尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「帰ってきたヒトラー」

2016年05月04日 18時37分42秒 | 〃 (外国文学)
 2012年にドイツで大ベストセラーになった小説、ティムール・ウェルメシュ「帰ってきたヒトラー」。映画化され、日本公開されるのに合わせて、河出から文庫化されたので読んでみた。案外軽くて読みやすく、スラスラ読めてしまう本だった。面白いことは面白い。
 
 2011年、ドイツの首都ベルリン。ある夜に突然ヒトラーが目覚める。ヒトラーはドイツ敗北直前に自殺した(とされる)。1889年に生まれて、1945年4月30日に死んだ。遺体はガソリンを掛けて焼却されたとされる。だから、死体はない。連合国側に死体が渡るのを恐れたらしい。そこで、ヒトラーは生きているのではないか的な憶測も昔は存在した。でも、仮にどこかで生きていたとしても、もう自然死しているほどの時間が経った。120歳を超えて活動できるわけがない。だから、この小説では「どこかで生きていた」のではない。ガソリンをかぶったまま、なぜか「冷凍保存」みたいになっていて、突然よみがえる。

 小説は何だって可能なんだから、そうなっちゃったという前提で話が進む。アドルフ・ヒトラーが、当時のまま再来するのである。で、どうなるか。人々は「ヒトラーなり切り芸人」と思う。売れるためにそこまで整形するもんかねという感じ。「本名」はアドルフ・ヒトラーだけど、そこまでなりきって本名を明かさない本格芸人だと。テレビ局と契約し、番組に出て「ホンネトーク」すると、インターネットで大受けする。「ユーチューブに出ているんですよ!」「アクセス数が70万回を超えました!」

 こうして、一種の社会現象となっていくが、ネオナチに突撃取材し、タブロイド新聞と衝突し、襲撃されて入院する。ヒトラーも昔と違っていることをだんだん学んでいき、「インターネッツ」(なぜか「ネッツ」と思い込む)で活動を続けていくのである。その過程を「ヒトラーなりきり」の「ヒトラー目線」の一人称でつづっていくのが、この本。その「現代観察」のずれと、一種の「なるほど感」が面白い。

 例えば、昔ながらの一枚刃のカミソリが欲しい。慣れているのである。大体、携帯電話のように、一つの機械で何種類もの機能を持つというのが気に入らない。(なるほど、それは便利だと思うのは若い人で、「便利になればなるほど、扱いにくく不便になる」と高齢者が思っているのは世界中同じである。)だけど、周りの人間も入手できず、自分で買いに行くことになる。なんで「総統」自ら買い物に行かされるのかと怒りながら。そうして行ってみると、店員が少なく、自分で商品を見つけないといけない。おかしいと思うが、もう少し考えると、これは良いシステムだと思う。何故なら若者を商店で働かせずに済めば、その分国防軍で使えるからである。だが、調べてみると、軍隊は増えていない。では、若者はどこへ行ったのか…と果てしなくトンチンカン思考が続いて行く。どこへ行きつくかは自分で読んでください。この「変な味わい」が、まあ魅力。

 何しろ、「本物のヒトラー」なんだから、戦前の知識と感覚しかないわけである。そこで本気でトークすると、現代では過激なジョークとして機能する。その辺が、ヒトラーへの風刺と同時に、現代社会への風刺となる。だけど、外国人、特にトルコ人や東欧から来た人々への「偏見」がいっぱい出てくる。ユダヤ人への差別感ももちろん。現代ドイツが繁栄しているのを見て、やはり(「ドイツ人を搾取していた」)ユダヤ人をナチスが減らしたからだと解釈するのである。あまりにも突飛なので、それが「差別」だと誰も受け取らないレベルだとしても、これは「きわどすぎる」と感じる人もいると思う。そうした批判はドイツでもあったようだ。だけど、まあ、それは「風刺」なんだから、それが誰でも判るレベルだから、僕は問題はないと思う。だが、その分、「風刺小説」として軽くなっているのも確かだ。スラスラ読めて、それでおしまい的な感じもする。(イスラエルでも翻訳されたという。)

 作者は1967年生まれのジャーナリスト。ハンガリー難民の父とドイツ人の母の間に生まれた。自分が東欧系の出自を持つから、東欧出身者への「ヒトラーの蔑視」をも書けたということだろう。ジャーナリスト的な読みやすい文章で、よく勉強していることが判る。一種のジャーナリズム的な面白さの本だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「チャイナ・シンドローム」

2016年05月04日 01時00分12秒 |  〃  (旧作外国映画)
 1979年のアメリカ映画「チャイナ・シンドローム」を37年ぶりに再見。新文芸坐でサミュエル・フラーの旧作をレイトショーしている。自伝刊行に合わせてユーロスペースでやったのを見逃したので、ぜひ見たいのである。最初の「裸のキッス」も良かった。アメリカの優れたB級映画には、離れがたいテイストがある。今日も「ショック集団」を見るのに合わせて、昼間のクラシック映画特集で昔の「クレイマー、クレイマー」と「チャイナ・シンドローム」を見たわけである。

