東京・汐留の「パナソニック汐留美術館」でやってる「ラウル・デュフィ展 絵画とテキスタイル・デザイン」を見た。12月15日までで水曜休。ラウル・デュフィ(Raoul Dufy,、1877~1953)は昔から僕の大好きな画家でよく見た。最近美術館にあまり行ってないけど、実は招待券が当たったので見に行かないと。だから書くわけじゃないけど、今回の展示には今までにない特徴があるので簡単に紹介。
(ニースの窓辺)
デュフィという画家は、陽気で明るい色調、音楽が聞こえてくような躍動、地中海の青やバラなどの赤などを駆使した「色彩の魔術師」である。もちろんムンクの「叫び」も心に訴えるし、ピカソの変幻自在もすごい。エルンストやデ・キリコの幻想的世界など、心ひかれる画家は多かった。中ではデュフィは楽しすぎる感じはするけど、そういうものもあっていいじゃないかと思った。
(ラウル・デュフィ)
中学生で「悲しみよこんにちは」(フランソワーズ・サガン)を読み、「気狂いピエロ」(ゴダール)を見た。だから「おフランス」の中でも「花の都巴里」よりも「リヴィエラ」という響きに魅力を感じたわけである。今回出ている「ニースの窓辺」が代表的だが、自分もコートダジュールの風に吹かれるような気がしてくる。音楽会を描いた絵も出ているが、そういうのがデュフィの魅力なのは間違いない。
ところが今回は「デザイン」に焦点が当てられている。それも「テキスタイル・デザイン」って言うけど、それは何だろう。服飾やインテリアの布地や織物をデザインする人のことで、「染織家」も指すらしい。(ウィキペディアによる。)デュフィがそういう仕事をしていたとは知らなかった。最初はアポリネールの詩集の挿画を頼まれ、それが好評でデザインの注文も来たという。リヨンの絹織物製造業ビアンキーニ=フェリエ社のために、1912年から28年までデザインを提供していたんだという。それらは上流階級の女性たちを魅了したと出ている。その原画や下絵などがたくさん出ているのが特徴だ。
この服装は現代に復刻された「マイ・フェア・レディ」の舞台衣装で、出口のところで撮影可能になっている。多分デュフィというだけだといいかなと思う人、特に洋裁や染織に関心のある人は必見かと思う。美術館は初めて行ったんだけど、「旧新橋停車場」の隣のビルで、美術館からエスカレーターを降りるときに上から見られるのも面白かった。
(ニースの窓辺)
デュフィという画家は、陽気で明るい色調、音楽が聞こえてくような躍動、地中海の青やバラなどの赤などを駆使した「色彩の魔術師」である。もちろんムンクの「叫び」も心に訴えるし、ピカソの変幻自在もすごい。エルンストやデ・キリコの幻想的世界など、心ひかれる画家は多かった。中ではデュフィは楽しすぎる感じはするけど、そういうものもあっていいじゃないかと思った。
(ラウル・デュフィ)
中学生で「悲しみよこんにちは」(フランソワーズ・サガン)を読み、「気狂いピエロ」(ゴダール)を見た。だから「おフランス」の中でも「花の都巴里」よりも「リヴィエラ」という響きに魅力を感じたわけである。今回出ている「ニースの窓辺」が代表的だが、自分もコートダジュールの風に吹かれるような気がしてくる。音楽会を描いた絵も出ているが、そういうのがデュフィの魅力なのは間違いない。
ところが今回は「デザイン」に焦点が当てられている。それも「テキスタイル・デザイン」って言うけど、それは何だろう。服飾やインテリアの布地や織物をデザインする人のことで、「染織家」も指すらしい。(ウィキペディアによる。)デュフィがそういう仕事をしていたとは知らなかった。最初はアポリネールの詩集の挿画を頼まれ、それが好評でデザインの注文も来たという。リヨンの絹織物製造業ビアンキーニ=フェリエ社のために、1912年から28年までデザインを提供していたんだという。それらは上流階級の女性たちを魅了したと出ている。その原画や下絵などがたくさん出ているのが特徴だ。
この服装は現代に復刻された「マイ・フェア・レディ」の舞台衣装で、出口のところで撮影可能になっている。多分デュフィというだけだといいかなと思う人、特に洋裁や染織に関心のある人は必見かと思う。美術館は初めて行ったんだけど、「旧新橋停車場」の隣のビルで、美術館からエスカレーターを降りるときに上から見られるのも面白かった。