尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「新テスト」は結局どうなるか-大学入試問題③

2017年09月13日 21時24分58秒 |  〃 (教育問題一般)
 「大学入試のあり方問題」はかなり根が深い。いつでも、どこでも、多分同じだと思うけど、「今の教育はおかしい」という主張が常になされている。特に現代ではAIの進化により、「そもそも人間の労働とは何なのか」という問題も発生している。AIにはできない、人間ならではの「考える力」を育成しないと行けないと言われると、その通りだ、まったくだと思ってしまう。

 大学入試が変わらない限り、それに対応する高校以下の教育も変わらない。そう考える人が、大学入試に「考える力を問う問題」を取り入れろと言うわけだ。つまり、大学入試を「初中等教育を変える手段」とみなしている。だけど、そのためには「社会的コスト」がかかる。記述式テストを採点する手間ひまは、結局「外部化」する、つまり「民間業者」に委託するということになる。

 もう一つ、「高校生の学力判断」という大問題がある。大学側から、入学者の学力低下が指摘されたのは、もうずいぶん前のことだ。日本では「義務教育」段階で「落第」がない。だから、毎日学校へ来ていれば卒業できる。そして、その大部分が高校へ行く。高校が学力だけで判断すれば、かなりの生徒が卒業できなくなるだろう。それでいいのか? 高校は義務教育じゃないんだし、現に留年があるんだから、卒業に際して「高卒に値する学力があるか判定テスト」をするべきだ、という意見もあった。

 そんなことを本当にやったら、学校現場はテスト漬けで大変になるだけ。中学生にしても、高校へ行っても卒業できないんなら、行く必要もない。中卒で正社員に雇ってくれる会社もないから、アルバイトを少ししながら家でブラブラするような若者を大量に生み出すだけだ。「低学力者向けの高校」には社会的な存在意義がある。ということで、「高校卒業判定テスト」は実現が難しい。ということで、紆余曲折ありながら、「学びの基礎診断」という名前で始まるようだ。

 これがどう機能するか。まずは国語、数学、英語で始まるようだが、高校は多様な学びの実態がある。そういうものが欲しいという意見も判らないではないけど、高校の「必履修科目」(卒業までに必ず履修しなければならない科目)は、国数英以外にたくさんある。国数英だけを「基礎科目」として、重点的に学力強化に取り組むのはおかしいだろう。それに職業高校もたくさんあるわけで、職業科目は授業の3分の1ぐらいを占めている。それを学ぶ目的で高校へ入ったのに、中学と同じく国数英にばかり取り組んではやる気をそぐだろう。

 ところで、こういう風にいろいろと問題があるのだが、やっぱり一番大きいのは「英語の学力をどう評価するか」になる。結局、センター試験の英語は最終的に廃止し、民間テストに完全移行するという。民間テストはいくつもあるけど、TOEFL、TOEIC、英検などをカネと暇さえあればいくらでも受けられる。一方、離島などの受験生は受けにくい。そういうことから、受験期間を「高校3年の4~12月の間に2回まで」にするという。(朝日新聞、8.24記事)

 これはちょっと考えられないのではないか。「浪人生」はどうするんだろう。一生高3の成績が付きまとうのか。高校を出てから、自分で学びなおすということを認めないのか。それでは「高等教育」の自己否定だろう。現役時代には伸びなかった英語力を、浪人して伸ばした人はいっぱいいるだろう。

 とにかく、世の中の英語力最重視は今後も強まるのは間違いない。それなりの有名大学へ行きたいという人は、何をおいても英語力をつける必要がある。学校で頑張るだけじゃダメで、当然のように英語塾、英語の予備校に通うだろう。そういうことができない人は後れを取る。必ずそうなると思う。

 自民党の政治家には、私立学校や教育関連業界の人がかなりある。民主党が大勝利した2009年に落選した議員の中には、2012年に復帰するまでの間、私立大学の客員教授などをしていた人もかなりいるらしい。だからかどうか知る由もないが、自民党政権が長年続けてきた政策は、私立学校や教育産業に有利に働くようなものが多い。今回の新テストも、結局はその準備(実施側の準備も、受験者側の準備も)を教育産業にゆだねざるを得ないことになるんだろう。
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