尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「夕子ちゃんの近道」-長嶋有を読む②

2017年09月06日 21時11分23秒 | 本 (日本文学)
 「長嶋有を読む」2回目は、第一回大江健三郎賞を受賞した「夕子ちゃんの近道」(2006、講談社文庫=品切れ中)。これはとても面白い傑作だった。大江健三郎賞というのは、大江氏一人が選考して選ぶ文学賞で、2007年から2014年まで8回続いて終了した。大江氏が「可能性」を認めた作家と作品に授与する賞で、新人にも与えられたが新人以上の賞という感じだった。中村文則「掏摸」(すり)が4回目に選ばれ、賞金の代わりに外国で翻訳出版するルールなので、アメリカで評判になるきっかけを作った。第一回に「夕子ちゃんの近道」を選んだ眼力は書評を見るとよく判る。

 大江賞の話で長くなってしまったが、「夕子ちゃんの近道」もまた変な小説だ。不思議な人々が不思議な設定で出会う。主人公は大学を出て30前後かと思うが、なにゆえにか古道具屋「フラココ屋」の2階に住み始める。店の名前もキテレツだけど、下宿でも何でもない倉庫みたいな部屋に住むには、それなりの理由というもんがあるはずだ、普通。そして多分何かありそうなんだけど、小説では語られない。そこが不思議なところで、じゃあ「観察者」に徹しているかと思うと、そうでもない。

 「店長」(幹夫)も不思議な感じで、やる気があるのかないのか判らない。そこに「瑞枝」さんという「常連客」のような、買わないから「客」じゃないけど、しょっちゅう来ている人がいる。店の裏に大家さんが住んでいて、息子は離婚してドイツに行ってる(から出てこない。)孫が二人いて、長女の「朝子」は美大に行ってて、卒業制作で箱を作り続けている。その妹の「夕子」は定時制高校に通っている。

 夜間定時制に通う理由も説明されない。ある日店長に呼ばれて道具を「本店」(店長の実家のことだけど)に持っていくと、電車に乗ったら夕子も乗っている。(夜の高校だから不思議はない。)ところが帰りの電車に乗ると、降りた駅の隣駅から遅い電車に夕子が乗ってくる。駅を降りると、付近の道に詳しくない主人公に「夕子ちゃん」が別の「近道」を教えてくれる。これがまた変な道で、竹やぶを超えて行ったりする。それが「夕子ちゃんの近道」という全体の題名になった話だけど、実は「夕子ちゃん」には秘密もあった。後で振り返ると題名にも仕掛けがあるのである。

 その後、フランスから店長の「元カノ」(?)「フランソワーズ」という日本語が達者で相撲が大好きな女性が登場する。北の湖を「トシミツ」と名前で呼ぶぐらい好きだった。祖父が亡くなり、お金もあって皆を五月場所に招待してくれる。(けど、本人がその日に行けなくなる。だからフランソワーズ以外で見に行く。)フランスにもぜひ来てよ、旅費ぐらい出すという。最後に「パリの全員」という章があるから、ホントに皆でパリに行くのである。(ここは非常に楽しい終章になている。)

 その後、朝子さんの展覧会に行ったり、夕子ちゃんに大波乱があったりしながら、日々は過ぎていく。フラココ屋に何となく集う人々の、いろいろある日常も少しづつ変わっていく。「過去」を全然語らないことで、このフラココ屋の日々が貴重な感じがしてしまうけど、そこもまた「うつりゆく日々」の中にある。ただ何気ない毎日を記録したような小説だけど、でもそこに貴重な日々が立ち現れる。主人公も変わっていかざるを得ない。そして、「あの頃」が貴重なものになっていくのである。

 いろいろな仕掛けがあるのだが、そういうことは考えずに読める。淡々と始まりながら、だんだん「なんだか深い」という気がしてくる。それは僕らの日常と同じなんだろう、多分。スラスラ読めるけど、でもあれは何だったんだろうと思うような小説だ。(ところで、相撲を見に行って、元貴闘力を見て、店長が「俺、昔、競馬場で貴闘力をみたことあるよ」というのがおかしかった。貴闘力(大嶽親方)はギャンブル依存症で身を持ち崩し、相撲協会を解雇されることになったわけで。)

 2008年の「ぼくは落ち着きがない」(光文社文庫)も簡単に。この小説はある高校の「図書部」の面々を「望美」の目から描いている。題名に「ぼく」とあるから、この「望美」って男子かと思うと、やっぱり女子。図書部っていうのは、図書委員がさぼると本を借りられなくなると、本好き、図書室好きのメンバーが何年か前に「図書部」という部活を作ったという設定。実際に長嶋有さんは「図書局」なるものをやってたという。もちろん運動部どころか、どの文化部よりももっとユルイのは当然。

 そんな図書部で、「部長」とか、不登校になる「頼子」とか、「ナス先輩」という名前の後輩とか、さまざまなメンツが繰り広げる日常の日々。って、フラココ屋みたいな図書室だなあ。そして、そのタルイ日々の中に、読書ってなんだ本ってなんだという本質が、高校生目線で描かれていく。この小説も「仕掛け」があり、さまざまな人物が最初はよく飲み込めないけど、久しぶりに読んだら最初の時よりずっと面白かった。「高校部活小説」ではないのだ。「ジャージの二人」や「夕子ちゃんの近道」を先に読む方がいい。(なお、望美と頼子に関しては、「祝福」(河出文庫)にある「噛みながら」という続編というか、スピンオフに簡単に書かれている。えっ、そうなんだという設定。)
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