尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ラウル・デュフィ展を見る

2019年12月07日 23時02分11秒 | アート
 東京・汐留の「パナソニック汐留美術館」でやってる「ラウル・デュフィ展 絵画とテキスタイル・デザイン」を見た。12月15日までで水曜休。ラウル・デュフィ(Raoul Dufy,、1877~1953)は昔から僕の大好きな画家でよく見た。最近美術館にあまり行ってないけど、実は招待券が当たったので見に行かないと。だから書くわけじゃないけど、今回の展示には今までにない特徴があるので簡単に紹介。
(ニースの窓辺)
 デュフィという画家は、陽気で明るい色調、音楽が聞こえてくような躍動、地中海の青やバラなどの赤などを駆使した「色彩の魔術師」である。もちろんムンクの「叫び」も心に訴えるし、ピカソの変幻自在もすごい。エルンストデ・キリコの幻想的世界など、心ひかれる画家は多かった。中ではデュフィは楽しすぎる感じはするけど、そういうものもあっていいじゃないかと思った。
(ラウル・デュフィ)
 中学生で「悲しみよこんにちは」(フランソワーズ・サガン)を読み、「気狂いピエロ」(ゴダール)を見た。だから「おフランス」の中でも「花の都巴里」よりも「リヴィエラ」という響きに魅力を感じたわけである。今回出ている「ニースの窓辺」が代表的だが、自分もコートダジュールの風に吹かれるような気がしてくる。音楽会を描いた絵も出ているが、そういうのがデュフィの魅力なのは間違いない。

 ところが今回は「デザイン」に焦点が当てられている。それも「テキスタイル・デザイン」って言うけど、それは何だろう。服飾やインテリアの布地や織物をデザインする人のことで、「染織家」も指すらしい。(ウィキペディアによる。)デュフィがそういう仕事をしていたとは知らなかった。最初はアポリネールの詩集の挿画を頼まれ、それが好評でデザインの注文も来たという。リヨンの絹織物製造業ビアンキーニ=フェリエ社のために、1912年から28年までデザインを提供していたんだという。それらは上流階級の女性たちを魅了したと出ている。その原画や下絵などがたくさん出ているのが特徴だ。
 
 この服装は現代に復刻された「マイ・フェア・レディ」の舞台衣装で、出口のところで撮影可能になっている。多分デュフィというだけだといいかなと思う人、特に洋裁や染織に関心のある人は必見かと思う。美術館は初めて行ったんだけど、「旧新橋停車場」の隣のビルで、美術館からエスカレーターを降りるときに上から見られるのも面白かった。
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六義園ライトアップー東京の庭園⑥

2019年12月07日 20時58分22秒 | 東京関東散歩
 JR駒込駅近くの六義園(りくぎえん)は、毎年秋に紅葉のライトアップをしている。(12月12時まで。夜21時まで開園。入園は20時半まで。)都立庭園で夜間に時間延長をしてライトアップしているのはここだけ。六義園は以前記事を書いたこともあるが、改めてライトアップだけ取り上げたい。

 「東京には緑がない」「東京砂漠」だなんて昔はよく言ってたもんだけど、そんなことはなくって東京には江戸時代からの「大名庭園」がずいぶん残っている。大都会だから人間関係は大変かもしれないが、案外心休める場はある。それらの庭園の多くは都立だから安いし、65歳を過ぎるとさらに安くなる。健康を考えて、軽く歩けて緑に親しめる場があるのはありがたい。
   
 ライトアップ期間は駒込駅直近(2分ぐらい)の「染井門」が開いている。いつもは閉まっていて、もっと南へ10分ほどの正門しか開いてない。つまり通常期は池をめぐって一周するしかないが、この時期は片方から入って抜けることが可能。夜だから寒いし、正門から入って染井門から出れば駅に近くて便利。多少は光がある時間の方が池面に映る風景が見られるし、染井門に近い「つつじ茶屋」ではお団子やこんにゃくなどを売っている。つつじ茶屋を出たあたりで、一番の見どころがある。紅葉がすごいし、さらに下の方には青い光を当てて川のような演出をしている。

 それらもいいけど、正門から入ってしばらく歩いたあたりの池も素晴らしい。夕方の光が残る時間なら、空と水面と池向こうのライトアップが趣が出る。スマホで撮ってるカップルや外国人が多いけど、急いで取ると失敗する。光量が少ないから仕方ない。念のためいっぱい撮っておいた方がいいかも。
  
 六義園は5代将軍綱吉の側近として名高い柳沢吉保の下屋敷だったところ。なんだか柳沢吉保は歴史の悪役という感じだが、子孫はずっと続いた。上州館林藩士から館林藩主だった綱吉に従って幕臣となり、川越藩、甲府藩主となった。その後甲斐国は幕府直轄となり、柳沢家は大和郡山に移された。幕末まで続き、六義園もずっと柳沢家の屋敷だった。水戸藩の「小石川後楽園」と並び、日本を代表する大名庭園だ。明治以後は荒廃し、そこを三菱の岩崎家が買い取って修復した。東京に残る庭園は、「大名から三菱へ」という系譜が多い。国特別名勝
 
 「六義園」の名称は、「古今和歌集」の和歌の分類法によるという。それにちなんで園内にはいろいろ趣向があるが、夜行くと全然判らない。ゆっくり紅葉を見るなら昼間の方がいい。やはり夜は寒くなって、急いで通り過ぎる感じになってしまう。でも一度は訪れてもいいライトアップかなと思う。
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