尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大相撲、「公傷」制度の復活を

2017年09月15日 23時27分14秒 | 社会(世の中の出来事)
 サッカーではワールドカップ・ロシア大会に日本代表の出場が決定した。陸上競技の100m走では、桐生祥秀選手が9秒98の記録を出した。プロ野球では、セパ両リーグとも、広島、ソフトバンクが優勝目前である。スポーツの話題もいろいろと尽きないんだけど、僕がいちいち独自の見解を持ってるわけじゃないから、見てるけど特に書かない。そんな中で相撲の話をちょっと。

 だけど、まあその前に簡単に書いておくと、桐生選手の記録は「アジア系記録」である。アジア陸連所属のアジア記録は、カタールのフェミ・オグノデという人の9秒91というものだが、この人はナイジェリアから国籍変更した選手である。国籍変更したアフリカ系選手以外で、10秒の壁を初めて破ったのは、中国の蘇炳添(スー・ビンチャン)の9秒99。他に10秒を破った選手はいないので、桐生選手の記録は「モンゴロイド最速」ということになる。(それにどれほど意味があるかは別だけど。)

 さて、大相撲の秋場所が開催中だけど、4人いる横綱のうち白鵬稀勢の里鶴竜の3人が休場した。場所が始まったら、大関の高安が負傷休場に追い込まれ、カド番の大関・照ノ富士までが休場して大関陥落が避けられない。横綱大関で7人もいる中で日馬富士、豪栄道しか残っていない。他にも初日からブルガリア出身の碧山(あおいやま、途中出場)、佐田の海(途中出場)、さらに人気の小兵力士、宇良までが3日目から休場。これはいくら何でも異常事態だろう。

 だから、その異常の原因は何か、マスコミはいろいろと言っている。「力士の大型化」とか「夏巡業の苛酷なスケジュール」などが言われるが、そういうことも確かにあるだろう。でも、僕に言わせると大事なことが抜けていると思う。相撲界はちょっと前は様々なスキャンダルが相次ぎ、人気の低迷が長かった。暴力、大麻、ギャンブルに加えて、八百長問題が発覚した。携帯電話なんてものが登場したばかりに、ついに証拠がつかまれてしまったのである。

 だから、それ以後は基本的には「事前の約束された勝敗のやり取り」はないんだと思う。昔はどの程度あったのかは知らないけど、最終日(千秋楽)なんかの取り組みはどうも怪しい感じがした。取り決めてなくても、「片八百長」的なこと(優勝が掛かっているわけでもない力士は、勝ち越しさえ決まってれば、後はケガしないように無理せず取ろう…的な取り組み)はあったんじゃないか。

 今は若い力士が伸びてきていること、「無気力」的な相撲を嫌う力士が番付上位に多いことから、まあ見ていてお互いに力を出し合っているなという取り組みが多いと思う。(片方が故障していたり、立ち合いで変化することも許されているので、簡単に決まっちゃう取り組みも一定程度あるけれど。)でも、大型力士どうしが正面からぶつかり合うんだから、ケガが多くなるのも当然ではないか。

 そういう場合に、かつて「公傷制度」というものがあった時代がある。土俵上のケガには、翌場所に休場しても同じ番付に留め置かれるという仕組みである。つまり、ケガした場所は休場分が負けにカウントされる。2勝2敗で迎えた5日目に取り組みでケガした場合、その場所は2勝13敗になる。番付は大きく下がるけど、次の場所に休場しても、次々場所の番付は変わらない。調べてみると、この制度は1972年から2003年まで実施されていた。

 問題は大関の場合である。昔は「大関は3場所続けて負け越すと関脇陥落」というルールだったからである。だが、それじゃ甘すぎるとなって、1969年から「2場所負け越しで陥落、関脇で10勝以上で特例復帰」になった。特例があるから、当初は大関には適用されなかったけれど、だんだん大関にも公傷が認められるようになった。それがなぜなくなったのか。

 土俵のケガと言っても、今までの古傷は大体が持っているわけで、どの程度が「取り組みでケガした」と言えるのか。病気では取れないけど、何でもケガすれば「公傷」なのか。どうも公傷が多すぎるんじゃないかという感じは当時僕も思わないでもなかった。公傷力士が多すぎると、下に下がる力士も減るから、逆に十両から上がってこようという新進気鋭には不利になる。若の里や、今の栃ノ心千代の国のように、ケガで幕下まで下がりながらも這い上がってこそ「力士の鑑」とも言える。

 そうも思うんだけど、この「公傷制度」はやっぱり必要なんじゃないか。横綱を期待されながら、大関を陥落した力士は大体ケガである。ここ最近では、琴欧州把瑠都などみなそう。琴奨菊もケガをおして出続け陥落した。照ノ富士もケガしなければ横綱になる勢いだったけど、ケガをおして出続けて陥落してしまう。せっかく大関に昇進した高安も、来場所に勝ち越さないと陥落だから、きっと無理して出てくる。それでケガを悪化させてしまわないか。

 遠藤大砂嵐も同じ。ちゃんと休場して、もっと傷を完治させるべきだったのではないか。小兵の異能力士として人気が出てきた宇良も、このままではケガで大成できないかと心配になる。大相撲に限らず、スポーツでは、ちゃんと休むより、無理して出ることが「力士の美学」になりやすい。それはまずいから、ちゃんと休める制度を作っておくほうがいい。それに問題が起こると、「解雇」されている。解雇される契約関係にあるんなら、一種の「労災」が必要なんじゃないか。

 ところで横綱の場合は、ちょっと違う。多少のケガで出場できるとしても、8勝7敗では許されない。最低でも終盤まで優勝を争い、二けたの勝利を挙げることが求められる。その強いプレッシャーに耐えられないケガをしたときは、休場も認められる。その代りに休場明けには、地位を賭けた結果が求められる。だから休場してもいいんだけど、「土俵を離れたことによる精神的不安」も起こる。

 今は大横綱、白鵬が強すぎて、なかなか他の力士が横綱になれなかった。気迫で取る日馬富士がなんとか昇進したけど、「第二横綱」という感は否めなかった。鶴竜も同様。稀勢の里もやっと昇進できたけど、白鵬がいなければずっと前に横綱になっていただろう。こうして白鵬という重しがあるために、皆が年齢が高くなり30歳を超えた横綱ばかり。だから協会が配慮して、巡業などの負担を減らさない限り、今後もケガが避けられないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする