尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「日本文学100年の名作」を読む②

2016年05月21日 23時00分49秒 | 本 (日本文学)
 新潮文庫の近代日本の短編アンソロジーを読む話、2回目。今回は第6巻の「ベトナム姐ちゃん」、第7巻「公然の秘密」、第8巻「薄情くじら」を取り上げる。小説が発表された時代は、1964年から1993年になる。「高度成長」と呼ばれ、日本社会を大きく変えた時代だが、作家の心は必ずしもその時代に生きているわけではない。生活が安定すればむしろ戦争や極貧の時代を思い出すのが人間の心なんだろう。表題作は、「ベトナム姐ちゃん」は(読んでなかったけど)多分野坂昭如だろうと思ったけど、残り二つは判らない。「公然の秘密」は安部公房、「薄情くじら」は田辺聖子だった。
  
 第6巻は川端康成「片腕」大江健三郎「空の怪物アグイー」司馬遼太郎「倉敷の若旦那」の3作が冒頭に並んでいる。前の二つは読んでるけど、何十年も前だからどんな話だったかなあ。この3つで172頁もある。ズシリと重いものを読んだ感じがした。川端、大江、司馬の名前を知らない人は多分いないと思う。少しぐらい読んでる人が多いかとも思う。でも、ちゃんと読んでるかと言われると、いやあと答える人の方が多いんじゃないか。川端は「伊豆の踊子」なんかしか読んでない人だと、この「片腕」のシュールぶり、ほとんどホラーかSFかというファンタジー。それも「老い」に関してまったく古びてない小説にはビックリするしかないだろう。いやあ、川端康成をもう一回ちゃんと読み直したくなった。

 すごいといえば大江「空の怪物アグイー」も。大江健三郎って、ノーベル賞だけどなんだか小難しそうな小説だし、反原発とか護憲とか集会に出てくる作家っていうイメージの人が多いかも。でも、この瑞々しいファンタジー、というかSF? あるいは「心の闇」を見つめる青春文学?は今も力を失っていない。都会の学生のフシギ体験を描くこの小説は、村上春樹と言われても通じそうな現代性を持っている。一方、司馬遼太郎って竜馬とか新撰組、あるいは戦国大名など大河ドラマみたいな小説を書いた人と思ってる人も多いだろう。でも「倉敷の若旦那」は、地方に生まれ時代に翻弄され、利用されるだけ利用されてポイされた男を描く中編で、今に通じるすごい話。初めて読んで、その現代性に驚いた。ここまで読むだけでモトをとれた気がするが、次が軽い軽い和田誠「おさる日記」で、よくこんな小説知ってたなあと思う、超フシギ小説が入っているのが、このシリーズのすごさなのである。

 木山捷平「軽石」に続いて、野坂昭如「ベトナム姐ちゃん」はベトナム戦争で米兵がいっぱいいた時代を舞台の、実に強烈な「娼婦小説」で、これが小説というもの。小松左京「くだんのはは」は、第一巻収録の内田百「件」(くだん)を受けていることが最後にわかる。「九段の母」かと思うと、うっちゃり。陳舜臣、池波正太郎などをはさみ、古山高麗雄「蟻の自由」安岡章太郎「球の行方」と戦争世代の話。そして最後に、野呂邦暢「鳥たちの河口」。1980年に42歳で急逝した芥川賞作家で僕は大好きだった。長崎県にずっと住み、これもうっくつをかかえて故郷諫早湾で鳥の写真を撮っているカメラマンの話。この中で一番「現代」を感じさせる傑作である。とここだけで長くなってしまったけど、実に読みごたえがある一巻だと思う。

 第7巻は筒井康隆「五郎八航空」から始まる。筒井康隆がちゃんと選ばれているのが、このシリーズの特徴でもある。柴田錬三郎、藤沢周平、井上ひさしなど直木賞作家の作品も入っている。でも、僕が一番驚いたのが、円地文子「花の下もと」。一つも読んでない作家だが、この歌舞伎界の裏面を描く小説のすごみには正直ビックリした。富岡多恵子「動物の葬禮」という大阪の庶民を描く小説もぶっ飛んでいる。在日朝鮮人の生活を描いた李恢成「哭」と比べると面白い。僕の大好きな田中小実昌「ポロポロ」というすごい小説もお忘れなく。表題の安部公房も不思議系。他に三浦哲郎、神吉拓郎、色川武大、阿刀田高、遠藤周作、黒井千次、向田邦子、竹西寛子を収録。

 第8巻。「薄情くじら」って何だろうと思うと、昔はよく食べていた鯨は今いずこという話で案外期待外れ。それよりこの巻には、とんでもない小説が入っている。近代日本文学史上、あるいは近代とか日本とかいう限定はいらないかもしれないぐらい、ぶっ飛んでいる。尾辻克彦(赤瀬川原平)の「出口」である。えっ、こんなのありかと思うけど、捧腹絶倒。「出口」の話である、確かに。それ以上はここで書かないけど、単なるアイディア勝ちという以上の確かな筆力も認めるべきだろう。もう一つすごいのは、大城立裕「夏草」。沖縄返還以前に芥川賞を受けた作家だが、読んでない人のほうが多いと思う。沖縄戦が悲惨な戦争であったことは、歴史事実としては誰でも知っているだろうが、1993年のこの作品は半世紀近く時間がたって初めて書ける話ではないか。これが小説だ、人生だ、戦争だという感銘が静かに心に満ちてくる。それに比べると阿川弘之「鮨」って何だろ。嫌な話だなあ。

 冒頭に深沢七郎「極楽まくらおとし図」が掲載されている。発表当時に読んでいるが、愕然というか、これは何だろうと思う。小説を超えた「何か」。近代を超えた「何か」。ストーリイとかテーマとか、そういう分析をバカらしく思わせる、とんでもない場所から発せられた声であると思う。開高健「掌の中の海」は、早い晩年の「珠玉」から取られているが、戦後の最も重要な作家のひとりだと思うから、初期短編や長編、ベトナム戦争ものなども読んでほしいと思う。最近も60年代東京のルポなどが再発見されている。他に、最近映画化が続く函館出身の作家佐藤泰志、高井有一、隆慶一郎、宮本輝、山田詠美、中島らも、宮部みゆき、北村薫の作品を収録。

 こうしてみると、日本の小説は日本の現実から発しているけど、実にさまざまの言語表現があると思わせられる。いや、その豊かさにビックリとも言える。これらの作家を読んで、気に入った作家があればほかの作品も読めばいい。皆で読みあってもいいし、このぐらい読んで得した気分になるシリーズはめったにないと思う。そして、それが日本のこの100年に書かれているわけだから、興味がないなんて言わずに、このぐらいの作家はお互いに論じ合えるような「教養」になるといいなと思う。この前の巻になると、かなり時代だなあという気がする。最新の巻だと逆に知らない作家も多い。60年代から90年代の3巻は、自分が生きてきた時代だなあと思って、それも灌漑深かった。
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