宮城県石巻市の大川小で、東日本大震災の大津波によって多くの犠牲者が出た。その時の学校の対応を問う訴訟の判決が10月27日にあった。仙台地裁の判決は、県と市に約14億円の賠償を認めるものだった。当時、死亡・行方不明になった児童74名中23人の遺族が裁判に訴え、約23億円の損害賠償を求めていたものである。
この裁判を「大川小国賠訴訟」と呼びたいと思う。国ではなく、地方自治体を訴える場合も「国家賠償法」に拠ることになる。(地方公務員である警察を訴える場合と同じ。)国賠法では「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」に賠償の責任が生じる。今回の事例では、公権力の行使ではなく、「不行使の不作為責任」が問われているが、法的には「不行使」の過失の場合にも賠償責任が生じることがある。
問題は「過失」を認定できるかどうかである。国賠法の今までのケースでは、「過失」とは「公務員が職務上要求される注意能力を欠くこと」とされているという。大川小のケースでは、地震から津波襲来まで51分ほどあり、校庭の隣にある裏山に逃げていれば助かったとされる。「山へ逃げよう」という声が、児童や保護者(学校に子どもを連れに来ていた)からも二度上がっていたという。教務主任も山への避難を提案したが、教頭からは明確な同意がなされず、時間ばかりが経ってしまったのである。
この山はそれなりに急だというが、シイタケ栽培などの学習で子どもたちも登ったことがあるという。裁判官が実地検証している映像をテレビでやっていたが、実際に見てみることで裁判官は「裏山へ避難するのが最も自然だった」という心証を持ったのではないか。もともと大川小は海岸から4キロほどあり、津波が襲うという想定はなされていなかった。だから、避難訓練や研修もおこなっていない。だけど、市の広報車が大津波の襲来を伝え、それを教員も把握していた。その後の経緯は必ずしも明確になっていないけど、法的な過失の有無は市と県が控訴したので、今後の裁判で再び問われる。
だけど、そういう法的な責任とは別に、僕はこの判決は日本の教育に対して大きな問いかけをしていると思う。この判決を「学校には子どもの命を守る大きな責任がある」ととらえるのは間違っていないと思う。だけど、それだけでは済まないのではないだろうか。当時大川小の教職員13人中、11人が学校にいた。そして、そのうち10人が亡くなっている。犠牲になった児童数があまりにも多いわけだが、それとともに教員の犠牲者も空前である。日本教育史上かつてない悲惨事である。
児童の命を守れないだけでなく、自分たちも死んでしまった。僕は思うのだが、教師の何人かが山へ行こうと動き出していれば、子どもや地域の人々も動き出していたのではないか。だけど、どの教員もそういう行動を起こせなかった。それは「教師の責任」などと言う前に、「自分の身を守る自己防衛本能」という観点から、おかしなことではないだろうか。
もっとも、それをただ非難することはできない。教員研修では、そのような「自分で考え」「自分で行動する」ことがないようにトレーニングされるはずだ。宮城県ではどうか知らないけど、とにかく数年前の東京都では、校長をトップにしたピラミッド型組織を作って、整然と命令で動ける組織に学校を作り替えようとしていた。当然、「想定外の事件」が起きれば、個々の教員では対応できない。だから、教員は上司に「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を絶やすなと言われる。そして、組織的に下された(実は誰が決めたのか判らない)決定を下の教員は墨守すればいいというのである。
多分、多かれ少なかれ、日本全国の学校は昔に比べて「上意下達型組織」になっているだろう。そして、大地震が起きた当日、その日は校長は私事休暇を取っていた。3月の金曜日、自分の子どもの高校卒業式に参列するためだった。地震が起きるとは誰にも判らないのだから、それは仕方ない。「校長は常に学校にいろ」というわけにもいかない。病気のときもあるし、全国で何か事件(いじめとか)があれば、校長連絡会に呼ばれて学校を留守にせざるを得ない。
校長不在時、一刻も早く決断が求められる時に、なんの判断も下されずに時間が経ってしまった。「法的」な問題はともかく、痛恨の「過失」であることは明白だ。それは何故起こった? 教員が「自己の身体性」を喪失しているというのが、ここで最大の問題ではないか。自己の本能に従って、誰に言われるまでもなく、山へ避難しようと声を挙げられる教員が一人いたら…。教務主任が教頭を放っておいて、皆で逃げようと言えたら…。想定外の場合に問われる教師の人間力。それを養成するというのが、本来の研修であるはずだ。僕は大川小国賠訴訟は、日本の学校や教育行政を深いところで問い直す衝撃を秘めていると思う。文科省もそうだが、教員に限らず、責任のある立場の人にとって、自らを問い直す重い意味を持っている。
