尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

プミポン国王、アーノルド・パーマー等2016年9、10月の訃報(外国)

2016年11月04日 23時46分03秒 | 追悼
 タイのプミポン国王が亡くなった。(10.13没、88歳)国王としての名前は「ラーマ9世」となる。タイは絶対王政ではないけれど、「国政の要」に国王が存在していたことは確かである。プミポン国王は1946年に兄の死を受けて王位を継承した。つまり「第二次大戦以後」がほぼ治世の期間なのである。その間、ベトナム戦争や軍政、経済発展などタイの社会もさまざまな出来事があった。国王の「裁定」といった形で政局の混乱が終息することもあった。そのことの評価は他国の人間にはなかなか難しい。タイでは王室批判の自由がないのが実態である。外国人にも「不敬罪」が適用される。

 僕はタイが初めて行った外国で、その風土や言葉が好きな国。タイの映画もずいぶん見ている。タイ語の響きが好きなのである。だけど、ここ10年以上、タクシン元首相派と反タクシン派でタイ政治が大混乱している。そのことを遠くから残念に思っている。そして、いずれ来る「プミポン国王以後」のタイ社会を心配してきた。今後のタイ社会の安定と民主化を見守っていきたい。なお、プミポン国王は犬が大好きで、「奇跡の名犬物語」という子ども向けの本まで書いていて、日本語訳もある。

 ウズベキスタンのカリモフ大統領が9月2日に死去、78歳。ソ連末期から27年間にわたって君臨した人である。その後、13日にイスラエルのシモン・ペレス元首相が亡くなった。93歳。マスコミは「元大統領」と報じたけど、イスラエルは議院内閣制なんだから、首相が政治の中心である。84年から86年まで務めている。その後、ラビン首相のもとで外相を務め、PLOとの和平交渉を進めた、94年のノーベル平和賞をラビン、アラファトとともに受賞したわけである。だけど、ペレスという人は、国防次官としてイスラエルの核武装の中心となった人物である。そっちも忘れてはいけない。

 
 プロゴルファーとして、圧倒的な知名度を誇ったアメリカのアーノルド・パーマーが、9月25日に死去、87歳。もっとも僕はゴルフのこともよく知らない。でも、ジャック・ニクラウスとかアーノルド・パーマーの名前は知っている。特にパーマーは傘のデザインのブランドで有名で、僕もずいぶん着ていたものだ。特にパーマーのファンというわけではないけど、ポロシャツなんかすごく売ってたから。
 
 イギリスの指揮者、ネヴィル・マリナー(10.2没、92歳)。元々はバイオリニストだというが、1959年にアカデミー室内管弦楽団を結成した。レパートリーが広いことで知られ、ウィキペディアをみるとズラッと作曲家の名が並んでいる。映画「アマデウス」で指揮をしたことでも知られている。N響でも指揮したし、僕も名前が知ってたけど、聞いたことはない。

 
 ボブ・ディランのノーベル賞が伝えられた日に、イタリアのダリオ・フォの訃報が伝えられた。(10.13没、90歳)1997年のノーベル文学賞受賞者だけど、知ってる人は少ないだろう。劇作家、俳優、演出家ということになるが、一貫して左翼的反体制の立場から、風刺喜劇を書いて上演したという人らしい。日本でも、かつて民藝や黒テントで上演されたことがあるらしいが、見てないし知らなかった。

 ほとんど報じられなかったけど、アメリカの劇作家エドワード・オールビーが亡くなっている。(9.16没、88歳)「動物園物語」でデビューし、代表作「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」は映画にもなり、日本でもよく上演された。その後、3回ピュリツァー賞を受けている。70年代にはテネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラー以後のアメリカ演劇界の中心になる人と思われていたと思う。なんだかその後失速した感じがあるが。「ヴァージニア…」はハヤカワ演劇文庫に入っていて、読んでいる。
 
 カナダの作家。ウィリアム・パトリック・キンセラが9月16日に死去、81歳。「安楽死法」による死亡だったという。映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作「シューレス・ジョー」で有名。他に「アイオワ野球連盟」がある。どっちも野球を題材にした奇想小説。「シューレス・ジョー」は1919年に起こった大リーグ史上最悪の不祥事、「ブラックソックス事件」(シカゴ・ホワイトソックスの選手がワールドシリーズで八百長をした)を扱っている。映画以上に原作が感動的だったと思う。

 アメリカの反戦運動家として有名だったトム・ヘイデンが死去。10月23日、76歳。68年にシカゴで開かれた民主党大会は、当時シカゴ市長だったデイリーの圧政のもと、ベトナム反戦運動への大弾圧が行われた。7人が逮捕、起訴され「シカゴ・セブン」として知られる。このネーミングは今でも時々アメリカの小説や映画なんかに出てくる。トム・ヘイデンはその一員で、やがて「反戦女優」のジェーン・フォンダと結婚することになる。離婚後、カリフォルニア州上院議員になり、戦後補償問題などにも取り組んだ。アメリカのある時代を象徴するような人物である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする