9月の訃報は書かなかったのだが、10月には1面に載るような訃報が相次いだ。ここでも3回記事を書いている。(アンジェイ・ワイダ、平幹二郎、三笠宮)写真も入れると長くなるので、日本編と外国編に分けて書くことにする。まあ、一般的に有名な人から簡単に。
田部井淳子(たべい・じゅんこ 1939~2016.10.20、77歳)は、女性として初めてエヴェレスト(チョモランマ)に登った人である。そして、七大陸最高峰をすべて登った最初の女性でもある。年齢を重ねても登山を続け、環境保護運動にも携わった。福島県三春町出身で、大震災被災者の高校生徒の富士登山が最後の登山になった。直接話を聞いたりしたことはないけど、尊敬すべき人だった。

日本のラグビー界を引っ張ってきた平尾誠二(10.20没、53歳)が若くして亡くなり、多くの人に衝撃を与えた。同志社大で大学選手権3連覇、神戸製鋼日本代表として日本選手権7連覇、ワールドカップ3回出場、91年の初勝利に貢献した。ということを今新聞記事に拠りつつ書いてるけど、すごいですね。もっとも僕はラグビーのルールもよく知らず、昨年のワールドカップでやっと大体わかったという程度である。それでも平尾誠二という人の名前と顔も一応知っていた。やはりすごい人なんだろう。

元自民党幹事長、外相、官房長官の加藤紘一(9.9没、77歳)が亡くなった。2012年の総選挙で落選し、政界を引退していた。(2014年の選挙では、3女の鮎子が当選した。)いろいろと自民党史上に名を残しているけど、かつて日本政界の中心とされた宏池会(旧池田派から宮澤派へ続いた派閥)を引き継ぎ、首相になると思われていた。「変人」として知られた小泉純一郎が長期政権になったのと比べて、「運命」は加藤紘一に過酷だった。小泉、山崎拓と「友情と打算」のYKKを形成し、竹下派に対抗した。98年の総裁選で、小渕首相に対抗して出馬して閣外に去った。それがなければ、2000年に小渕が倒れた時に総理の座が回ってきたかもしれない。

そして、2000年秋に、森首相に対する不信任案に賛成する意向を示した「加藤の乱」で自滅することになる。当時はインターネットが広く普及し始めた時代で、僕も加藤議員のHPをのぞいてみたことがあった。「教員免許更新制で日本の教育をよくする」と書いてあって、やっぱり自民党というのはバカだと思った記憶が鮮明である。でも、2006年、極右に鶴岡の実家を放火されたから「リベラル」系ということになる。(なお、ウィキペディアに、都立日比谷高の同級生に利根川進と山尾三省がいたとある。)
芥川賞作家の高井有一(10.26没、84歳)は、昨年「この国の空」が映画化されたときに、少し書いたと思う。芥川賞の「北の河」、谷崎賞の「この国の空」、大佛賞の「高らかな挽歌」なども傑作だと思うけど、「立原正秋」で若いころからの友人の虚実をとことん追求する鋭さには戦慄させられた。
直木賞作家の伊藤桂一(10.29没、99歳)は、一貫して戦争を描いた作家だった。戦争というか「戦場」に、あるいは戦場で出会う兵士たちを描き続けた。詩人でもあったけれど、やはり戦場もの、戦記物が多い。面白いかと言えば、今ではあまり面白くない気もする。でも大切な存在ではないか。僕は直木賞の「蛍の河」他2.3冊しか読んでいないけど。(写真、左が高井、右が伊藤)

