2016年4月の訃報特集。4日に安丸良夫氏の訃報が伝えられた。81歳。日本近世・近代の民衆思想史研究をリードした人である。新聞には載ってなかったけど、ウィキペディアによると、2月に自宅前で交通事故にあい、入院中の病院で亡くなったとある。「出口なお」「日本ナショナリズムの前夜」「神々の明治維新」など、ちょうど学生時代に刊行された本は僕も夢中になって読んだものである。出口なおという人は大本教の開祖だが、京都へ旅行した時に大本教の本部に行ったこともある。

70年代頃に大きな影響力を持った「民衆史」研究の代表的な研究者で、特に幕末から明治初期の民衆倫理を深く追求した。その後、90年代以後は天皇制や現代社会へと関心が深まっていった。「民衆史」という言葉は、今では当時のような輝きは呼び起さないかもしれない。今では「民衆」の心性を研究対象にするなど当たり前のことだから。
ところで、朝日は「戦後の歴史学界リード」と見出しに書いている。ちょっとビックリ。まあ、2015年を「戦後70年」と呼んだのだから、その間は全部「戦後」なのか。そのうち、ピンク・レディやサザン・オールスターズや中島みゆきを「戦後を代表する歌手」と書くようになるのかもしれない。安丸氏の世代は、60年代半ば以後に活躍した世代。東京五輪も終わり、「もはや戦後ではない」。戦後の歴史学界をリードした学者だったら、日本史なら石母田正や遠山茂樹などの名を挙げるべきだろう。
朝日新聞の元論説主幹、主筆の若宮啓文(わかみや・よしぶみ)氏が滞在中の北京で客死したという報にはビックリした。28日没、68歳。2013年1月まで主筆として朝日で執筆していた。僕は若宮さんの本は昔から読んでいて、「ルポ 現代の被差別部落」や「忘れられない国会論戦」(中公新書)は名著だと感服した。その後「戦後保守のアジア観」「和解とナショナリズム」などのアジア関係の考察が中心となっていく。本業としては、ワールドカップの日韓共同開催を提案したり、読売のナベツネとともに小泉首相の靖国参拝に反対の論陣を張ったりしたのが記憶に残る。

右からも左からも批判されたし、僕もこれはどうかと思う時もないではなかった。最終的に「保守リベラル」という朝日の正統に拠ったことで、「批判されやすいポジション」を自覚的に選び取ったのだと思う。若宮氏が朝日に書いた最後の文が、たまたま新聞を整理していたら見つかった。2013年1月12日(土曜日)の紙面である。1面の主筆としての記事は「『改憲』で刺激 避ける時」とある。また15面の「私の見た政治の40年」という大きな記事では、「和解と摩擦のアジア外交に危機」「日米中は心を開き大きな図描け」と見出しにある。長くなるから見出しだけにするが、そこから揺るぎなく発言を続けたことは評価するべきだと思う。まだ68歳だから、あと10年は生きていて欲しかった。
シャンソン歌手で推理小説作家、戸川昌子(4.26没、85歳)は、歌手として活動しながら、江戸川乱歩賞を「大いなる幻影」で受賞した。その後「猟人日記」が直木賞候補になり、中平康監督により映画化された。本人も出演している。評論家というか、ラジオ・パーソナリティの秋山ちえ子(4.6没、99歳)は、1957年から2005年まで自分のラジオ番組で活動した。その後も2015年まで8月15日に「かわいそうなゾウ」の朗読を続けていた。時代的、時間的に僕はあまり聞いたことがなくて、名前で知っていたような存在の人。「平和」を語り続ける人がまた一人亡くなった。

アメリカの歌手、プリンス(4.21没、57歳)は、グラミー賞を7回受賞しているという。だけど、70年代後半から80年代というのは、僕がもう「洋楽」を聞かない時期になっていて、はっきり言ってあまり知らない。というか、聞いていてもよく判らないというべきか。

「連合」ではもう通じないかもしれない、日本労働組合総連合会の初代会長、山岸章(4.10没、86歳)。全電通、つまり電電公社の労働運動家から出発し、民営化されNTTになる時の委員長。総評、同盟などに分裂していた労働運動を「統一」した(逆に言えば、共産党系を排除した)ことで、(宗教組織を除けば)日本最大の運動体を率いることになった。89年の参院選挙以後、非自民政権樹立に関わったこともある。まだ労働運動が力を持っていた時代の最後のリーダーかもしれない。

声優の大平透(おおひら・とおる、4.12没、86歳)は、僕には「スパイ大作戦」のテープの声。懐かしい。プロ野球の巨人とロッテで活躍した山本功児(4.23没、64歳)はロッテの監督を99年から5年間務めた。もう忘れていたなあ。金子満広(4.18没、91歳)は、共産党の元書記局長。60年安保で活動し、70年代以後党中央で活躍した。ガイ・ハミルトン(4.20没、93歳)はイギリスの映画監督。007シリーズの「ゴールドフィンガー」や「ダイヤモンドは永遠に」などで知られるが、戦争映画「空軍大戦略」やアガサ・クリスティ原作の「クリスタル殺人事件」「地中海殺人事件」なども監督している。

