アメリカ大統領選の結果については、まだまだ書くことはあるけど、毎日だとちょっと疲れるので今日はお休み。トランプ勝利で世界はどうなるなどマジメに悩んでいる人は、ぜひ見るべき傑作映画「ぼくのおじさん」。トランプが当選しても「おじさん」の日々は変わらないだろう。世界で何が起こっても。

「ぼくのおじさん」というのは、北杜夫原作のジュニア小説である。もともとは1962年から「中二時代」(旺文社)に連載されたものだという。そういえば、そんな雑誌があったもんだ。「中三時代」に続けて連載されたが、本になったのは1972年。その後新潮文庫に入ったけれど、僕は読んでない。北杜夫はずいぶん読んでるけど、この小説は知らなかった。
「おじさん」(父の弟)は「ぼく」の家の居候だけど、何もしない。「哲学者」だということで、実際に大学で教えているけど、それは週に一回非常勤講師してるだけ。後は家でダラダラしてマンガを読んでたり…。「現代の哲学者はポップ・カルチャーにもくわしくないといけない」から大変である。もっとも「ぼく」の買った漫画雑誌を取り上げて読んでるんだけど。そんなおじさんは、お母さんからは怒られっぱなし。

学校で「家の人」をテーマに作文を書く宿題が出て、ぼくはいろいろ悩んで「おじさん」を取り上げる。これが先生に受けて、コンクールに出されて…。その前にお母さんの姉から、見合い話が持ち込まれ、しぶしぶ写真展に行ってみたら、そこでハワイ出身の写真家のエリーさんに一目ぼれ。ついにハワイに押しかけて珍道中を繰り広げる。ぼくはそんな「おじさん観察日記」を付けてるんだけど…。
いい加減で社会不適応のこの「哲学者」を、松田龍平が圧倒的な存在感で名演。子どもたちのサッカーに混ざって見せる「運動オンチ」シーンは、よほど運動神経が良くないとできないだろう。実に見事な「トンネル」だった。父親の松田優作も、時には脱力系の演技を見せていたけれど、ベースはあくまでもアクションスターだった。一方、松田龍平はコメディタッチの映画で、ぼけっとした感じをうまく出す。「まほろ駅前」シリーズとか「モヒカン故郷に帰る」とか。代表作「舟を編む」もちょっと違うが似てる。
「ぼく」を演じる大空利空少年は、先に書いた「永い言い訳」の藤田健心少年と並んで、今年の子役演技賞。エリーさんが真木よう子。母が寺島しのぶ、父が宮藤官九郎、母の姉がキムラ緑子、小学校の先生が戸田恵梨香…と脇を固める役者面々もそろっていて、見てて充実感がある。でも、何よりも「おじさん」と「ぼく」が名コンビで、とにかくおかしい。見てるだけでおかしいという点では、今年最高。
まあ、簡単に言えば、「無用」の男の面白さ。見たからどうなるという、社会派、芸術派の深刻味はない。だけど、こういうのが、人生のスパイスではないか。北杜夫だって、父親である斎藤茂吉一族の重さに正面から取り組んだ小説「楡家の人々」や評伝「茂吉4部作」もあるけど、その合間に抱腹絶倒の「どくとるマンボウ」シリーズや「怪盗ジバゴ」なんかを書いていたわけである。僕の世代では、このマンボウシリーズで読書の面白さを知った人が多いと思う。
監督の山下敦弘(のぶひろ)は、この手の脱力系ムーヴィーの名手である。初期の「リアリズム生活」(つげ義春原作)が最初に見た映画。次の「リンダ リンダ リンダ」(2005)こそ大傑作で、高校文化祭映画の最高峰。「天然コケッコー」は純然たる名作で、「マイ・バック・ページ」や「苦役列車」は原作に引きずられ過ぎだった。「もらとりあむタマ子」(2013)でおバカ路線に戻った感じがする。
「超能力研究部の3人」「味園ユニバース」なんて作品まで、確かここで書いてるから、僕は山下監督のファンなのである。そして、今年「オーバー・フェンス」という名作と「ぼくのおじさん」という脱力映画と2本見られた。だけど…近くのシネコンは平日と言ってもビックリするほどガラガラだった。東映系映画館ではもっと上映されるだろうが、シネコンなんかは一週間でもう上映は夜一回ぐらいになっている。でも、これはぜひ多くの人に見て欲しい映画。原作もきっとそうだと思うが、精神のリラックス、「心のストレッチ」の映画なのである。と同時に、もしヒットすれば、今度はおじさんが戸田恵梨香の先生に失恋する続編を作って欲しいなあと思っているのである。

