尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

清泉女子大本館(旧島津邸)を見る

2016年11月06日 21時23分49秒 | 東京関東散歩
 東五反田にある清泉女子大学の本館を見に行った。ジョサイア・コンドル設計による旧島津邸である。1917年(大正6年)完成なので、来年で100周年。清泉女子大の本館として、今も授業や事務室に使われている。今日は一般公開されているので、貴重な機会だから見に行った。
    
 まず、庭に面した本館の全景写真を載せる。やっぱりこの本館の建物が素晴らしい。「円錐状の列柱廊を持つ優雅なバルコニー」と案内に書いてある。なるほど。イタリア・ルネサンス風とも言われる。写真の左の方に見える木は桜で、春はとても素晴らしそう。(大学の作った絵葉書は春の風景。)庭も素晴らしく、山手線の中にこんな素晴らしい庭があったんだ。明治天皇や大正天皇が休憩した場所という案内板もあった。もちろん大学ではなく、島津家を訪ねたわけである。
   
 大学は山手線・五反田から近いが、都営地下鉄浅草線高輪台駅からだと坂を上らずに行ける。このあたりは、袖ヶ崎と呼ばれた場所で、江戸時代には仙台伊達藩の下屋敷だった。明治になって島津家の所有になった。島津家は維新の「功績」で公爵(華族の最高位)を与えられていた。周辺は高級住宅街になっていて、「島津山」と名の付くマンションがいっぱいある。大学の入り口から、坂道をずっと登って行くと、本館が見えてくる。
   
 道を回ってキャンパスを進むと、本館の圧倒的な建築美に目を奪われる。しかし、実は現代の建物と続いていて、そこに受付があった。そこから中も見られて、2階にも行けた。今日はフォトコンテストをやっていた。女子大生モデルが大島紬(島津つながりで、鹿児島県の名産)を着て、たくさんの人が写真を撮っていた。まあ、それはパスしたけど、今後も同様の企画があるらしい。
   
 清泉女子大は「聖心侍女修道会」を母体とするキリスト教系大学で、1950年創立。最初は横須賀市にあったが、1962年に現在地に移転した。島津邸は1915年に竣工後、黒田清輝の指揮で館内の調度が整備された。1917年に完成の折には、大正天皇、皇后の行幸啓に、寺内首相、松方正義、山本権兵衛、東郷平八郎など名士2000人が列席し園遊会が開かれた。この説明は大学のホームページに出ていたけど、島津家の洋館が完成したっていうのは、そこまでの大ごとだったのかとビックリさせられる。その後、昭和恐慌や戦時下の窮迫で島津家から日銀に渡り、占領中はGHQの将校用に使われた。
   
 上の写真の最後、ただの階段に見えるだろうが、実は違う。階段の前に立ち入り禁止の案内があり、上は危険だから公開してないのかなと思ったら、案内の女子大生が来て説明してくれた。実は「恰好だけ階段」というか、「階段のふり」というか、上に建物がないのに階段だけ作ってある。コンドルの特徴の一つで、建物を大きく見せるトリックなんだって。赤瀬川原平の喜びそうな趣向だな。

 ジョサイア・コンドル(Josiah Conder 1852~1920)はイギリス人なので、ホントは「コンダー」と読む方がいいらしい。日本ではオランダ風のコンドルで定着してしまったけど。お雇い外国人として来日したが、河鍋暁斎に弟子入りしたり、日本女性と結婚して、日本で亡くなった。近代建築の礎を築いた人だが、東京が活躍の中心だったから、震災、空襲、再開発で無くなったものが多い。東京では旧岩崎邸、、旧古河邸ニコライ堂などが現存している。ここは今も実際に使われているというのがすごい。大学建築という意味でも、日本を代表する景観の一つではないだろうか。
コメント
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