集団的自衛権の問題については、去年(2014年)の5月に何回か書いている。しかし、それは「集団的自衛権とはそもそも何なのか」などを自分なりに詳しく書いていて、どうも長くて読みにくい。今年はスルーしようかとも思ったんだけど、やはり心にかかっているので、他の記事を置いて数回書いておきたい。あんまり長くしないで、簡潔を心掛けたいと思う。
まず、言っておくべきことは、どう考えても憲法違反だろうということである。法的な細かい議論を今する気はない。憲法制定の経緯とか、いわゆる「芦田修正」とか、「砂川判決」の解釈とか、「統治行為論」とか…。「自衛隊はそもそも違憲なのではないか」とか「自衛隊は専守防衛に徹するべきだ」とか…。日米安全保障条約の問題、沖縄の基地問題…。そして、中国の海洋進出をどう考えるかとか、「北朝鮮」の核開発をどう考えるか…まあ、いろいろと考えるべき問題は山積しているのは間違いない。それらを全部きちんと知識を持って、自分の考えをはっきりさせないと何も言えないと言われたら、ほとんどの人は口をつぐむしかない。でも、まず憲法を読んでみよう。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これを読めば、「日本人は戦争を放棄した」というしかないではないか。加藤陽子東大教授の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」にならって言えば、「戦争に負けて、それからは日本人は戦争を放棄した」と言うべきだろう。これは当時を知る人々、当時を知る人々から直接話を聞いた人々には、ほとんど常識だろう。憲法制定の経緯などどうでもいい。押し付けだろうが、GHQが書いていようが、「もう二度と戦争はこりごりだ」という日本国民の思いがこの条文を支持させた。ほとんどの国民はこれを受け入れた。何かと言えば政治に口をだし、勝手に戦争を進行した軍部は解体された。もう二度と日本は戦争をしないのである。これはいい。国内で310万人と言われるぼう大な犠牲者を出して、「二度と戦死者を出さない」という戦後の歴史が始まった。
ホルムズ海峡に地雷がまかれた場合、それを自衛隊が掃海する。それはどう見たって「国際紛争を解決する手段」として武力を発動しているとしか言えないではないか。「集団的自衛権」と言うんだから、日本は直接には攻撃されていないのである。そういう場合に自衛隊が派遣されるというのは、永久に放棄されたはずの戦争そのものである。直接的な戦闘には関わらず、「後方支援」=「兵站」を担当するだけであっても、どう言い繕っても戦争である。
戦争を放棄するって言っても、向こうから攻めてきたらどうするの?ハイハイ。そういうことを言う人はいつもいましたね。だから自衛隊が作られた。まあ最初は米軍の命令だけど。さて、自衛隊を合憲とするには、どうすればいいのか。それは(正しいかどうかは別にして)、「直接的に外国軍に侵略された場合に武力で反撃するのは、『国権の発動たる戦争』や『国際紛争』には当たらない」と解釈すること以外には考えつかない。(しかし、このように日本の「個別的自衛権」を認める解釈をした場合、なんで日米安全保障条約が必要なのかが判らないが。)でも、今回は攻められていないのに、自分で判断して出ていくんだから、憲法をクリアーすることはできない。
だけど、憲法の細かい条文上の問題ではないだろう。靖国神社大好きの安倍首相やその一党は、靖国に参拝して何を祈る?その後戦死者が出てなくて、皆さんも寂しいでしょうとでも思うのか。皆様の犠牲をもって、日本は戦争をしない国になりましたと言わないのだろうか。「保守」というのは、「常識」と「国益」をもとに判断する人々だと思っている。つまり、安倍首相一派(という言い方はあまり好きではないが)は、「保守」ではないのだ。「常識」に立ち戻って、虚心に戦争の犠牲と戦後日本の歩みを振り返ってみようではないか。
まず、言っておくべきことは、どう考えても憲法違反だろうということである。法的な細かい議論を今する気はない。憲法制定の経緯とか、いわゆる「芦田修正」とか、「砂川判決」の解釈とか、「統治行為論」とか…。「自衛隊はそもそも違憲なのではないか」とか「自衛隊は専守防衛に徹するべきだ」とか…。日米安全保障条約の問題、沖縄の基地問題…。そして、中国の海洋進出をどう考えるかとか、「北朝鮮」の核開発をどう考えるか…まあ、いろいろと考えるべき問題は山積しているのは間違いない。それらを全部きちんと知識を持って、自分の考えをはっきりさせないと何も言えないと言われたら、ほとんどの人は口をつぐむしかない。でも、まず憲法を読んでみよう。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
これを読めば、「日本人は戦争を放棄した」というしかないではないか。加藤陽子東大教授の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」にならって言えば、「戦争に負けて、それからは日本人は戦争を放棄した」と言うべきだろう。これは当時を知る人々、当時を知る人々から直接話を聞いた人々には、ほとんど常識だろう。憲法制定の経緯などどうでもいい。押し付けだろうが、GHQが書いていようが、「もう二度と戦争はこりごりだ」という日本国民の思いがこの条文を支持させた。ほとんどの国民はこれを受け入れた。何かと言えば政治に口をだし、勝手に戦争を進行した軍部は解体された。もう二度と日本は戦争をしないのである。これはいい。国内で310万人と言われるぼう大な犠牲者を出して、「二度と戦死者を出さない」という戦後の歴史が始まった。
ホルムズ海峡に地雷がまかれた場合、それを自衛隊が掃海する。それはどう見たって「国際紛争を解決する手段」として武力を発動しているとしか言えないではないか。「集団的自衛権」と言うんだから、日本は直接には攻撃されていないのである。そういう場合に自衛隊が派遣されるというのは、永久に放棄されたはずの戦争そのものである。直接的な戦闘には関わらず、「後方支援」=「兵站」を担当するだけであっても、どう言い繕っても戦争である。
戦争を放棄するって言っても、向こうから攻めてきたらどうするの?ハイハイ。そういうことを言う人はいつもいましたね。だから自衛隊が作られた。まあ最初は米軍の命令だけど。さて、自衛隊を合憲とするには、どうすればいいのか。それは(正しいかどうかは別にして)、「直接的に外国軍に侵略された場合に武力で反撃するのは、『国権の発動たる戦争』や『国際紛争』には当たらない」と解釈すること以外には考えつかない。(しかし、このように日本の「個別的自衛権」を認める解釈をした場合、なんで日米安全保障条約が必要なのかが判らないが。)でも、今回は攻められていないのに、自分で判断して出ていくんだから、憲法をクリアーすることはできない。
だけど、憲法の細かい条文上の問題ではないだろう。靖国神社大好きの安倍首相やその一党は、靖国に参拝して何を祈る?その後戦死者が出てなくて、皆さんも寂しいでしょうとでも思うのか。皆様の犠牲をもって、日本は戦争をしない国になりましたと言わないのだろうか。「保守」というのは、「常識」と「国益」をもとに判断する人々だと思っている。つまり、安倍首相一派(という言い方はあまり好きではないが)は、「保守」ではないのだ。「常識」に立ち戻って、虚心に戦争の犠牲と戦後日本の歩みを振り返ってみようではないか。