この裁判を「大川小国賠訴訟」と呼びたいと思う。国ではなく、地方自治体を訴える場合も「国家賠償法」に拠ることになる。(地方公務員である警察を訴える場合と同じ。)国賠法では「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」に賠償の責任が生じる。今回の事例では、公権力の行使ではなく、「不行使の不作為責任」が問われているが、法的には「不行使」の過失の場合にも賠償責任が生じることがある。
問題は「過失」を認定できるかどうかである。国賠法の今までのケースでは、「過失」とは「公務員が職務上要求される注意能力を欠くこと」とされているという。大川小のケースでは、地震から津波襲来まで51分ほどあり、校庭の隣にある裏山に逃げていれば助かったとされる。「山へ逃げよう」という声が、児童や保護者(学校に子どもを連れに来ていた)からも二度上がっていたという。教務主任も山への避難を提案したが、教頭からは明確な同意がなされず、時間ばかりが経ってしまったのである。
この山はそれなりに急だというが、シイタケ栽培などの学習で子どもたちも登ったことがあるという。裁判官が実地検証している映像をテレビでやっていたが、実際に見てみることで裁判官は「裏山へ避難するのが最も自然だった」という心証を持ったのではないか。もともと大川小は海岸から4キロほどあり、津波が襲うという想定はなされていなかった。だから、避難訓練や研修もおこなっていない。だけど、市の広報車が大津波の襲来を伝え、それを教員も把握していた。その後の経緯は必ずしも明確になっていないけど、法的な過失の有無は市と県が控訴したので、今後の裁判で再び問われる。
だけど、そういう法的な責任とは別に、僕はこの判決は日本の教育に対して大きな問いかけをしていると思う。この判決を「学校には子どもの命を守る大きな責任がある」ととらえるのは間違っていないと思う。だけど、それだけでは済まないのではないだろうか。当時大川小の教職員13人中、11人が学校にいた。そして、そのうち10人が亡くなっている。犠牲になった児童数があまりにも多いわけだが、それとともに教員の犠牲者も空前である。日本教育史上かつてない悲惨事である。
児童の命を守れないだけでなく、自分たちも死んでしまった。僕は思うのだが、教師の何人かが山へ行こうと動き出していれば、子どもや地域の人々も動き出していたのではないか。だけど、どの教員もそういう行動を起こせなかった。それは「教師の責任」などと言う前に、「自分の身を守る自己防衛本能」という観点から、おかしなことではないだろうか。
もっとも、それをただ非難することはできない。教員研修では、そのような「自分で考え」「自分で行動する」ことがないようにトレーニングされるはずだ。宮城県ではどうか知らないけど、とにかく数年前の東京都では、校長をトップにしたピラミッド型組織を作って、整然と命令で動ける組織に学校を作り替えようとしていた。当然、「想定外の事件」が起きれば、個々の教員では対応できない。だから、教員は上司に「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を絶やすなと言われる。そして、組織的に下された(実は誰が決めたのか判らない)決定を下の教員は墨守すればいいというのである。
多分、多かれ少なかれ、日本全国の学校は昔に比べて「上意下達型組織」になっているだろう。そして、大地震が起きた当日、その日は校長は私事休暇を取っていた。3月の金曜日、自分の子どもの高校卒業式に参列するためだった。地震が起きるとは誰にも判らないのだから、それは仕方ない。「校長は常に学校にいろ」というわけにもいかない。病気のときもあるし、全国で何か事件(いじめとか)があれば、校長連絡会に呼ばれて学校を留守にせざるを得ない。
校長不在時、一刻も早く決断が求められる時に、なんの判断も下されずに時間が経ってしまった。「法的」な問題はともかく、痛恨の「過失」であることは明白だ。それは何故起こった? 教員が「自己の身体性」を喪失しているというのが、ここで最大の問題ではないか。自己の本能に従って、誰に言われるまでもなく、山へ避難しようと声を挙げられる教員が一人いたら…。教務主任が教頭を放っておいて、皆で逃げようと言えたら…。想定外の場合に問われる教師の人間力。それを養成するというのが、本来の研修であるはずだ。僕は大川小国賠訴訟は、日本の学校や教育行政を深いところで問い直す衝撃を秘めていると思う。文科省もそうだが、教員に限らず、責任のある立場の人にとって、自らを問い直す重い意味を持っている。