この間、ちくま文庫版漱石全集第6巻の「門」と「彼岸過迄」を読んでいた。どちらもなかなか手ごわくて、一向に面白くならない。部分的には面白いんだけど、漱石というのは今読むとずいぶんつまらないんだなと痛感するような巻だった。「門」は「三四郎」「それから」と続く前期三部作の最後、「彼岸過迄」は「行人」「こころ」と続く後期三部作の最初とされている。だから読まないといけない。
「門」は1910年の3月から6月、「彼岸過迄」は1912年の1月から4月に朝日新聞に連載された。「門」執筆中に胃腸病で入院し、その後、伊豆に転地療養中に大喀血して一時危篤におちいる。いわゆる「修善寺の大患」である。だから、1911年には講演や随筆などはあったが、小説は書かれなかった。「彼岸過迄」が再起第一作ということになる。
「門」は野中宗助という男と妻御米(およね)の貧しい生活をじっくり描いている。彼はかつて京都の大学で学んでいたが、友人の安井の「内縁の妻」だった御米を奪うような形で一緒になった過去がある。そのため親類、友人関係を失い、広島や博多を転々としてきた。かつての同窓生にあって、ようやく東京に戻って官吏をしている。年の離れた弟小六がいるが、親は早く死に親戚のもとで暮らしていたが、それも難しくなり宗助には頭が痛い。というような生活が事細かに語られる。
それは結構読ませるところなんだけど、いくら文章で読ませても主人公の魅力がここまで乏しいと、読んでるうちに嫌になってくる。それに彼らに子どもが3回できたが、いずれも育たなかった。それは彼らが「罪」を負っているからだと思い込んでいる。だが、もともと安井は「妹」として御米を紹介していたんだし、お互いに好きになっちゃえば仕方ないじゃないか。宗助・御米は今も仲良くしているみたいだから、それでいいじゃないか。今の目からはそうも思うけど、宗助だけでなく安井も大学をやめてしまったので、その原因を作ったという負い目があるのである。
山の手の坂のある町で、坂下の借家に彼ら夫婦が、坂上に大家の坂井が住んでいる。ひょんなことから坂井と交際が始まり、そこも面白いんだけど、良いことも悪いことも「偶然」起こる。そして坂井から安井の消息を聞いて、そこから悩みが深くなる。一人で悩んで妻にも何も言わず、鎌倉の禅寺に籠ってしまう。そこがどうしようもなくつまらないところで、どうなってるんだと思ってしまう。
「それから」で夫ある妻に対する恋愛を書いて、その続編的「門」では友人から奪った女と暮らす主人公が悩む。子どももできない。これでは「姦通は道徳に反するから不幸になります」と言いたいのかとさえ思う。小説は道徳じゃないんだから、そういうことになってはいけない。当時は二人が幸せになっては新聞小説的にまずかったのか。それとも漱石は悩める主人公が好きなのか。何にせよ、あまり面白くない展開の中で突然修行を始めるなど、小説的興趣としてはガッカリの最後が待っている。
「彼岸過迄」(ひがんすぎまで)は、1月に始めた連載を彼岸過ぎまで書くという程度の意味らしく、話の中にお彼岸のシーンはない。6つの短編が相互に関連を持つように作られたというけど、どうも視点が変わるだけで、あまり成功しているとも思えない。第2編の「停留所」はちょっと探偵小説的な面白さはある。都市小説というか、市電を描く交通小説という感じ。主人公は友人の伯父に就職を頼むけど、私的な仕事でもいいと言うと「尾行」を依頼される。まあ多少面白い。
後半になると、その時の友人須永の人生、いとこの千代子との関係とか生い立ちの問題が語られる。それも面白くはあるが、結構長いうえに、主人公須永が思った以上にはっきりしない性格で読んでいて嫌になってくる。二人で柴又へ行って帝釈天に参って「川甚」で鰻を食べて語り合っている。ストーリイ以外の、そういう細部の事情が、今になると「東京小説」として興味深い。
もう一つ、「門」「彼岸過迄」に共通するが、「外地」が大きな意味を持ち始めている。日露戦争で多額の負債を負った日本では、戦後に不況が来て大学を出てもなかなか良い働き口がない。働いていない主人公がよく出てくるが、「高等遊民」という言葉と別に、単に大卒にふさわしいだけの求職が少なかったという面もあるんだろう。そういう中で、ある人々は朝鮮、満州、さらには蒙古へ出かけてゆく。そういう事情が風説のように語られている。そこに「帝国」の生活が反映されている。
