッペ・リッカ)との出会い、その家族との深いつながりを描いた。僕はこの作品に深く心を打たれ、何度も何度も読み返した。まるで映画「鉄道員」のような貧しい鉄道員一家に生まれた夫、60年代の熱狂と社会変革への熱い思いを共有しながら、やがて立ち行かなくなるコルシア書店。そしてわずか6年間の結婚生活を残して、あっという間に先だった夫。一度読んだら永遠に忘れられない世界。間違いなく、現代に書かれたもっともすぐれた文章表現だと思う。
こうして20世紀の最後の10年を須賀敦子を読むことを心の支えにして生きていったわけだが、生前に遺した著作はわずか5作、1998年に69歳で亡くなってしまうとは思いもよらないことだった。「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」を書き、様々な翻訳、特にナタリア・ギンズブルグやアントニオ・タブッキ、そしてウンベルト・サバなどの素晴らしい詩の数々を遺し、あっという間に逝ってしまった。没後にも多くの著作が出ているが、生前の5作の印象が強い。僕は単行本で読み、文庫で読み、さらに全集で読んでいる。今は河出文庫に全集が入っているが、さすがにそこまでは買っていない。でも文庫版全集が出ているくらいだから、須賀敦子を心の糧にしている人は思いの他多いのではないか。今日もかなりの人が来ていたようだったし。
没後に出た追悼本の中で、夫のペッピーノの姿などには接していたが、今回の展覧会では幼年時の芦屋や夙川(しゅくがわ)の住まいの写真、コルシア書店のあった場所に今もある書店(中のようすはほぼ同じだという)、聖心女子大の卒論、ローマ留学時代の写真、須賀敦子がイタリア語に訳した日本文学の数々(「春琴抄」「陰翳礼讃」「山の音」「砂の女」「夕べの雲」など多数にわたる。)、そして多くの書簡や本などなど、様々な展示物に目を奪われる。まあ、須賀敦子を読んでない人には何の意味もないし、説明のしようもないんだけど。
神奈川近代文学館は、「港の見える丘公園」を元町・中華街駅からずっと歩いて行く。寒い北風の吹く日だったけど、空は晴れて気持ちがいい。まあ今は「高速道路がよく見える丘公園」だと思うけど。このあたりは東京の学校だと遠足でよく行くところで、僕も何回か行っている。自宅からはちょっと遠いので、あまり個人的によく行くところではなく、近代文学館も堀田義衛展しか行ってないような気がする。手前に大佛次郎文学館があり、前に一度行った。今回は他のところはすべてパス。その横に陸橋があり、「霧笛橋」という。大佛(おさらぎ)の作品名から付けた名前。その先に近代文学館。
丘を下りて、ずっと歩いて地下鉄の日本大通り駅まで。けっこう歩きがいがある。最近、天地真理主演の「虹をわたって」という映画を神保町シアターで見たら、元町あたりに水上生活者がいっぱいいて、そこに家出した天地真理が転がり込むという設定だった。いやあ、70年代初期までそんな生活が残っていたのだろうか。(この映画は初見なんだけど、天地真理は結構ファンだったので楽しく見られた。)元町から中華街入り口を経て、県庁のところまで。県庁前のイチョウが黄葉の初めできれいだった。その角に「新聞博物館」で石川文洋写真展をやっている。石川さんは確か2004年に、都立中高一貫校の教科書問題で集会を開いた時に講演をお願いした。中高一貫化でなくなってしまった都立両国高校定時制の出身である。石川さんのベトナム戦争の写真は、何度も見ているけれど、同時代の沖縄の写真も展示されている。12月21日まで。この新聞博物館は一度は行っておきたい場所で、なかなか勉強になる。横浜に行ったら是非。
