尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「三の隣は五号室」-長嶋有を読む③

2017年09月07日 21時33分23秒 | 本 (日本文学)
 長嶋有の「三の隣は五号室」(2016、中央公論新社)は実に面白い。そして変わっている。とても重要な傑作だと思う。2016年の谷崎潤一郎賞を(絲山秋子「薄情」とともに)受賞した。(ちょっと今回も文学賞の話をしてしまうが、ある新聞記事に「日本の主要な文学賞」として、芥川龍之介賞や三島由紀夫賞が挙げられていて驚いたことがある。「プロ野球で活躍した選手に与えられる主要な賞として新人王がある」なんて書いたら、新聞記者失格だろうに。主要な文学賞だったら、谷崎賞や野間文芸賞ということになるはずだ。谷崎賞は一生に一回だけみたいだが。)

 「三の隣は五号室」は、読んでいる間に「こういう小説はかつて読んだことがない」と思わせる小説だ。よく考えてみれば、新作小説なんだから「かつて読んだことがない」のは当たり前ではないか。確かに村上春樹「騎士団長殺し」という小説をわれわれは初めて読むわけだし、筋を知ってるわけじゃないから、どうなるんだと思って読む。不思議なこともいっぱい起こるけど、「主人公にいろいろ不思議なことがあった」という意味では、「1Q84」や「海辺のカフカ」と同じとも言える。

 っていうか、小説とは大体「主人公にいろいろあった」という物語である。(「いろいろあった」は清水義範の「国語入試問題必勝法」から。)ところが、この「三の隣は五号室」は違うのだ。ロベール・ブレッソンの映画「ラルジャン」は、お金が人と人の間を渡っていく様を描いている。しかし、「三の隣は五号室」は移りゆかない。「五号室」に限られている。五号室に居住する人間たちは移り変わっていくが、視点は部屋に留まっている。お金じゃなくて、ATMをずっと見つめているような小説なのである。

 1960年代に横浜市の北のどこか、坂道にある町に建てられた「第一藤岡荘」(真ん前に「第二藤岡荘」がある。その五号室は間取りが普通じゃない。それは間取り図が本に載っているから、くわしくはそれを見て欲しい。玄関を入ると、右にトイレ、左に風呂がある。玄関から二手に分かれて、左に四畳半、右がキッチン、どっちを通ってもさらに奥の六畳の部屋に行く。そして、四畳半とキッチンの間も障子があって行き来できる。なんて書いても判らないと思う。本を読んでるうちに少し判ってくる。

 書評を読むと、「間取り図を見るのが好き」という人がけっこういるらしくてビックリ。僕なんて見てもあまり判らないし、興味が湧いてこない。まあ、いろんな人がいるんだなあと思うけど、そんな小説が面白いか。大々的な社会変化を直接描くわけじゃないけど、時間をかけて多くの人を見ているうちに、世の中の変化も見えてくる。人々の様子もさまざまだ。そして、そこに「部屋」を通した「小さな謎」が集積していく。「部屋」っていうものは、いろんな「フシギ」に満ちているものだ。

 例えば、ここのお風呂はなぜか少しづつお湯が漏れてしまうらしい。何でだろう? という問題は読んでいる僕らには示されるが、多くの住人たちは不思議に思いながら、次の家に移ってゆく。単身赴任で住んでいた人もいれば、10年以上この部屋に住んで子どもも生まれた夫婦もいる。60年代には大家の息子が麻雀に明け暮れたが、21世紀になるとこの部屋にイラン人が住んだ時もある。秘密を抱えた謎の男もいれば、テレビをめぐる話題もある。何だろう、この懐かしさはと最後に思う。

 「三輪密人」「四元志郎」「五十嵐五郎」「六原睦郎・豊子夫妻」「七瀬奈々」「八屋リエ」と第一話に出てくる人名もおかしい。七瀬奈々なんているかよ。でも、まあ判る。これはこの部屋に入った順の数字なんだろうなと。おかしいけど、これがなければ、読者もそうだし、作者だって誰が誰だか順番がこんがらがるに決まってる。そして、最初に住んだ藤岡一平が卒業すると、次は二瓶敏雄・文子夫妻だった。70年から82年まで住んだ人。これだけ住むと、二瓶夫妻によって「変わった」ことが多い。ねじ式の水道蛇口は二瓶夫妻がレバー式に変えた。(でも阪神大震災以前だから、下に下げると水が出る。)以前の蛇口は捨てられず、水道の下に置かれ続け、誰も手を付けなかった。

 なんて話が面白いのかと言われそう。確かに大した話じゃないんだけど、僕らの生活はそういった小さなエピソードでいっぱいのはず。その積み重ねが、「日常」というもんだなとつくづく思う。でも読んでみないとこの面白さは伝わらないかも。この小説を読む前に、「電化文学列伝」(講談社文庫)という変てこな書評エッセイを先に読んだ方がいいかもしれない。これは小説内に出てくる電化製品にまつわるエッセイなんだけど、おかしいことこの上ない。もちろん家電に関心がなくても読める。こういう「トリビア」へのこだわり方が、「三の隣は五号室」のような破格の作品に結晶したんだと思う。
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