小石川も広いが、小石川植物園などは別に書くこととして、いったんこれで終わる。最後はカテゴリーも変えて、文学散歩である。青木玉さんの「小石川の家」(講談社文庫)という本がある。幸田露伴(こうだ・ろはん)の孫、幸田文(あや)の娘である玉さんが、母や祖父との幼い頃を回想した自伝的エッセイ。昭和初期の生活の香りが懐かしい。と言っても、僕は最近初めて読んだんだけど、どこかで小石川に住む幸田家の前には大きなムクの木がある、と聞いたことがあるようなのである。このあたりを歩くんだったら、是非そこに行ってみたい…と露伴も文もほとんど読んでないのに、何となくそう思ったわけである。文庫本の表紙は幸田家を訪れた安野光雅が描いている。まずはそれを。
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場所は地図をよく見て、大体判った。まずは伝通院である。一回目に書いたように、春日駅から春日通りを西へ10分ほど歩くと、伝通院下に出る。伝通院から右側へ坂が下りている。これが善光寺坂だが、そこを少し下っていくと、道のど真ん中に大きな木が見えてくるではないか。そのインパクトはかなり強烈。最初に見たのは6月だが、秋になって最近2回見に行った。写真に撮ると、向かいのビルが傾いているかに見えるが、これは広角のマジックで、もちろんそんなことはない。
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もう道の真ん中にある感じで迫力が凄い。「善光寺坂のムクノキ」という案内板がある。では、幸田家はどこにあるかというと、すぐ真ん前の家がそんなんだと思うけど、まあ個人の家だから塀だけを。幸田露伴(1867~1947)は、漱石と同年生まれ。「五重塔」などで有名だが、僕の世代だと「名前は聞いたことがあるけど、読んでない」人が多いのではないか。もう一世代下だと、名前もよく知らないだろう。向島に住んでいたが、震災以後、井戸に油が混じるようになり転居を決意、生家のそばの小石川に転居したとある。娘の幸田文(1904~1990)は、1938年に離婚して娘を連れて父の家に戻った。父の死後、随筆や小説で有名となり、映画化された「流れる」「おとうと」は見ているが、原作は読んでない。晩年に日本各地の崩壊地形を見て回った「崩れ」を読んだだけである。
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「家の庭の向こうに、道路の真ん中、大きな椋の木があって、道いっぱい枝を拡げていた。二階の祖父の書斎に座れば、まるで木の枝の上に居るような感じで廊下のガラス戸を開ければ枝先がさわれそうだ。目の前に青々とした枝が拡がって、家の庭にも実生の何本かが伸び、どの枝が親木の枝で、どれが庭の塀越しに枝を伸ばしている若木か見極めがつかない。」(「小石川の家」72頁)この樹は近隣の人々にも近隣の雀にも、安らぎの樹木となっていたという様子が続いて書かれている。「ムクノキ」(椋の木)は東アジアに分布する落葉高木で、特に西日本に巨樹があるようだ。ムクドリは、よくムクノキの実を食べることから名が付いたという。
この木をもう一度見たいと思い、そろそろ落葉かなと思い、11月半ばに訪ねてみた。今度は、坂の下の方から行ってみる。こんにゃく閻魔を過ぎ、小石川2丁目という信号を左に行くと、すぐに坂。ここを登っていくと、少し先にムクノキが出てくる。その前に坂の由来の善光寺がある。そのすぐ先である。こっちの道の方が駅から行きやすいように思う。
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晴れていたので、背景の空に良く映えるが、落葉はまだほとんどないではないか。では、もう一度と23日に行ってみたのだが…。なんと、伸びすぎたので17日に区が伐採すると貼り紙があるのだった。
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これはまたすっきりしてしまったもんだ。こうなっては、また伸びる来春以降にまた行くべきか。それとも雪の日かなんかに見に行こうかな。そう、なんだか気に入ってしまって、また見に行きたいのである。ムクノキのすぐ近くに、慈眼院・澤蔵司稲荷(じげんいん・たくぞうすいなり)がある。ここのホームページを見ると、ムクノキは江戸時代から有名だったとある。境内には、芭蕉の「一しぐれ 礫や降って 小石川」の碑もあるというが、よく判らなかった。秋に行くと、紅葉がきれいで、絵を描いている人が多いのに驚いた。坂道の途中で気持ちのいい場所である。坂の下の善光寺は、もとは伝通院の塔頭だったが、明治になって信州の善光寺の分院になったという。坂の名の由来。写真は省略。
