2012年にドイツで大ベストセラーになった小説、ティムール・ウェルメシュ「帰ってきたヒトラー」。映画化され、日本公開されるのに合わせて、河出から文庫化されたので読んでみた。案外軽くて読みやすく、スラスラ読めてしまう本だった。面白いことは面白い。

2011年、ドイツの首都ベルリン。ある夜に突然ヒトラーが目覚める。ヒトラーはドイツ敗北直前に自殺した(とされる)。1889年に生まれて、1945年4月30日に死んだ。遺体はガソリンを掛けて焼却されたとされる。だから、死体はない。連合国側に死体が渡るのを恐れたらしい。そこで、ヒトラーは生きているのではないか的な憶測も昔は存在した。でも、仮にどこかで生きていたとしても、もう自然死しているほどの時間が経った。120歳を超えて活動できるわけがない。だから、この小説では「どこかで生きていた」のではない。ガソリンをかぶったまま、なぜか「冷凍保存」みたいになっていて、突然よみがえる。
小説は何だって可能なんだから、そうなっちゃったという前提で話が進む。アドルフ・ヒトラーが、当時のまま再来するのである。で、どうなるか。人々は「ヒトラーなり切り芸人」と思う。売れるためにそこまで整形するもんかねという感じ。「本名」はアドルフ・ヒトラーだけど、そこまでなりきって本名を明かさない本格芸人だと。テレビ局と契約し、番組に出て「ホンネトーク」すると、インターネットで大受けする。「ユーチューブに出ているんですよ!」「アクセス数が70万回を超えました!」
こうして、一種の社会現象となっていくが、ネオナチに突撃取材し、タブロイド新聞と衝突し、襲撃されて入院する。ヒトラーも昔と違っていることをだんだん学んでいき、「インターネッツ」(なぜか「ネッツ」と思い込む)で活動を続けていくのである。その過程を「ヒトラーなりきり」の「ヒトラー目線」の一人称でつづっていくのが、この本。その「現代観察」のずれと、一種の「なるほど感」が面白い。
例えば、昔ながらの一枚刃のカミソリが欲しい。慣れているのである。大体、携帯電話のように、一つの機械で何種類もの機能を持つというのが気に入らない。(なるほど、それは便利だと思うのは若い人で、「便利になればなるほど、扱いにくく不便になる」と高齢者が思っているのは世界中同じである。)だけど、周りの人間も入手できず、自分で買いに行くことになる。なんで「総統」自ら買い物に行かされるのかと怒りながら。そうして行ってみると、店員が少なく、自分で商品を見つけないといけない。おかしいと思うが、もう少し考えると、これは良いシステムだと思う。何故なら若者を商店で働かせずに済めば、その分国防軍で使えるからである。だが、調べてみると、軍隊は増えていない。では、若者はどこへ行ったのか…と果てしなくトンチンカン思考が続いて行く。どこへ行きつくかは自分で読んでください。この「変な味わい」が、まあ魅力。
何しろ、「本物のヒトラー」なんだから、戦前の知識と感覚しかないわけである。そこで本気でトークすると、現代では過激なジョークとして機能する。その辺が、ヒトラーへの風刺と同時に、現代社会への風刺となる。だけど、外国人、特にトルコ人や東欧から来た人々への「偏見」がいっぱい出てくる。ユダヤ人への差別感ももちろん。現代ドイツが繁栄しているのを見て、やはり(「ドイツ人を搾取していた」)ユダヤ人をナチスが減らしたからだと解釈するのである。あまりにも突飛なので、それが「差別」だと誰も受け取らないレベルだとしても、これは「きわどすぎる」と感じる人もいると思う。そうした批判はドイツでもあったようだ。だけど、まあ、それは「風刺」なんだから、それが誰でも判るレベルだから、僕は問題はないと思う。だが、その分、「風刺小説」として軽くなっているのも確かだ。スラスラ読めて、それでおしまい的な感じもする。(イスラエルでも翻訳されたという。)
作者は1967年生まれのジャーナリスト。ハンガリー難民の父とドイツ人の母の間に生まれた。自分が東欧系の出自を持つから、東欧出身者への「ヒトラーの蔑視」をも書けたということだろう。ジャーナリスト的な読みやすい文章で、よく勉強していることが判る。一種のジャーナリズム的な面白さの本だろう。


