中川成美『戦争をよむ』(岩波新書)を読んだ。中川成美(しげみ、1951~)氏は立命館大学教授やスタンフォード大学客員教授などを経て、現在は立命館大学特任教授と紹介されている。専門は「日本近現代文学・文化、比較文化」と書いてある。名前も承知していなかったけれど、70冊の本を通して「戦争」の諸相を考えてみようという本。ぜひ多くの人が戦争を考えるヒントにしたい本。
著者の専門を反映して、ここには「広義の文学」が選ばれている。歴史専門書、戦争や国際関係の理論書などはない。小説の中でも「純文学」系が多く、エンターテインメント系の小説は少ない。(江戸川乱歩や松本清張などは選ばれている。)でも、それでいいと思う。今はなかなか読まれていない本、忘れられたような本がたくさん入っているけど、それこそ著者の目的だと思う。
本、特に「文学」の本は、人間の精神の歴史においてとりわけ重要な役割を果たしてきた。今では映像や様々な芸術ジャンルも考えないといけないけれど、何かを真剣に考えようと思ったらやはりまず本を読まないとダメだ。昔は若者向け読書ガイドみたいな本や雑誌企画がいっぱいあった気がする。このような読書ガイドに使える「本の本」がもっと必要なんじゃないだろうか。
この本の構成を見ると、最初に「戦時風景」、続いて「女性たちの戦争」、「植民地に起こった戦争は-」、「周縁に生きる」、「戦争責任を問う」、「今ここにある戦争」と6つの章に分かれている。戦後の「戦争文学」と言われる本は最初の章だけで、あとは女性、植民地、周縁、戦争責任…と問題関心が広がっていく。このテーマ設定に、21世紀の現代性が現れている。だから単なる「戦争小説紹介」に留まらず、「現代世界を新しく理解するヒント」になっていると思う。
第1章では、定番的な火野葦平「麦と兵隊」、大岡昇平「野火」、梅崎春生「桜島」、原民喜「夏の花」などが選ばれている。特に戦争というテーマにしぼらなくても、「野火」や「夏の花」なんかは全日本人必読なんだから当然だろう。でも冒頭に選ばれているのは、徳田秋声の「戦時風景」という作品である。そして、ただ一人2つの作品が選ばれているのも徳田秋声(1872~1943)だけ。「自然主義」私小説の大家と言われながらも、今はほとんど読まれない徳田秋声を2つ選ぶ理由は何?
そこにこの本の独自性というか、著者の独特の戦争観があると思う。その理由は読んでもらうとして、そういう独自性は以下の章でも存分に発揮されている。「女性たちの戦争」で、「二十四の瞳」「浮雲」などに加えて、近年の世界的ベストセラー「朗読者」やノーベル文学賞を受けたドキュメンタリー作家、アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」を選ぶ。それはまだ判るとしても、森三千代(金子光晴の妻)や池田みち子(山谷に生きた女性作家)、宮田文子(武林無想庵の妻として渡欧した後で離婚)など、今ではほとんど名前も忘れられている作家が取り上げられている。
そういう選び方をするのは、女性と戦争の関わりを単に「被害者」「加害者」といった枠組みから解放し、もっと複眼的な目で見てみるということだろう。その結果、実に多様な戦争の実相が紹介される。「植民地」の章でも同様。朝鮮、満州、台湾など日本の植民地が扱われるが、朝鮮では梶山季之「族譜」だけでなく、「親日派」として文学生命を抹殺された張赫宙「岩本志願兵」にも触れる。台湾でも先住民の作品も扱う。ベトナム戦争も取り上げる。バオ・ニン「戦争の悲しみ」やティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」という割と知られた小説だが。そうやって、植民地における戦争を重層的に考えるわけである。その本を読まなくても、そういう本があると知ってるだけで力になる。
「周縁に生きる」の章になると、安本末子「にあんちゃん」、永山則夫「無知の涙」など、直接には戦争に関わらない本まで登場する。第5章「戦争責任を問う」でも、「ジョニーは戦場へ行った」から始まり、山田風太郎「戦中派不戦日記」、坂口安吾「戦争論」、中野重治「五勺の酒」などからノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」まで扱う。いま中身には詳しく触れないけど、この選択には深くうなづかされるしかない。この章には、僕の大好きな竹内浩三「戦死やあわれ」、結城昌治「軍旗はためく下に」も入っている。これはぜひ読んでほしい本だ。
そして最終章。オーウェル「一九八四年」、ウェルベック「服従」なんかに加えて、目取真俊「水滴」、伊藤計劃「虐殺機関」などが選ばれた。ここにはパスカル・メルシエ「リスボンへの夜行列車」、ヤスミラ・カドラ「カブールの燕たち」という小説が紹介されている。読んでないどころか、そういう本があることを知っている人もほとんどいないんじゃないか。そんな本が書評に出てたなと思い出したけど、くわしいことは全然知らなかった。こういう本があり、そういう著者がいるんだ。ぜひ読んで見たいと思ったけど、読む読まないじゃなくて、そういう本を書いた人がいると知ってること自体が大事だと思う。
この本には70冊しか出ていない。多様な歴史を考えるためにあえて選ばれた本も多い。だからというか、戦後日本でよく読まれた本、あるいは大長編小説なんかが選ばれていない。(例えば、五味川純平「人間の條件」、大西巨人「神聖喜劇」など。)またエンタメ系や児童文学が少ないから、あまり本を読んでない人には取っつきにくいかもしれない。戦場の実相を伝える小説や戦後の生活を描く小説も少ないけど、すぐれた作品がたくさん書かれているので、自分で探していく必要がある。
