尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ジャ・ジャンクーの新作「罪の手ざわり」

2014年11月26日 21時40分49秒 |  〃  (新作外国映画)
 25日にキネカ大森の名画座で2本の映画を見たので、その感想。もうロードショーは終わっているわけだけど、今後各地で上映に機会もあると思う。どちらもものすごい作品で、是非どこかで見て欲しい映画。今年は数年ぶりで外国映画の当たり年だと思う。まず1作目は、中国映画の第六世代を代表する映画作家、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の「罪の手ざわり」である。

 「罪の手ざわり」は、現代中国の恐るべき心の荒廃を圧倒的な映像で描き出した犯罪映画の傑作である。ジャ・ジャンクーは、2007年のキネマ旬報外国映画ベストワンになった「長江哀歌」(ベネチア映画祭グランプリ)という凄まじい傑作があった。それまでにも「プラットホーム」、「青の稲妻」、「世界」と驚くべき映像作品を作っているが、何しろ重厚長大というか、とにかく長くて、ストーリー性が希薄、ひたすら情景を凝視するような作品が多く、中国映画に関心があるシネフィル向けという面があった。「長江哀歌」は判りやすいうえに、108分と比較的短い。その後、「四川のうた」やドキュメントを作ったが、「罪の手ざわり」は久々の本格的新作という感じで、2013年のカンヌ映画祭で脚本賞を得た。

 この映画も129分と長いが、話は4つに分かれ、ほとんどオムニバス映画なので、今までで一番判りやすい。ジャ・ジャンクーの入門として最適。いつもと同じく、製作には北野オフィスなど日本の映画界が協力している。4話すべて、現実に起こった事件だというが、その暴力的な風土に驚くほかないような映画である。1話目は、山西省の元炭鉱夫が、村有の炭鉱を売り払って財閥になった昔の同級生や村長を恨み、個人的に決起する。「カネがすべて」の社会に生きられない男の侠気が、雄大な風景の中に展開する。2話目は、重慶の男が妻に隠して、犯罪に生きている姿を描く。この男は冒頭に出てきて、強い印象を残している。3話目は、湖北省の女が愛人の男ともめている。結局、男は広州へ戻り、サウナの受付をする女は仕事に戻るが、カネにあかせた男がマッサージを強要してきて、キレてしまう。4話目は、広東省の若い縫製工の男が仕事を逃げ、風俗産業に移り、そこで働く女に恋してしまう。4話目も悲劇だけど、普通の犯罪ではない。

 一つ一つの話は短いけれど、少しづつ人物が重なっていて、見ているうちに現代中国への壮大な告発になっている。「カネがすべての夜の中」への反発がすべてで見られ、特に3話目や4話目では主人公が金持ちに奴隷のような屈辱を味わわされる。まるで近松門左衛門の人形浄瑠璃である。このような中国社会の心の荒廃が一番印象的で、しかし、アメリカン・ニュー・シネマのことなどを思い出しても、自国の暗部を摘出する映画を作る人材が存在するということが社会の健全さでもあると思った。北京や上海と違う、地方都市の様子もうかがえ、中国ウォッチングの意味でも見逃せない。路地で演じられている京劇がたびたび挿入されるが、古典の世界と現代がつながっているような世界なのかと思う。

 
 ジャ・ジャンクーは、第5世代の陳凱歌(チェン・カイコ―)や張芸謀(チャン・イーモウ)に影響されて映画を志した世代だが、前世代の圧倒的な物語世界は封印してきた。しかし、中国の雄大な風景描写は今までも印象的で、今回の映画でも各地の様々自然描写が印象に残る。中国映画は世界に衝撃を与えてから、もう30年近くたち、最近は中国映画の存在感も薄れてきた。イランと同じく、社会的な困難さが映画作家にも影響を与えているのだろうと思う。ロウ・イエやワン・ビンのように、中国国内で公開できない道を選んだ作家もいる。ジャ・ジャンクーの場合は知らないが、やはり国際的な知名度ほどには国内で見られていないのではないか。

 こんなすごい映画を見ないで置くのは損だと思うが、「犯罪」に手をそめた人間の悲しさ、やるせなさが見る者に迫ってくる。こういう映画は昔の日本映画にもよく見られた。内田吐夢「飢餓海峡」とか、今村昌平「復讐するは我にあり」とかの、巨大スケールの「犯罪映画」である。そして、ジャ・ジャンク―が紛れもなく、内田吐夢や今村昌平に匹敵する映画史上の巨匠になったことを示しているのが、この映画だろう。
コメント (1)
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