2011年、ドイツの首都ベルリン。ある夜に突然ヒトラーが目覚める。ヒトラーはドイツ敗北直前に自殺した(とされる)。1889年に生まれて、1945年4月30日に死んだ。遺体はガソリンを掛けて焼却されたとされる。だから、死体はない。連合国側に死体が渡るのを恐れたらしい。そこで、ヒトラーは生きているのではないか的な憶測も昔は存在した。でも、仮にどこかで生きていたとしても、もう自然死しているほどの時間が経った。120歳を超えて活動できるわけがない。だから、この小説では「どこかで生きていた」のではない。ガソリンをかぶったまま、なぜか「冷凍保存」みたいになっていて、突然よみがえる。
小説は何だって可能なんだから、そうなっちゃったという前提で話が進む。アドルフ・ヒトラーが、当時のまま再来するのである。で、どうなるか。人々は「ヒトラーなり切り芸人」と思う。売れるためにそこまで整形するもんかねという感じ。「本名」はアドルフ・ヒトラーだけど、そこまでなりきって本名を明かさない本格芸人だと。テレビ局と契約し、番組に出て「ホンネトーク」すると、インターネットで大受けする。「ユーチューブに出ているんですよ!」「アクセス数が70万回を超えました!」
こうして、一種の社会現象となっていくが、ネオナチに突撃取材し、タブロイド新聞と衝突し、襲撃されて入院する。ヒトラーも昔と違っていることをだんだん学んでいき、「インターネッツ」(なぜか「ネッツ」と思い込む)で活動を続けていくのである。その過程を「ヒトラーなりきり」の「ヒトラー目線」の一人称でつづっていくのが、この本。その「現代観察」のずれと、一種の「なるほど感」が面白い。
例えば、昔ながらの一枚刃のカミソリが欲しい。慣れているのである。大体、携帯電話のように、一つの機械で何種類もの機能を持つというのが気に入らない。(なるほど、それは便利だと思うのは若い人で、「便利になればなるほど、扱いにくく不便になる」と高齢者が思っているのは世界中同じである。)だけど、周りの人間も入手できず、自分で買いに行くことになる。なんで「総統」自ら買い物に行かされるのかと怒りながら。そうして行ってみると、店員が少なく、自分で商品を見つけないといけない。おかしいと思うが、もう少し考えると、これは良いシステムだと思う。何故なら若者を商店で働かせずに済めば、その分国防軍で使えるからである。だが、調べてみると、軍隊は増えていない。では、若者はどこへ行ったのか…と果てしなくトンチンカン思考が続いて行く。どこへ行きつくかは自分で読んでください。この「変な味わい」が、まあ魅力。
何しろ、「本物のヒトラー」なんだから、戦前の知識と感覚しかないわけである。そこで本気でトークすると、現代では過激なジョークとして機能する。その辺が、ヒトラーへの風刺と同時に、現代社会への風刺となる。だけど、外国人、特にトルコ人や東欧から来た人々への「偏見」がいっぱい出てくる。ユダヤ人への差別感ももちろん。現代ドイツが繁栄しているのを見て、やはり(「ドイツ人を搾取していた」)ユダヤ人をナチスが減らしたからだと解釈するのである。あまりにも突飛なので、それが「差別」だと誰も受け取らないレベルだとしても、これは「きわどすぎる」と感じる人もいると思う。そうした批判はドイツでもあったようだ。だけど、まあ、それは「風刺」なんだから、それが誰でも判るレベルだから、僕は問題はないと思う。だが、その分、「風刺小説」として軽くなっているのも確かだ。スラスラ読めて、それでおしまい的な感じもする。(イスラエルでも翻訳されたという。)
作者は1967年生まれのジャーナリスト。ハンガリー難民の父とドイツ人の母の間に生まれた。自分が東欧系の出自を持つから、東欧出身者への「ヒトラーの蔑視」をも書けたということだろう。ジャーナリスト的な読みやすい文章で、よく勉強していることが判る。一種のジャーナリズム的な面白さの本だろう。