70年代頃に大きな影響力を持った「民衆史」研究の代表的な研究者で、特に幕末から明治初期の民衆倫理を深く追求した。その後、90年代以後は天皇制や現代社会へと関心が深まっていった。「民衆史」という言葉は、今では当時のような輝きは呼び起さないかもしれない。今では「民衆」の心性を研究対象にするなど当たり前のことだから。
ところで、朝日は「戦後の歴史学界リード」と見出しに書いている。ちょっとビックリ。まあ、2015年を「戦後70年」と呼んだのだから、その間は全部「戦後」なのか。そのうち、ピンク・レディやサザン・オールスターズや中島みゆきを「戦後を代表する歌手」と書くようになるのかもしれない。安丸氏の世代は、60年代半ば以後に活躍した世代。東京五輪も終わり、「もはや戦後ではない」。戦後の歴史学界をリードした学者だったら、日本史なら石母田正や遠山茂樹などの名を挙げるべきだろう。
朝日新聞の元論説主幹、主筆の若宮啓文(わかみや・よしぶみ)氏が滞在中の北京で客死したという報にはビックリした。28日没、68歳。2013年1月まで主筆として朝日で執筆していた。僕は若宮さんの本は昔から読んでいて、「ルポ 現代の被差別部落」や「忘れられない国会論戦」(中公新書)は名著だと感服した。その後「戦後保守のアジア観」「和解とナショナリズム」などのアジア関係の考察が中心となっていく。本業としては、ワールドカップの日韓共同開催を提案したり、読売のナベツネとともに小泉首相の靖国参拝に反対の論陣を張ったりしたのが記憶に残る。

右からも左からも批判されたし、僕もこれはどうかと思う時もないではなかった。最終的に「保守リベラル」という朝日の正統に拠ったことで、「批判されやすいポジション」を自覚的に選び取ったのだと思う。若宮氏が朝日に書いた最後の文が、たまたま新聞を整理していたら見つかった。2013年1月12日(土曜日)の紙面である。1面の主筆としての記事は「『改憲』で刺激 避ける時」とある。また15面の「私の見た政治の40年」という大きな記事では、「和解と摩擦のアジア外交に危機」「日米中は心を開き大きな図描け」と見出しにある。長くなるから見出しだけにするが、そこから揺るぎなく発言を続けたことは評価するべきだと思う。まだ68歳だから、あと10年は生きていて欲しかった。
シャンソン歌手で推理小説作家、戸川昌子(4.26没、85歳)は、歌手として活動しながら、江戸川乱歩賞を「大いなる幻影」で受賞した。その後「猟人日記」が直木賞候補になり、中平康監督により映画化された。本人も出演している。評論家というか、ラジオ・パーソナリティの秋山ちえ子(4.6没、99歳)は、1957年から2005年まで自分のラジオ番組で活動した。その後も2015年まで8月15日に「かわいそうなゾウ」の朗読を続けていた。時代的、時間的に僕はあまり聞いたことがなくて、名前で知っていたような存在の人。「平和」を語り続ける人がまた一人亡くなった。


アメリカの歌手、プリンス(4.21没、57歳)は、グラミー賞を7回受賞しているという。だけど、70年代後半から80年代というのは、僕がもう「洋楽」を聞かない時期になっていて、はっきり言ってあまり知らない。というか、聞いていてもよく判らないというべきか。

「連合」ではもう通じないかもしれない、日本労働組合総連合会の初代会長、山岸章(4.10没、86歳)。全電通、つまり電電公社の労働運動家から出発し、民営化されNTTになる時の委員長。総評、同盟などに分裂していた労働運動を「統一」した(逆に言えば、共産党系を排除した)ことで、(宗教組織を除けば)日本最大の運動体を率いることになった。89年の参院選挙以後、非自民政権樹立に関わったこともある。まだ労働運動が力を持っていた時代の最後のリーダーかもしれない。

声優の大平透(おおひら・とおる、4.12没、86歳)は、僕には「スパイ大作戦」のテープの声。懐かしい。プロ野球の巨人とロッテで活躍した山本功児(4.23没、64歳)はロッテの監督を99年から5年間務めた。もう忘れていたなあ。金子満広(4.18没、91歳)は、共産党の元書記局長。60年安保で活動し、70年代以後党中央で活躍した。ガイ・ハミルトン(4.20没、93歳)はイギリスの映画監督。007シリーズの「ゴールドフィンガー」や「ダイヤモンドは永遠に」などで知られるが、戦争映画「空軍大戦略」やアガサ・クリスティ原作の「クリスタル殺人事件」「地中海殺人事件」なども監督している。