尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「日本文学100年の名作」を読む①

2016年05月20日 23時25分37秒 | 本 (日本文学)
 本の話。新潮文庫「日本文学100年の名作」全10巻。読んだのは断続的に数カ月かけて、だいぶ前に終わった。いずれ書きたいとパソコンの近くに置いてあるが、緊急性がないので放ってしまった。もうそろそろ書いて、片づけたいと思う。とにかく一冊が500頁を超えるような本だから、そんなに早く読めないし、時々飽きてくる。だけど、このシリーズは時間をかけて全部読む価値がある。

 新潮文庫は1914年に創刊された。あ、岩波文庫が最初じゃないのか。調べてみると、ギヨオテ『ヱルテルの悲み』とか、ダスタエーフスキイ『白痴【一】』とかが第一回刊行作品。なんとも時代がかった表記が面白い。ということで、2014年が創刊100年である。それを記念して、池内紀、川本三郎、松田哲夫という「読み巧者」3人がセレクトして、100年の名作を10年ごとに集めて、全10巻に収めたものがこれである。岩波文庫「日本近代短編小説選」全6巻があるが、対象とする時代が違う。岩波版は明治から1960年代まで。作家でいえば、坪内逍遥に始まり三島由紀夫で終わる。

 新潮版は当然明治は全然入らず、岩波が終わった後の時代が半分ぐらいある。その他に大きく二つの違いがある。岩波版は「純文学」のみを対象にしているが、新潮版は「大衆文学」も入っている。江戸川乱歩、岡本綺堂、夢野久作、海音寺潮五郎などが戦前の巻に入っている。戦後の巻になると、もっと有名な作家が様々にセレクトされていて、純文学系と一緒に読むと、なかなか興味深い。

 以上は内容の問題だが、それ以上に大きな違いは、何しろ新潮版は字が大きいのである。岩波文庫より格段に大きく、これなら今はもちろん、もう少し歳がいっても楽しめそうである。選者も岩波版に配慮して、同じ作品は選ばれていない。だから両方買っても損にはならない。僕は岩波も持っているけど、第一巻の明治中頃が面倒そうで、まだ読んでない。新潮文庫を先に読んだわけ。

 選ばれた作品は発表年代順に並んでいる。初期作品が選ばれた作家もあれば、晩年の作品が選ばれた作家もいる。川端康成で言えば、岩波は「葬式の名人」(1923)を選んで大正の巻、新潮は晩年の「片腕」(1964)を選んで第6巻に収録、と時代が大きく違う。永井荷風も岩波は「深川の唄」(1909)で「明治篇2」に、新潮は「羊羹」(1947)で戦後の作品。佐多稲子も岩波がデビュー作「キャラメル工場から」(1928)、新潮は「水」(1962)と書かれた年代が大きく違う。こういう風に、両方を読み比べると、近代日本文学をより深く感じられるという気がする。

 もう一つ、これは偶然でもあるが、新潮文庫の時代区分が日本社会の変遷をうまく映し出しているのである。1914年から数えるのだから、第一巻は1914~1923年である。この1923年は関東大震災の年だから、第2巻には震災の東京を描く作品が多い。第3巻は1934年~1943年だから、日中戦争から太平洋戦争の時期にほぼ重なる。第4巻は1944年~1953年と、敗戦から占領時代にほぼ同じ。第6巻の1964年~1973年というのも、東京五輪の年から石油ショックの年に見事に重なり、「高度成長の光と影」の時代。もちろん選ばれた作品は世相を描くものばかりではないが、何となく時代を反映しているのも間違いない。そして、第9巻は1994年~2003年になるわけで、阪神大震災とオウム真理教事件で、日本社会が大きく変わった「現代日本の始まり」にぴったり重なる。実際に読んでみると判るだろうけど、それまでの巻と違い「バブル崩壊後」の現代日本を読んでるなあ、これは同時代だなあという感じが身に迫ってくる。この時代区分が予期せざる効果を上げている。

 そういうことを踏まえて、僕はこの長大なアンソロジー(選集)は3つの読み方があるように思った。僕は第1巻から順番に読んだけど、近代史にそんなに詳しくない人は、むしろ後ろ半分、つまり第6巻から読むというのもありではないか。なぜならば、現代日本の社会生活は「高度成長以後」のスタイルであり、まさに現代小説という感じがする時代を読むのがいいのではないか。もう一つは第9巻、10巻を最初に読むやり方。つまり、「現在を読む」ということである。最近だからこそ、多くの人には読んでない作家が一番多いかもしれない。最初の方が教科書に出ているような有名作家が多く、最近になるとまだ定評がない作家が並んでいるとも言える。逆に言えば、「発見」がある時代でもある。

 ということで、ここでは最後の2巻をまず取り上げる。第9巻「アイロンのある風景」、第10巻「バタフライ和文タイプ事務所」。題名だけではわからない人がほとんどだと思うが、前者は村上春樹、後者は小川洋子の短編である。村上春樹の作品は、阪神大震災に何らかの関係のある作品を集めた「神の子供たちはみな踊る」に入っている。2回読んでいるんだけど、名前を見ただけでは忘れていた。非常にうまい作品。重松清「セッちゃん」も直木賞作品「ビタミンF」に入ってるから読んでるんだけど、細かいことは忘れていて、ものすごくドキドキしながら読んだ。「いじめ」を正面から描いた作品で、日本はどうなってしまったのかと思う。
 
 一方、この巻にたまたま老作家夫妻の作品が選ばれている。吉村昭「梅の蕾」津村節子「初天神」である。この両作品は時代色で言えば、少し昔の感じが残っている。「初天神」もいいけど、僕は吉村昭「梅の蕾」は今回読んで一番の感動作だった。吉村作品は歴史ものを中心にたくさん読んでいるけど、これは初めて。へき地の村長が無医村解消に奔走する話だけど、読み終わって涙を流さない人はいないのではないだろうか。電車で読んでいて困ってしまった。こんな小説、というかこんな話が、現代日本にありえたのか。有名な浅田次郎「ラブ・レター」のうまさにも確かに感動するけれど、僕は「梅の蕾」に素直に心動かされた。辻原登「塩山再訪」川上弘美「さやさや」と僕の好きな作家の不思議な作品もあるが、それより堀江俊幸「ピラニア」は、それを含む短編集「雪沼とその周辺」という大傑作にある名品で、まだ読んでない人はぜひ味わってほしい名品。

 他に林真理子「年賀状」、村田喜代子「望潮」、新津きよみ「ホーム・パーティ」、吉本ばなな「田所さん」、山本文緒「庭」、小池真理子「一角獣」、江國香織「清水夫妻」、乙川優三郎「散り花」という作品を収録。気になっててるけど読んだことがない作家、あるいは名前も知らない作家も入っているかな。

 長くなったので、最後の10巻は簡単に。まず表題になった「バタフライ和文タイプ事務所」がすごい作品で、久しぶりに小川洋子を読んではまってしまった。こんな小説を書いていたのかという感じ。「言葉の官能性」を突き詰めた作品。まったくタイプは違うけど、桐野夏生「アンボス・ムンドス」はものすごく怖い。平常心で読めない。別にホラーじゃないですよ。教師をめぐる「ある設定」が凄すぎるのである。前にも読んでたけど、あらためて驚愕する作品。初読作品では、恩田陸「かたつむり注意報」の不思議な世界、角田光代「くまちゃん」の恋愛小説の書き方、ほっこり感がとてもいい。

 この巻が一番「エンタメ系」が多く、まだ評価が定まっていない時代だからこそ、「うまさ」で現代を切り取る小説が多いように思う。作家名だけ書いておくが、吉田修一、伊集院静、三浦しをん、森見登美彦、木内昇、道尾秀介、桜木柴乃、高樹のぶ子、山白朝子、辻村深月、伊坂幸太郎、絲山秋子の作品を収録。これらの作家を全部読んだという人は多分いないのではないか。大体、山白朝子って人、知らないし。一番近年の作品集は、実は全部面白いとは思わなかった巻である。でもそれを含めて、こういう小説が今書かれているのかということが判る。小説の世界は深いなあと思うわけである。この2巻でまず、現代日本を感じるのもいいか。続いて昔にさかのぼって書きたい。
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