東京散歩で大学も取り上げてきたので、家から近い東京大学を散歩しようかなと思った。東京では12月初旬がイチョウの黄葉の見ごろなので、12月2日と7日に出かけた。選挙運動期間である。選挙関係を書くのは終わりにして、こっちを書くけど時期がずれた。でもいつ行ってもいいのではないかと思う。(関係者以外、用のないものは入るなと門に書いてあるけど、たくさんの人が散歩してるし、外部公開している施設もあるので、問題ない。)2回行ったのは、途中でデジカメのバッテリーが切れてしまったからだが、一回では見逃しもあったので二度ぐらい行くほうがいい。
東大は文京区の本郷一帯の他、目黒区の駒場の教養学部他全国に施設がある。今回、散歩したのは、東大というと普通思い浮かべる本郷キャンパスとその周辺。赤門、三四郎池、安田講堂など全国区の知名度を誇る名所が集まっているけど、その辺りは次回に回して最初に農学部とその周辺を取り上げる。赤門から本郷通りを北上して言問通りの信号を渡ったところ、この地域でも北にあるキャンパスである。地下鉄南北線東大前駅が近い。僕は地下鉄千代田線根津駅から寄り道しながら行ったけど、途中の話は後回しにして農学部の写真から。門を入るともう黄葉の盛り。

特に最初の写真、ガラスに映って素晴らしいので、角度を少し変えて二枚撮った。奥の方の駐輪場は落葉が敷き詰められて凄かった。ところで、東大には「東京都選定歴史的建造物」が3つある。その一つが農学部3号館で、1941年建築の4階建ての建物である。門を入ってイチョウ並木の真向かい正面にある。本郷キャンパスを歩いていると、他にも古そうな建物がいっぱいあるんだけど、特にこれだけ指定されている理由は判らない。「震災復興計画に採用されたゴシック様式を踏襲」という。

農学部で見逃してはいけないのは、門を入ってすぐ左側にある「農学資料館」である。びっくりしたことに、ここには「ハチ公の内臓」が保管されていた。ハチ公の飼い主だった上野博士の銅像もある。「ビタミン」の発見(「オリザニン」の発見)で有名な鈴木梅太郎のコーナーもある。小さいけれど、是非見ておきたい資料館である。また、門を入って左側に「朱舜水」の碑がある。明代の儒者で、明の滅亡により日本に亡命した。水戸学に大きな影響を与え、先ごろ散歩記を書いた小石川後楽園造営にも影響を与えた人物である。碑は「朱舜水先生終焉之地」とある。

ところで、根津駅から東大に至る地域の地名は「弥生」という。そう、「弥生式土器」の弥生とはここ。弥生式土器発見の碑が工学部脇の言問通り沿いにある。その近くの道を曲がると、少し先に「弥生美術館」がある。高畠華宵の絵を中心に展示し、竹久夢二美術館も併設している。前はその隣に「立原道造記念館」があった。一回行ったことがあるが、惜しくも2011年に閉館となった。跡地は取り壊されているが、「やさしいひとらよ たずねるな!…」という道造の詩の一節が刻まれたパネルが無造作に工事現場に置きざりにされている。これはこれで奇観である。

さて、根津駅から言問通りを行くと、左側に東大工学部が出てくる。一方、その反対側に渡って小さな通りを曲がっていくと、「異人坂」などという魅惑的な名前の坂がある地域に出る。その近くに作家、詩人のサトウハチローが住んでいた。「ちいさい秋みつけた」や「リンゴの唄」の作詞家である。前は家が記念館になっていて、閉館前に見に行ったことがある。(記念館は岩手県北上市に移されている。)今はすっかり取り壊されてマンションになっているが、説明のパネルが残されている。(写真ではよく判らないけれど。)その通りとは違うけれど、近くの通りに古そうな建物があり、近づいてみると「札幌旅館」とある閉館した旅館が残っていた。何だか由緒のありそうな…
東大は文京区の本郷一帯の他、目黒区の駒場の教養学部他全国に施設がある。今回、散歩したのは、東大というと普通思い浮かべる本郷キャンパスとその周辺。赤門、三四郎池、安田講堂など全国区の知名度を誇る名所が集まっているけど、その辺りは次回に回して最初に農学部とその周辺を取り上げる。赤門から本郷通りを北上して言問通りの信号を渡ったところ、この地域でも北にあるキャンパスである。地下鉄南北線東大前駅が近い。僕は地下鉄千代田線根津駅から寄り道しながら行ったけど、途中の話は後回しにして農学部の写真から。門を入るともう黄葉の盛り。




特に最初の写真、ガラスに映って素晴らしいので、角度を少し変えて二枚撮った。奥の方の駐輪場は落葉が敷き詰められて凄かった。ところで、東大には「東京都選定歴史的建造物」が3つある。その一つが農学部3号館で、1941年建築の4階建ての建物である。門を入ってイチョウ並木の真向かい正面にある。本郷キャンパスを歩いていると、他にも古そうな建物がいっぱいあるんだけど、特にこれだけ指定されている理由は判らない。「震災復興計画に採用されたゴシック様式を踏襲」という。




農学部で見逃してはいけないのは、門を入ってすぐ左側にある「農学資料館」である。びっくりしたことに、ここには「ハチ公の内臓」が保管されていた。ハチ公の飼い主だった上野博士の銅像もある。「ビタミン」の発見(「オリザニン」の発見)で有名な鈴木梅太郎のコーナーもある。小さいけれど、是非見ておきたい資料館である。また、門を入って左側に「朱舜水」の碑がある。明代の儒者で、明の滅亡により日本に亡命した。水戸学に大きな影響を与え、先ごろ散歩記を書いた小石川後楽園造営にも影響を与えた人物である。碑は「朱舜水先生終焉之地」とある。




ところで、根津駅から東大に至る地域の地名は「弥生」という。そう、「弥生式土器」の弥生とはここ。弥生式土器発見の碑が工学部脇の言問通り沿いにある。その近くの道を曲がると、少し先に「弥生美術館」がある。高畠華宵の絵を中心に展示し、竹久夢二美術館も併設している。前はその隣に「立原道造記念館」があった。一回行ったことがあるが、惜しくも2011年に閉館となった。跡地は取り壊されているが、「やさしいひとらよ たずねるな!…」という道造の詩の一節が刻まれたパネルが無造作に工事現場に置きざりにされている。これはこれで奇観である。




さて、根津駅から言問通りを行くと、左側に東大工学部が出てくる。一方、その反対側に渡って小さな通りを曲がっていくと、「異人坂」などという魅惑的な名前の坂がある地域に出る。その近くに作家、詩人のサトウハチローが住んでいた。「ちいさい秋みつけた」や「リンゴの唄」の作詞家である。前は家が記念館になっていて、閉館前に見に行ったことがある。(記念館は岩手県北上市に移されている。)今はすっかり取り壊されてマンションになっているが、説明のパネルが残されている。(写真ではよく判らないけれど。)その通りとは違うけれど、近くの通りに古そうな建物があり、近づいてみると「札幌旅館」とある閉館した旅館が残っていた。何だか由緒のありそうな…


