尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イラン映画「ある女優の不在」、ジャファル・パナヒ支援のために

2019年12月24日 22時42分35秒 |  〃  (新作外国映画)
 イランの映画監督ジャファル・パナヒ(Jafar Panahi)の「ある女優の不在」が公開されている。東京のヒューマントラストシネマ渋谷他上映館が限られているが、この映画は特別な重みがある。ジャファル・パナヒは2009年の大統領選で改革派のムサヴィを支持してアフマディネジャド政権(当時)に拘束され、「20年間の映画製作禁止」を言い渡された。しかし、その後も「これは映画ではない」(2011)や「人生タクシー」(2015)などの作品を作って映画祭で受賞してきた。今回の「ある女優の不在」も2018年のカンヌ映画祭で女優賞を受賞した。「表現の自由」を守るための、不屈の作家精神に敬意を表したい。

 「これは映画ではない」や「人生タクシー」も僕は見ているが、ここでは書かなかった。映画製作禁止なんだから、大規模なセットなどは使えない。しかし今では多くの人がスマホで撮った映像を世界に発信する時代だ。映画製作は禁じられたが、映像撮影を禁じられたわけではない。そういうリクツで、自宅に置かれた小型のカメラで近況を撮ったのが「これは映画ではない」。次の「人生タクシー」は個人タクシーの運転手になったパナヒ監督が、車内の積載カメラで乗客の会話を撮影したもの。こんなにドラマチックに乗客が話すはずはなく、実際はセリフだと思うが、タテマエ上はやはり「映画ではない」。どちらも興味深かったけれど、さすがに製作上の制約が大きすぎたのは否めない。

 今回の「ある女優の不在」は全編ロケでイラン社会の現実を鋭く追求する姿勢が素晴らしい。有名女優が出るなど、ずいぶんイラン内部の変化もうかがわれる。今回もタテマエ上は「監督の私的な旅行を撮影した」という体裁を取っている。しかし、監督や女優以外に「専属カメラマン」がいるのは明白だ。イランでもSNSが発達して、多くの若者が利用している。ある日、有名な女優のベーナズ・ジャファリに、見知らぬ少女マルズィエから、「テヘランの芸術大学に合格したが、家族が進学を認めず自殺を決意した」という動画が届く。動画はマルズィエの首にロープが架かりスマホが落下して終わる。
(ジャファリとパナヒ監督)
 テレビドラマ撮影中だったジャファリは気になって仕方なく、撮影どころではない。そこで友人のパナヒ監督に頼んで、車で少女の住む村まで行くことにする。そこは西北部のアゼルバイジャン地方で、ペルシャ語は通じない。車があって現地の言葉も判るパナヒ監督が重要なのである。という設定で、イラン辺境の恐るべき「家父長制社会」の状況が明らかになってゆく。村へ着いても少女のことは誰も教えてくれない。「自殺?撮影場所」らしき洞窟を見つけるが、少女はいない。一体真相はどこに?

 ジャファリは撮影現場を留守にする。少女は村にいない。これが「ある女優の不在」の二人だが、原題は「3faces」である。ここで旧弊な村で長く孤立してきた昔の大女優シャールザードがクローズアップされる。イラン・イスラム革命(1979)以前に大女優として人気を誇ったが、革命後は映画に出られなくなった。村でも孤立していて、いつも絵を描いて暮らしている。この女優は実際にいる人だと言うが、住んでいるのは別の場所だという。企まれたシナリオによって、辺境の村の女性問題を主に描きながら、イスラム革命そのものへの批判もにじませている。
(村人に囲まれる人気スター、ジャファリ)
 日本でも女性が高等教育を受けるには強い抵抗があった。つい最近も医学部入試で女性差別が明らかになったばかり。だがマルズィエは許嫁との結婚承諾を条件に進学を許されたのである。難関のテヘランの芸術大学に受かるはずがないと思ったのだ。ここで抵抗しないと「意に染まない結婚」を強いられて、村と家庭に閉じ込められてしまうのである。この危機状況にどう立ち向かうか。それが動画作戦だった。この「現代」と「伝統」の確執は世界中で大きな問題だろう。

 舞台となっているのは西北部のアゼリー人が多い土地である。言語はアゼルバイジャン語と呼ばれることが多いが、映画では「トルコ語」と表現されている。イランの北にある旧ソ連のアゼルバイジャンは、総人口約1千万のうち9割ほど、900万ぐらいがアゼルバイジャン人(アゼリー人)。一方、隣国のイランには1800万ものアゼリー人が住んでいて、イラン在住の方が多いのである。アゼルバイジャン語はほぼトルコ語で、トルクメニスタンを含めて大体相互に通じると言われる。

 パナヒ監督はアッバス・キアロスタミ監督の下で助監督を務め、デビュー作「白い風船」でカンヌ映画祭新人監督賞を受賞した.その後「チャドルと生きる」(ヴェネツィア映画祭金獅子賞)、「オフサイド・ガールズ」(サッカーを見られない状況に抵抗する女性たちを描く)など女性の苦闘をテーマにしてきた。今回の映画は辺境の山岳地帯の女性を描く。その厳しい風景を見るだけでも映画の意味がある。すれ違い不能の山道をクラクションを鳴らして通る人々。その道幅の狭い、厳しく長い曲がりくねった道(ロング&ワインディング・ロード)はイランの女性の、あるいはイラン国民すべての自由への厳しい道のりを暗示しているかに見えて、忘れがたい。
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