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場所は地図をよく見て、大体判った。まずは伝通院である。一回目に書いたように、春日駅から春日通りを西へ10分ほど歩くと、伝通院下に出る。伝通院から右側へ坂が下りている。これが善光寺坂だが、そこを少し下っていくと、道のど真ん中に大きな木が見えてくるではないか。そのインパクトはかなり強烈。最初に見たのは6月だが、秋になって最近2回見に行った。写真に撮ると、向かいのビルが傾いているかに見えるが、これは広角のマジックで、もちろんそんなことはない。
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もう道の真ん中にある感じで迫力が凄い。「善光寺坂のムクノキ」という案内板がある。では、幸田家はどこにあるかというと、すぐ真ん前の家がそんなんだと思うけど、まあ個人の家だから塀だけを。幸田露伴(1867~1947)は、漱石と同年生まれ。「五重塔」などで有名だが、僕の世代だと「名前は聞いたことがあるけど、読んでない」人が多いのではないか。もう一世代下だと、名前もよく知らないだろう。向島に住んでいたが、震災以後、井戸に油が混じるようになり転居を決意、生家のそばの小石川に転居したとある。娘の幸田文(1904~1990)は、1938年に離婚して娘を連れて父の家に戻った。父の死後、随筆や小説で有名となり、映画化された「流れる」「おとうと」は見ているが、原作は読んでない。晩年に日本各地の崩壊地形を見て回った「崩れ」を読んだだけである。
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「家の庭の向こうに、道路の真ん中、大きな椋の木があって、道いっぱい枝を拡げていた。二階の祖父の書斎に座れば、まるで木の枝の上に居るような感じで廊下のガラス戸を開ければ枝先がさわれそうだ。目の前に青々とした枝が拡がって、家の庭にも実生の何本かが伸び、どの枝が親木の枝で、どれが庭の塀越しに枝を伸ばしている若木か見極めがつかない。」(「小石川の家」72頁)この樹は近隣の人々にも近隣の雀にも、安らぎの樹木となっていたという様子が続いて書かれている。「ムクノキ」(椋の木)は東アジアに分布する落葉高木で、特に西日本に巨樹があるようだ。ムクドリは、よくムクノキの実を食べることから名が付いたという。
この木をもう一度見たいと思い、そろそろ落葉かなと思い、11月半ばに訪ねてみた。今度は、坂の下の方から行ってみる。こんにゃく閻魔を過ぎ、小石川2丁目という信号を左に行くと、すぐに坂。ここを登っていくと、少し先にムクノキが出てくる。その前に坂の由来の善光寺がある。そのすぐ先である。こっちの道の方が駅から行きやすいように思う。
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晴れていたので、背景の空に良く映えるが、落葉はまだほとんどないではないか。では、もう一度と23日に行ってみたのだが…。なんと、伸びすぎたので17日に区が伐採すると貼り紙があるのだった。
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これはまたすっきりしてしまったもんだ。こうなっては、また伸びる来春以降にまた行くべきか。それとも雪の日かなんかに見に行こうかな。そう、なんだか気に入ってしまって、また見に行きたいのである。ムクノキのすぐ近くに、慈眼院・澤蔵司稲荷(じげんいん・たくぞうすいなり)がある。ここのホームページを見ると、ムクノキは江戸時代から有名だったとある。境内には、芭蕉の「一しぐれ 礫や降って 小石川」の碑もあるというが、よく判らなかった。秋に行くと、紅葉がきれいで、絵を描いている人が多いのに驚いた。坂道の途中で気持ちのいい場所である。坂の下の善光寺は、もとは伝通院の塔頭だったが、明治になって信州の善光寺の分院になったという。坂の名の由来。写真は省略。
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