著者の専門を反映して、ここには「広義の文学」が選ばれている。歴史専門書、戦争や国際関係の理論書などはない。小説の中でも「純文学」系が多く、エンターテインメント系の小説は少ない。(江戸川乱歩や松本清張などは選ばれている。)でも、それでいいと思う。今はなかなか読まれていない本、忘れられたような本がたくさん入っているけど、それこそ著者の目的だと思う。
本、特に「文学」の本は、人間の精神の歴史においてとりわけ重要な役割を果たしてきた。今では映像や様々な芸術ジャンルも考えないといけないけれど、何かを真剣に考えようと思ったらやはりまず本を読まないとダメだ。昔は若者向け読書ガイドみたいな本や雑誌企画がいっぱいあった気がする。このような読書ガイドに使える「本の本」がもっと必要なんじゃないだろうか。
この本の構成を見ると、最初に「戦時風景」、続いて「女性たちの戦争」、「植民地に起こった戦争は-」、「周縁に生きる」、「戦争責任を問う」、「今ここにある戦争」と6つの章に分かれている。戦後の「戦争文学」と言われる本は最初の章だけで、あとは女性、植民地、周縁、戦争責任…と問題関心が広がっていく。このテーマ設定に、21世紀の現代性が現れている。だから単なる「戦争小説紹介」に留まらず、「現代世界を新しく理解するヒント」になっていると思う。
第1章では、定番的な火野葦平「麦と兵隊」、大岡昇平「野火」、梅崎春生「桜島」、原民喜「夏の花」などが選ばれている。特に戦争というテーマにしぼらなくても、「野火」や「夏の花」なんかは全日本人必読なんだから当然だろう。でも冒頭に選ばれているのは、徳田秋声の「戦時風景」という作品である。そして、ただ一人2つの作品が選ばれているのも徳田秋声(1872~1943)だけ。「自然主義」私小説の大家と言われながらも、今はほとんど読まれない徳田秋声を2つ選ぶ理由は何?
そこにこの本の独自性というか、著者の独特の戦争観があると思う。その理由は読んでもらうとして、そういう独自性は以下の章でも存分に発揮されている。「女性たちの戦争」で、「二十四の瞳」「浮雲」などに加えて、近年の世界的ベストセラー「朗読者」やノーベル文学賞を受けたドキュメンタリー作家、アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」を選ぶ。それはまだ判るとしても、森三千代(金子光晴の妻)や池田みち子(山谷に生きた女性作家)、宮田文子(武林無想庵の妻として渡欧した後で離婚)など、今ではほとんど名前も忘れられている作家が取り上げられている。
そういう選び方をするのは、女性と戦争の関わりを単に「被害者」「加害者」といった枠組みから解放し、もっと複眼的な目で見てみるということだろう。その結果、実に多様な戦争の実相が紹介される。「植民地」の章でも同様。朝鮮、満州、台湾など日本の植民地が扱われるが、朝鮮では梶山季之「族譜」だけでなく、「親日派」として文学生命を抹殺された張赫宙「岩本志願兵」にも触れる。台湾でも先住民の作品も扱う。ベトナム戦争も取り上げる。バオ・ニン「戦争の悲しみ」やティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」という割と知られた小説だが。そうやって、植民地における戦争を重層的に考えるわけである。その本を読まなくても、そういう本があると知ってるだけで力になる。
「周縁に生きる」の章になると、安本末子「にあんちゃん」、永山則夫「無知の涙」など、直接には戦争に関わらない本まで登場する。第5章「戦争責任を問う」でも、「ジョニーは戦場へ行った」から始まり、山田風太郎「戦中派不戦日記」、坂口安吾「戦争論」、中野重治「五勺の酒」などからノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」まで扱う。いま中身には詳しく触れないけど、この選択には深くうなづかされるしかない。この章には、僕の大好きな竹内浩三「戦死やあわれ」、結城昌治「軍旗はためく下に」も入っている。これはぜひ読んでほしい本だ。
そして最終章。オーウェル「一九八四年」、ウェルベック「服従」なんかに加えて、目取真俊「水滴」、伊藤計劃「虐殺機関」などが選ばれた。ここにはパスカル・メルシエ「リスボンへの夜行列車」、ヤスミラ・カドラ「カブールの燕たち」という小説が紹介されている。読んでないどころか、そういう本があることを知っている人もほとんどいないんじゃないか。そんな本が書評に出てたなと思い出したけど、くわしいことは全然知らなかった。こういう本があり、そういう著者がいるんだ。ぜひ読んで見たいと思ったけど、読む読まないじゃなくて、そういう本を書いた人がいると知ってること自体が大事だと思う。
この本には70冊しか出ていない。多様な歴史を考えるためにあえて選ばれた本も多い。だからというか、戦後日本でよく読まれた本、あるいは大長編小説なんかが選ばれていない。(例えば、五味川純平「人間の條件」、大西巨人「神聖喜劇」など。)またエンタメ系や児童文学が少ないから、あまり本を読んでない人には取っつきにくいかもしれない。戦場の実相を伝える小説や戦後の生活を描く小説も少ないけど、すぐれた作品がたくさん書かれているので、自分で探していく必要がある。