「門」は1910年の3月から6月、「彼岸過迄」は1912年の1月から4月に朝日新聞に連載された。「門」執筆中に胃腸病で入院し、その後、伊豆に転地療養中に大喀血して一時危篤におちいる。いわゆる「修善寺の大患」である。だから、1911年には講演や随筆などはあったが、小説は書かれなかった。「彼岸過迄」が再起第一作ということになる。
「門」は野中宗助という男と妻御米(およね)の貧しい生活をじっくり描いている。彼はかつて京都の大学で学んでいたが、友人の安井の「内縁の妻」だった御米を奪うような形で一緒になった過去がある。そのため親類、友人関係を失い、広島や博多を転々としてきた。かつての同窓生にあって、ようやく東京に戻って官吏をしている。年の離れた弟小六がいるが、親は早く死に親戚のもとで暮らしていたが、それも難しくなり宗助には頭が痛い。というような生活が事細かに語られる。
それは結構読ませるところなんだけど、いくら文章で読ませても主人公の魅力がここまで乏しいと、読んでるうちに嫌になってくる。それに彼らに子どもが3回できたが、いずれも育たなかった。それは彼らが「罪」を負っているからだと思い込んでいる。だが、もともと安井は「妹」として御米を紹介していたんだし、お互いに好きになっちゃえば仕方ないじゃないか。宗助・御米は今も仲良くしているみたいだから、それでいいじゃないか。今の目からはそうも思うけど、宗助だけでなく安井も大学をやめてしまったので、その原因を作ったという負い目があるのである。
山の手の坂のある町で、坂下の借家に彼ら夫婦が、坂上に大家の坂井が住んでいる。ひょんなことから坂井と交際が始まり、そこも面白いんだけど、良いことも悪いことも「偶然」起こる。そして坂井から安井の消息を聞いて、そこから悩みが深くなる。一人で悩んで妻にも何も言わず、鎌倉の禅寺に籠ってしまう。そこがどうしようもなくつまらないところで、どうなってるんだと思ってしまう。
「それから」で夫ある妻に対する恋愛を書いて、その続編的「門」では友人から奪った女と暮らす主人公が悩む。子どももできない。これでは「姦通は道徳に反するから不幸になります」と言いたいのかとさえ思う。小説は道徳じゃないんだから、そういうことになってはいけない。当時は二人が幸せになっては新聞小説的にまずかったのか。それとも漱石は悩める主人公が好きなのか。何にせよ、あまり面白くない展開の中で突然修行を始めるなど、小説的興趣としてはガッカリの最後が待っている。
「彼岸過迄」(ひがんすぎまで)は、1月に始めた連載を彼岸過ぎまで書くという程度の意味らしく、話の中にお彼岸のシーンはない。6つの短編が相互に関連を持つように作られたというけど、どうも視点が変わるだけで、あまり成功しているとも思えない。第2編の「停留所」はちょっと探偵小説的な面白さはある。都市小説というか、市電を描く交通小説という感じ。主人公は友人の伯父に就職を頼むけど、私的な仕事でもいいと言うと「尾行」を依頼される。まあ多少面白い。
後半になると、その時の友人須永の人生、いとこの千代子との関係とか生い立ちの問題が語られる。それも面白くはあるが、結構長いうえに、主人公須永が思った以上にはっきりしない性格で読んでいて嫌になってくる。二人で柴又へ行って帝釈天に参って「川甚」で鰻を食べて語り合っている。ストーリイ以外の、そういう細部の事情が、今になると「東京小説」として興味深い。
もう一つ、「門」「彼岸過迄」に共通するが、「外地」が大きな意味を持ち始めている。日露戦争で多額の負債を負った日本では、戦後に不況が来て大学を出てもなかなか良い働き口がない。働いていない主人公がよく出てくるが、「高等遊民」という言葉と別に、単に大卒にふさわしいだけの求職が少なかったという面もあるんだろう。そういう中で、ある人々は朝鮮、満州、さらには蒙古へ出かけてゆく。そういう事情が風説のように語られている。そこに「帝国」の生活が反映されている。