「ぼくのおじさん」というのは、北杜夫原作のジュニア小説である。もともとは1962年から「中二時代」(旺文社)に連載されたものだという。そういえば、そんな雑誌があったもんだ。「中三時代」に続けて連載されたが、本になったのは1972年。その後新潮文庫に入ったけれど、僕は読んでない。北杜夫はずいぶん読んでるけど、この小説は知らなかった。
「おじさん」(父の弟)は「ぼく」の家の居候だけど、何もしない。「哲学者」だということで、実際に大学で教えているけど、それは週に一回非常勤講師してるだけ。後は家でダラダラしてマンガを読んでたり…。「現代の哲学者はポップ・カルチャーにもくわしくないといけない」から大変である。もっとも「ぼく」の買った漫画雑誌を取り上げて読んでるんだけど。そんなおじさんは、お母さんからは怒られっぱなし。

学校で「家の人」をテーマに作文を書く宿題が出て、ぼくはいろいろ悩んで「おじさん」を取り上げる。これが先生に受けて、コンクールに出されて…。その前にお母さんの姉から、見合い話が持ち込まれ、しぶしぶ写真展に行ってみたら、そこでハワイ出身の写真家のエリーさんに一目ぼれ。ついにハワイに押しかけて珍道中を繰り広げる。ぼくはそんな「おじさん観察日記」を付けてるんだけど…。
いい加減で社会不適応のこの「哲学者」を、松田龍平が圧倒的な存在感で名演。子どもたちのサッカーに混ざって見せる「運動オンチ」シーンは、よほど運動神経が良くないとできないだろう。実に見事な「トンネル」だった。父親の松田優作も、時には脱力系の演技を見せていたけれど、ベースはあくまでもアクションスターだった。一方、松田龍平はコメディタッチの映画で、ぼけっとした感じをうまく出す。「まほろ駅前」シリーズとか「モヒカン故郷に帰る」とか。代表作「舟を編む」もちょっと違うが似てる。
「ぼく」を演じる大空利空少年は、先に書いた「永い言い訳」の藤田健心少年と並んで、今年の子役演技賞。エリーさんが真木よう子。母が寺島しのぶ、父が宮藤官九郎、母の姉がキムラ緑子、小学校の先生が戸田恵梨香…と脇を固める役者面々もそろっていて、見てて充実感がある。でも、何よりも「おじさん」と「ぼく」が名コンビで、とにかくおかしい。見てるだけでおかしいという点では、今年最高。
まあ、簡単に言えば、「無用」の男の面白さ。見たからどうなるという、社会派、芸術派の深刻味はない。だけど、こういうのが、人生のスパイスではないか。北杜夫だって、父親である斎藤茂吉一族の重さに正面から取り組んだ小説「楡家の人々」や評伝「茂吉4部作」もあるけど、その合間に抱腹絶倒の「どくとるマンボウ」シリーズや「怪盗ジバゴ」なんかを書いていたわけである。僕の世代では、このマンボウシリーズで読書の面白さを知った人が多いと思う。
監督の山下敦弘(のぶひろ)は、この手の脱力系ムーヴィーの名手である。初期の「リアリズム生活」(つげ義春原作)が最初に見た映画。次の「リンダ リンダ リンダ」(2005)こそ大傑作で、高校文化祭映画の最高峰。「天然コケッコー」は純然たる名作で、「マイ・バック・ページ」や「苦役列車」は原作に引きずられ過ぎだった。「もらとりあむタマ子」(2013)でおバカ路線に戻った感じがする。
「超能力研究部の3人」「味園ユニバース」なんて作品まで、確かここで書いてるから、僕は山下監督のファンなのである。そして、今年「オーバー・フェンス」という名作と「ぼくのおじさん」という脱力映画と2本見られた。だけど…近くのシネコンは平日と言ってもビックリするほどガラガラだった。東映系映画館ではもっと上映されるだろうが、シネコンなんかは一週間でもう上映は夜一回ぐらいになっている。でも、これはぜひ多くの人に見て欲しい映画。原作もきっとそうだと思うが、精神のリラックス、「心のストレッチ」の映画なのである。と同時に、もしヒットすれば、今度はおじさんが戸田恵梨香の先生に失恋する続編を作って欲しいなあと思っているのである。