須賀敦子(1929~1998)が亡くなって、もう15年以上過ぎてしまった。イタリア文学の優れた翻訳者として知っていた須賀敦子という人が、「ミラノ 霧の風景」で突然読書界にデビューしたのは、1990年、すでに61歳になっていた。評判になり、一読、並々ならぬ力量に感嘆するとともに、その背景にあるだろう世界の奥深さに恐れを抱いたものである。続いて書かれた「コルシア書店の仲間たち」(1992)では、ミラノにあったカトリック左派の書店を舞台に、後に夫となるペッピーノ(ジュゼッペ・リッカ)との出会い、その家族との深いつながりを描いた。僕はこの作品に深く心を打たれ、何度も何度も読み返した。まるで映画「鉄道員」のような貧しい鉄道員一家に生まれた夫、60年代の熱狂と社会変革への熱い思いを共有しながら、やがて立ち行かなくなるコルシア書店。そしてわずか6年間の結婚生活を残して、あっという間に先だった夫。一度読んだら永遠に忘れられない世界。間違いなく、現代に書かれたもっともすぐれた文章表現だと思う。
こうして20世紀の最後の10年を須賀敦子を読むことを心の支えにして生きていったわけだが、生前に遺した著作はわずか5作、1998年に69歳で亡くなってしまうとは思いもよらないことだった。「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」を書き、様々な翻訳、特にナタリア・ギンズブルグやアントニオ・タブッキ、そしてウンベルト・サバなどの素晴らしい詩の数々を遺し、あっという間に逝ってしまった。没後にも多くの著作が出ているが、生前の5作の印象が強い。僕は単行本で読み、文庫で読み、さらに全集で読んでいる。今は河出文庫に全集が入っているが、さすがにそこまでは買っていない。でも文庫版全集が出ているくらいだから、須賀敦子を心の糧にしている人は思いの他多いのではないか。今日もかなりの人が来ていたようだったし。
没後に出た追悼本の中で、夫のペッピーノの姿などには接していたが、今回の展覧会では幼年時の芦屋や夙川(しゅくがわ)の住まいの写真、コルシア書店のあった場所に今もある書店(中のようすはほぼ同じだという)、聖心女子大の卒論、ローマ留学時代の写真、須賀敦子がイタリア語に訳した日本文学の数々(「春琴抄」「陰翳礼讃」「山の音」「砂の女」「夕べの雲」など多数にわたる。)、そして多くの書簡や本などなど、様々な展示物に目を奪われる。まあ、須賀敦子を読んでない人には何の意味もないし、説明のしようもないんだけど。
神奈川近代文学館は、「港の見える丘公園」を元町・中華街駅からずっと歩いて行く。寒い北風の吹く日だったけど、空は晴れて気持ちがいい。まあ今は「高速道路がよく見える丘公園」だと思うけど。このあたりは東京の学校だと遠足でよく行くところで、僕も何回か行っている。自宅からはちょっと遠いので、あまり個人的によく行くところではなく、近代文学館も堀田義衛展しか行ってないような気がする。手前に大佛次郎文学館があり、前に一度行った。今回は他のところはすべてパス。その横に陸橋があり、「霧笛橋」という。大佛(おさらぎ)の作品名から付けた名前。その先に近代文学館。
丘を下りて、ずっと歩いて地下鉄の日本大通り駅まで。けっこう歩きがいがある。最近、天地真理主演の「虹をわたって」という映画を神保町シアターで見たら、元町あたりに水上生活者がいっぱいいて、そこに家出した天地真理が転がり込むという設定だった。いやあ、70年代初期までそんな生活が残っていたのだろうか。(この映画は初見なんだけど、天地真理は結構ファンだったので楽しく見られた。)元町から中華街入り口を経て、県庁のところまで。県庁前のイチョウが黄葉の初めできれいだった。その角に「新聞博物館」で石川文洋写真展をやっている。石川さんは確か2004年に、都立中高一貫校の教科書問題で集会を開いた時に講演をお願いした。中高一貫化でなくなってしまった都立両国高校定時制の出身である。石川さんのベトナム戦争の写真は、何度も見ているけれど、同時代の沖縄の写真も展示されている。12月21日まで。この新聞博物館は一度は行っておきたい場所で、なかなか勉強になる。横浜に行ったら是非。