 ついでだから、「クレイマー、クレイマー」に触れておくと、さすがの名作だった。1979年のアカデミー作品賞。(監督、主演男優、助演女優、脚色賞も。)1980年のキネマ旬報ベストワンである。でも、離婚訴訟、女の自立、男の育児という、今では別に珍しくないテーマだから、今見るとどうなんだろうとちょっと心配だった。でも、やっぱり全然古びていない。まあ、ケータイ電話やパソコンはない。ダスティン・ホフマンの格好も70年代という感じ。でも、演出のうまさもあいまって、引き込まれてしまう。メリル・ストリープの最初のアカデミー賞受賞だったが、以後名前を忘れられない女優となった。

 さて、「チャイナ・シンドローム」。言わずと知れた原発事故映画。隠蔽しようとする電力会社とテレビで報道しようとするジャーナリストの闘いを描いている。「チャイナ・シンドローム」という言葉もこれで知ったと思う。メルトダウン(炉心溶融)の大事故のことである。溶けた核燃料が地球を突き抜けて中国に達するという「ブラックジョーク」だけど、よく考えてみると地球でアメリカの裏側は中国ではないではないか。(そもそも北半球の国の反対側は必ず南半球になる。)そんなことも気づかず、この言葉が一種の流行語になった。アカデミー賞の主演男女優賞にノミネートされ、日本でも79年のキネ旬9位に入っている。ビリー・ワイルダーの映画で記憶するジャック・レモンの渾身の演技が素晴らしい。
 
 ジェーン・フォンダが演じるテレビリポーターは、男性アナの添え物的扱いで、虎の赤ちゃんが生まれたとかそういうニュースばかり担当させられている。カリフォルニアの原発に取材に行ったのも、新原発の完成審査を前に、電力会社の宣伝を撮りに行くのである。だけど、コントロール・ルームを取材中に地震があり、その後、あわただしい動きを目撃する。撮影禁止だったけど、カメラマンのマイケル・ダグラス(若い!)は秘密で撮影してしまう。そのフィルムを報道できるのか、そもそも一体何が起こったのか。会社側とテレビ局の動きを追いながら、やがて「真相」に気づいた技師が会社に反逆する。

 地震そのものは非常に軽微なもので、最初はいくら映画でもこれで壊れるというのはどうなんだろと思ってしまったが、それは「伏線」だった。だけど、会社側の対応や「個人決起」する展開などは、「アメリカ映画的展開」で、僕には不満も残る。それは公開時に見た時も思った気がする。ウィキペディアを見ると、この映画公開12日後にスリーマイル島事故が起きたとある。そのことは忘れていたが、現実にメルトダウンが起きたわけである。だけど、映画では大事故直前でなぜか事故が避けられる。

 まあ、今ではスリーマイルどころか、チェルノブイリ、福島第一があったわけだが、それ以前に「過酷事故」が起きてカリフォルニアに人が住めなくなるといった展開の映画は作れないだろう。それは公開禁止を求めた訴訟も予想される。とても製作費をペイできないと判断されるはずだ。だから、この映画では、どうしても「個人」の生き方に焦点があっていく。だから、題名のインパクトほどには、僕は内容を忘れていたのである。今回再見してみると、その迫力ある「ポリティカル・サスペンス」の展開は今も見応えがある。運転する電力会社と同時に、建設した建設会社に大きな問題があるという指摘も、今も大きな教訓と言える。さらに、「経営的観点」に固執する電力会社のありかたも、まるで日本のいまを映し出すようだ。中味はちょっと古いと思うが、基本的な構図は変わっていないということだ。

 1986年4月26日のチェルノブイリ事故から30年。あの時は日本でも大きく反対運動が盛り上がり、僕も夫婦でデモに参加した記憶がある。そして、「3.11」を経て、それでも日本が何も変わっていないのは何故?僕も完全には説明できない。映画の中に「原子力規制委員会」が出てきて、公開当時の日本にはなかったものが、今の日本にあるのが不思議な感じ。だけど、この映画でも真相は報じられないで終わる。それに、核廃棄物問題などは取り上げられていない。(公聴会などの反対派の主張には出てくるが。)ジェーン・フォンダ主演の社会派映画という枠を超えられていないんだろう。70年代のジェーン・フォンダ(1937~)は2回のアカデミー賞を受けた絶頂期で、戦争中にハノイを訪れた反戦女優として知られた「社会派女優」だった。前年の「帰郷」で二度目のオスカーを得た直後の企画で、「売れる社会派」としての枠組みに沿った映画という感じ。一本の映画だけで世界を変えることはできない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする