僕の大好きなエミール・クストリッツァ(1954~)の久々の新作、「オン・ザ・ミルキー・ロード」(2016)が公開中。さすが見事な冒険、恋愛、奇想の大ロマンである。いつものようにハチャメチャな展開だが、今回はイタリアからモニカ・ベルッチを共演に迎え、なんと自分で主演している。毎度同じく音楽も素晴らしい。、自ら率いる「ノー・スモーキング・オーケストラ」のメンバーである息子のストリポール・クストリッツァが担当するバルカン風音楽が画面に鳴り響いている。
どことも明示されない「とある国」が隣国と戦争している。(舞台が舞台だからボスニア戦争を思い出してしまう。)右肩にハヤブサを乗せたコスタ(エミール・クストリッツァ)は、村からの戦線の兵士たちにミルクを届けるため、ロバに乗って前線を回っている。戦前はミュージシャンだった彼も、今は戦場の村で乳しぼりとミルク運びの日々。いったい戦争はいつ終わるのか。それでも村には様々な人が住んでいて、日々の暮らしは続いていく。ミルク売りの娘ミレナはコスタに想いを寄せている。戦争が終わって、兄のジャガが帰ってたら、兄妹で同じ日に結婚する夢を持っていた。
ある日、ようやく戦争が終わり、兄はイタリア生まれの美しい花嫁(モニカ・ベルッチ)を迎えることになる。ところが、コスタと花嫁はひかれあってしまい…。一方、この花嫁、実は訳ありで逃亡中。父を求めてセルビアに来て戦争に巻き込まれた彼女は、多国籍軍の英国人将校に熱愛され逃れてきたのだ。将校は彼女を追い求め、生死を問わず連れ帰れと部下に命令。襲われた村人は猛火に包まれた。ミルク配送中のコスタだけが蛇に絡まれているうちに襲撃を逃れた。井戸に隠れていた花嫁を救い出し、後はひたすら逃げていく…。この逃亡劇が凄い。
もともと若いころからフェリーニやブニュエルが大好きだった僕は、クストリッツァのような「マジック・リアリズム」的な作風が好きである。エミール・クストリッツァは、旧ユーゴスラヴィアのサラエヴォでセルビア人とモスレム人の両親のもとで育った。だから、90年代に「祖国」が崩壊し、生まれた町が戦火にまみれた。(今はセルビアに住む。)彼の映画では、(アメリカでジョニー・デップ主演で撮った「アリゾナ・ドリーム」は別にして)どうしても「ユーゴスラヴィアの歴史」が絡んでくる。
この映画も資本的にはともかく、中身としては「セルビア映画」ということになるだろう。この映画で「多国籍軍」の英国人将校の横暴という設定になっているのは、やっぱりベースににNATO軍などへの消せない反感があるんだと思う。だけど、外国からの派遣軍が兵士を私兵のように使うという設定はどうなんだろう。架空の戦争という設定だから、もうなんでも好きに作っちゃうということか。
この映画は、今までの映画にもまして動物が出てくる。今までも「アリゾナ・ドリーム」「黒猫白猫」など動物がたくさん出てきて印象的だ。この映画は冒頭にガチョウの行進が出てくる。ついで、ハヤブサの目から見た村の様子。さらに蛇、犬、猫。そして羊の大群に囲まれて地雷群を逃げ延びようとする。ラストは15年後に熊と生きる姿。毒蛇だけはCGを使ったけど、熊は何年もかけて仲良くなり食べ物を口移ししている。この映画の動物は多すぎないか。動物好きというレベルをはるかに超えている。
僕が思ったのは、もうクストリッツァは、人間の目ではなく「動物の目」で世界を見ているということだ。平和を訴えるなどと言った甘い誘惑もそこにはない。ただ自分の愛だけは信じられる。もう戻ってこないと知っている過去だけを愛している。「今はなきユーゴスラヴィア」に殉じるかのごとき映画だ。もちろん今までの映画に見られたユーモアとエネルギーは消えてはいない。(大時計のシーンなど実におかしい。)だけど、言うべきとを言い、見るべきものを見たクストリッツァは「やがて哀しき」境地にあるのか。そんな気さえしてしまうほど、悲しいラストに見入ってしまう。
どことも明示されない「とある国」が隣国と戦争している。(舞台が舞台だからボスニア戦争を思い出してしまう。)右肩にハヤブサを乗せたコスタ(エミール・クストリッツァ)は、村からの戦線の兵士たちにミルクを届けるため、ロバに乗って前線を回っている。戦前はミュージシャンだった彼も、今は戦場の村で乳しぼりとミルク運びの日々。いったい戦争はいつ終わるのか。それでも村には様々な人が住んでいて、日々の暮らしは続いていく。ミルク売りの娘ミレナはコスタに想いを寄せている。戦争が終わって、兄のジャガが帰ってたら、兄妹で同じ日に結婚する夢を持っていた。
ある日、ようやく戦争が終わり、兄はイタリア生まれの美しい花嫁(モニカ・ベルッチ)を迎えることになる。ところが、コスタと花嫁はひかれあってしまい…。一方、この花嫁、実は訳ありで逃亡中。父を求めてセルビアに来て戦争に巻き込まれた彼女は、多国籍軍の英国人将校に熱愛され逃れてきたのだ。将校は彼女を追い求め、生死を問わず連れ帰れと部下に命令。襲われた村人は猛火に包まれた。ミルク配送中のコスタだけが蛇に絡まれているうちに襲撃を逃れた。井戸に隠れていた花嫁を救い出し、後はひたすら逃げていく…。この逃亡劇が凄い。
もともと若いころからフェリーニやブニュエルが大好きだった僕は、クストリッツァのような「マジック・リアリズム」的な作風が好きである。エミール・クストリッツァは、旧ユーゴスラヴィアのサラエヴォでセルビア人とモスレム人の両親のもとで育った。だから、90年代に「祖国」が崩壊し、生まれた町が戦火にまみれた。(今はセルビアに住む。)彼の映画では、(アメリカでジョニー・デップ主演で撮った「アリゾナ・ドリーム」は別にして)どうしても「ユーゴスラヴィアの歴史」が絡んでくる。
この映画も資本的にはともかく、中身としては「セルビア映画」ということになるだろう。この映画で「多国籍軍」の英国人将校の横暴という設定になっているのは、やっぱりベースににNATO軍などへの消せない反感があるんだと思う。だけど、外国からの派遣軍が兵士を私兵のように使うという設定はどうなんだろう。架空の戦争という設定だから、もうなんでも好きに作っちゃうということか。
この映画は、今までの映画にもまして動物が出てくる。今までも「アリゾナ・ドリーム」「黒猫白猫」など動物がたくさん出てきて印象的だ。この映画は冒頭にガチョウの行進が出てくる。ついで、ハヤブサの目から見た村の様子。さらに蛇、犬、猫。そして羊の大群に囲まれて地雷群を逃げ延びようとする。ラストは15年後に熊と生きる姿。毒蛇だけはCGを使ったけど、熊は何年もかけて仲良くなり食べ物を口移ししている。この映画の動物は多すぎないか。動物好きというレベルをはるかに超えている。
僕が思ったのは、もうクストリッツァは、人間の目ではなく「動物の目」で世界を見ているということだ。平和を訴えるなどと言った甘い誘惑もそこにはない。ただ自分の愛だけは信じられる。もう戻ってこないと知っている過去だけを愛している。「今はなきユーゴスラヴィア」に殉じるかのごとき映画だ。もちろん今までの映画に見られたユーモアとエネルギーは消えてはいない。(大時計のシーンなど実におかしい。)だけど、言うべきとを言い、見るべきものを見たクストリッツァは「やがて哀しき」境地にあるのか。そんな気さえしてしまうほど、悲しいラストに見入ってしまう。