尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「日本文学100年の名作」を読む③

2016年05月22日 22時01分30秒 | 本 (日本文学)
 新潮文庫の日本文学名作シリーズ最後の3回目。今回は1巻目から5巻目まで全部扱いたい。対象が長いから簡単に。時期で言えば、1914年から1963年になり、日本がまだ戦争や貧困と向き合っていた時代になる。それを反映してか、個人による強烈な争いの話が結構ある。社会のあり方が大きく違い、今では理解しにくい話もあるが、巻末の解説が役に立つ。また、有名な作品もかなり収録されていて、昔読んだものも多い。第2巻など、15編中7編を読んでいた。まあ、二度読んでもいじゃないかと思って、思い切って全部読んだわけである。
    
 第1巻、表題作「夢見る部屋」は宇野浩二だが、長くてよく判らない。一番最初は荒畑寒村「父親」。社会主義運動家として知られた寒村だが、小説を書いていたとは珍しい。東京がまだまだ開けていなかった時代の感覚が興味深い。次が森鴎外「寒山拾得」だが、最後が江戸川乱歩「二銭銅貨」で、鴎外と乱歩は作品で言えば同世代に入るのかと驚いた。一番すごいのは谷崎潤一郎「小さな王国」か。子供の世界の「権力構造」を描いて、今も生々しい。さすがに大谷崎だと感服する。でも収穫は長谷川如是閑「象やの粂さん」で、ジャーナリストとして知られる如是閑が小説を書いていたのかと新鮮だった。しかも、なかなか面白く、それも下町感覚で「華族」の世界を描いているから、大正時代の小説という感じ。「象や」って何だろうと思うと、ホントに「象屋」の話でビックリ。稲垣足穂「黄漠奇聞」は知ってると案外つまらなかった。他に内田百、佐藤春夫、宮地嘉六、芥川龍之介。

 第2巻、表題作「幸福の持参者」加能作次郎(1885~1941)という人の作品。名前も知らなかった作家だが、貧しい若夫婦が妻の買ってきたコオロギをきっかけに心揺れるという、小さな話が心に沁みる。知らないことは多い。梶井基次郎「Kの昇天」林芙美子「風琴と魚の町」堀辰雄「麦藁帽子」は定評ある名編だから読んでる人も多いだろう。しかし、二度読んで、まったく古びていないのには感心した。島崎藤村「食堂」水上瀧太郎「遺産」は関東大震災後の東京を舞台にしていて、世相史として忘れがたい。でも、今回の収穫は広津和郎「訓練されたる人情」という風俗小説。東京中野区の新井薬師周辺という「場末」の風俗模様を丁寧に描いて感銘を呼ぶ。戦後の松川裁判批判や初期の「神経症時代」などを読んでいるが、広津がこれほどうまい小説家だったとは知らなかった。他に中勘助、岡本綺堂、黒島伝治、夢野久作、龍胆寺雄(初めて読んで今も新鮮でビックリ)、尾崎翠、上林暁、大佛次郎を収録。(尾崎翠は何度読んでもよく判らん。)

 第3巻、表題作「三月の第四日曜」は宮本百合子の作で、日中戦争の時代に地方出身の姉弟を見事に描き出した好編。中山義秀「厚物咲」は前に読んでいるが、強烈な争いを描く芥川賞受賞作。こういう作品は今はないのではないか。驚きは石川淳「マルスの歌」で、初めて読んだんだけど、こういう「前衛的反戦小説」があったのか。初めてといえば、私小説作家川崎長太郎「裸木」は小田原の花柳界を描いているが、出てくる映画監督のモデルが小津安二郎だというから驚きである。岡本かの子「鮨」は、同名作が阿川弘之にもあり比較すると面白い。尾崎一雄「玄関風呂」のとぼけもおかしく、萩原朔太郎「猫町」も何度読んでも不可思議な魅力でいっぱい。他に武田麟太郎、菊池寛、幸田露伴、海音寺潮五郎、矢田津世子、中島敦を収録。

 第4巻、表題作「木の都」は織田作之助の作品で、だから題名からは意外だが大阪の話。川島雄三監督のデビュー作「還って来た男」の原作である。坂口安吾「白痴」太宰治「トカトントン」のような戦後文学史に名高い作品もあるが、今回読んだら「知ってると意外感がない」と正直思った。知っててもすごいのは、島尾敏雄「島の果て」長谷川四郎「鶴」の方。この巻は15作中、なんと9作を読んでいたので新鮮さに乏しい。そんな中で、戦後すぐというのに戦争ではなく「老人問題」を扱った永井龍男「朝霧」の先見性が興味深い。こういうのを読むと、日本文学は奥が深いと思う。最近再評価の声がある獅子文六「塩百姓」も庶民の実像を描いて驚くような小説。他に豊島与志雄、永井荷風、大岡昇平、井伏鱒二、松本清張、小山清、五味康祐、室生犀星を収録。

 さて、ようやく最後の第5巻、表題の「百万円煎餅」三島由紀夫作。浅草での若夫婦の様子を描いていくが、最後にアッというオチがある。まあ、本格的小説というよりコント的作品。ここで一番の収穫は、芝木好子「洲崎パラダイス」で、これも川島雄三監督の名作の原作。読んでみると筋書きはほぼ映画と同じなのに、かえって驚いた。芝木好子は東京の下町を描いて定評があるが(府立第一高女の卒業)、実に丁寧な描写に小説を読んでいるという感銘を受ける。梅崎春生「突堤にて」佐多稲子「水」などは前に読んでるけど名編。初めて読んだ作品では、吉田健一「マクナマス氏行状記」有吉佐和子「江口の里」森茉莉「贅沢貧乏」河野多恵子「幼児狩り」など、様々な小説世界があることにちょっと驚く。社会全体の変化があるのだろう。山本周五郎「その木戸を通って」も前に読んでいるが、こんな小説だったのかとあらためて思った。記憶喪失を時代小説に生かした話で、桐野夏生「柔らかな頬」、村上春樹「スプートニクの恋人」など、「解決がない小説」に僕も違和感がなくなったからか、非常な感銘を受けた。他に、邱永漢、星新一、井上靖、山川方夫、長谷川伸、瀬戸内寂聴を収録。

 さて、最後の山川方夫「待っている女」という小説で、若夫婦が妻が出て行って、夫の方が食べるものにも困るというシーンがある。村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭で、平日の昼間に男がパスタを茹でているシーンがあり、ある批評家がリアリティがないと言ったけど、まさに自分の日常と村上春樹が書いている。山川方夫は都会的な小説家と言われているが、その作品に出てくる男は女がいないと食事も作れない。半世紀前の男はなんとも情けない。まあ、コンビニもスーパーもないとはいえ、一食ぐらい自分で作れないもんかと思う。時代を感じるというのは、そういうところなのである。作家が意図していたことではない、「細部」に時代が反映する。そういうところを発見するのも、読む楽しみだろう。とにかく、日本文学の100年、戦争と貧困から、様々な技法の冒険もはさみ、人間の「心の闇」、人間関係の「奇妙な悩み」に焦点が移ってくる。読んでいて、日本社会の変遷を思いながらも、同時に「人間の不可思議」が最後に残る。
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