戦争ということでは、民間の戦災被災者の救済を訴えた、杉山千佐子(9.18没、101歳)とBC級戦犯として反戦を訴え続けた飯田進(10.13没、93歳)の訃報が伝えられた。戦争の直接体験者は、もうこれだけの高齢になっている。杉山は名古屋で空襲にあい左目や顔の一部を失った。戦災被災者救済を求め田が、国会は一度も認めなかった。飯田は海軍軍属としてニューギニアでの住民虐殺を問われ、重禁錮20年の刑を宣告された。長男がサリドマイドの薬害を受け、それを機に社会福祉法人「青い鳥」を設立した。僕は聞いたことがないのだが、ずっと講演を通して反戦を訴え続けていた。
民族学者の加藤九祚(きゅうぞう、9.12没、94歳)は、ウズベキスタンで調査中に亡くなった。中央アジアのシルクロードなどで研究をした人。中世史研究の脇田晴子(9.27没、82歳)は女性史や都市、芸能などの観点で研究をして中世の新しい姿を示した。もっとも僕は専門外でほとんど読んでない。
美術家の中西夏之(10.23没)は戦後の前衛芸術運動の中心の一人。赤瀬川原平、高松次郎との「ハイ・レッド・センター」の「センター」である。(名前のアルファベットの頭文字。)
女優の風見章子(9.28没、95歳)は、戦前の名作「土」のヒロインに抜てきされたというから、古い話。戦後も「飢餓海峡」「赤ひげ」などの出演、テレビにも出ていたというけれど、僕にはもう印象がないほど古い感じがしてしまう。
横山むつみ(9.21没、68歳)は「知里幸恵 銀のしずく記念館」の館長だった人。アイヌ民族の美しい神話をつづった「アイヌ神謡集」を書いた知里幸恵。その人の姪にあたるというが、2010年に記念館を作った。僕はまだ行ってない。文芸評論家の田中弥生(9.24没、44歳)は、「スリリングな女たち」という評論がある気鋭の評論家だったという。僕は名前を知らなかったんだけど。
元小結羽黒岩の戸田智次郎(10.23没、70歳)は、戸田を名乗った時代に、大鵬の45連勝に土を付けた力士である。でも、それは「世紀の誤審」として知られ、相撲でビデオ判定を導入するきっかけとなった。そのことで相撲の歴史に残ってしまうのも本人はいやだろうが。
元社民党幹事長、運輸相の伊藤茂(9.11没、88歳)、元文科相の小坂憲次(10.21没、70歳)は長野の小坂家の4代目だが、93年に羽田孜に従って自民を離党、新生党から新進党、民政党と付いていったが、民主党には入らず自民に復党した。
他にも様々な人の訃報があるが、自分でよく判らない分野はもう書かない。最後に、阿含宗開祖の桐山靖雄(8.29没、95歳)の名前も記録しておく。
田部井淳子(たべい・じゅんこ 1939~2016.10.20、77歳)は、女性として初めてエヴェレスト(チョモランマ)に登った人である。そして、七大陸最高峰をすべて登った最初の女性でもある。年齢を重ねても登山を続け、環境保護運動にも携わった。福島県三春町出身で、大震災被災者の高校生徒の富士登山が最後の登山になった。直接話を聞いたりしたことはないけど、尊敬すべき人だった。

日本のラグビー界を引っ張ってきた平尾誠二(10.20没、53歳)が若くして亡くなり、多くの人に衝撃を与えた。同志社大で大学選手権3連覇、神戸製鋼日本代表として日本選手権7連覇、ワールドカップ3回出場、91年の初勝利に貢献した。ということを今新聞記事に拠りつつ書いてるけど、すごいですね。もっとも僕はラグビーのルールもよく知らず、昨年のワールドカップでやっと大体わかったという程度である。それでも平尾誠二という人の名前と顔も一応知っていた。やはりすごい人なんだろう。

元自民党幹事長、外相、官房長官の加藤紘一(9.9没、77歳)が亡くなった。2012年の総選挙で落選し、政界を引退していた。(2014年の選挙では、3女の鮎子が当選した。)いろいろと自民党史上に名を残しているけど、かつて日本政界の中心とされた宏池会(旧池田派から宮澤派へ続いた派閥)を引き継ぎ、首相になると思われていた。「変人」として知られた小泉純一郎が長期政権になったのと比べて、「運命」は加藤紘一に過酷だった。小泉、山崎拓と「友情と打算」のYKKを形成し、竹下派に対抗した。98年の総裁選で、小渕首相に対抗して出馬して閣外に去った。それがなければ、2000年に小渕が倒れた時に総理の座が回ってきたかもしれない。

そして、2000年秋に、森首相に対する不信任案に賛成する意向を示した「加藤の乱」で自滅することになる。当時はインターネットが広く普及し始めた時代で、僕も加藤議員のHPをのぞいてみたことがあった。「教員免許更新制で日本の教育をよくする」と書いてあって、やっぱり自民党というのはバカだと思った記憶が鮮明である。でも、2006年、極右に鶴岡の実家を放火されたから「リベラル」系ということになる。(なお、ウィキペディアに、都立日比谷高の同級生に利根川進と山尾三省がいたとある。)
芥川賞作家の高井有一(10.26没、84歳)は、昨年「この国の空」が映画化されたときに、少し書いたと思う。芥川賞の「北の河」、谷崎賞の「この国の空」、大佛賞の「高らかな挽歌」なども傑作だと思うけど、「立原正秋」で若いころからの友人の虚実をとことん追求する鋭さには戦慄させられた。
直木賞作家の伊藤桂一(10.29没、99歳)は、一貫して戦争を描いた作家だった。戦争というか「戦場」に、あるいは戦場で出会う兵士たちを描き続けた。詩人でもあったけれど、やはり戦場もの、戦記物が多い。面白いかと言えば、今ではあまり面白くない気もする。でも大切な存在ではないか。僕は直木賞の「蛍の河」他2.3冊しか読んでいないけど。(写真、左が高井、右が伊藤)


戦争ということでは、民間の戦災被災者の救済を訴えた、杉山千佐子(9.18没、101歳)とBC級戦犯として反戦を訴え続けた飯田進(10.13没、93歳)の訃報が伝えられた。戦争の直接体験者は、もうこれだけの高齢になっている。杉山は名古屋で空襲にあい左目や顔の一部を失った。戦災被災者救済を求め田が、国会は一度も認めなかった。飯田は海軍軍属としてニューギニアでの住民虐殺を問われ、重禁錮20年の刑を宣告された。長男がサリドマイドの薬害を受け、それを機に社会福祉法人「青い鳥」を設立した。僕は聞いたことがないのだが、ずっと講演を通して反戦を訴え続けていた。


民族学者の加藤九祚(きゅうぞう、9.12没、94歳)は、ウズベキスタンで調査中に亡くなった。中央アジアのシルクロードなどで研究をした人。中世史研究の脇田晴子(9.27没、82歳)は女性史や都市、芸能などの観点で研究をして中世の新しい姿を示した。もっとも僕は専門外でほとんど読んでない。
美術家の中西夏之(10.23没)は戦後の前衛芸術運動の中心の一人。赤瀬川原平、高松次郎との「ハイ・レッド・センター」の「センター」である。(名前のアルファベットの頭文字。)
女優の風見章子(9.28没、95歳)は、戦前の名作「土」のヒロインに抜てきされたというから、古い話。戦後も「飢餓海峡」「赤ひげ」などの出演、テレビにも出ていたというけれど、僕にはもう印象がないほど古い感じがしてしまう。
横山むつみ(9.21没、68歳)は「知里幸恵 銀のしずく記念館」の館長だった人。アイヌ民族の美しい神話をつづった「アイヌ神謡集」を書いた知里幸恵。その人の姪にあたるというが、2010年に記念館を作った。僕はまだ行ってない。文芸評論家の田中弥生(9.24没、44歳)は、「スリリングな女たち」という評論がある気鋭の評論家だったという。僕は名前を知らなかったんだけど。
元小結羽黒岩の戸田智次郎(10.23没、70歳)は、戸田を名乗った時代に、大鵬の45連勝に土を付けた力士である。でも、それは「世紀の誤審」として知られ、相撲でビデオ判定を導入するきっかけとなった。そのことで相撲の歴史に残ってしまうのも本人はいやだろうが。
元社民党幹事長、運輸相の伊藤茂(9.11没、88歳)、元文科相の小坂憲次(10.21没、70歳)は長野の小坂家の4代目だが、93年に羽田孜に従って自民を離党、新生党から新進党、民政党と付いていったが、民主党には入らず自民に復党した。
他にも様々な人の訃報があるが、自分でよく判らない分野はもう書かない。最後に、阿含宗開祖の桐山靖雄(8.29没、95歳)の名前も記録しておく。