トルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン(1959~、Nuri Bilge Ceylan)の新作映画「読まれなかった小説」が公開された。前作「雪の轍(わだち)」(2014)がカッパドキアの壮大な風景美を描いたのと違って、今回は冒頭から海辺の町が出てくる。アナトリア半島西北部が舞台になっているが、今回も文学的な香り高い作風だ。この映画は「父子の対立」に焦点を当てながら、長い長い対話劇を創造した。トルコ社会の状況も垣間見える興味深い作品だ。3時間超と長いけれど、退屈なシーンはなかった。
映画の中で「トロイの木馬」の復元像が何度か出てくる。これは西北部の海辺の町チャナッカレに置かれている。トロイ遺跡観光の拠点となる町だという。主人公シナンは町の大学を卒業して、そこからバスで90分ほどの内陸部の出身地に帰ってくる。就職は決まってないが、「野生の梨の木」(原題)という名の小説を書き上げ出版を望んでいる。その小説はエッセイ的でもある作品で、父との葛藤も出てくるという。町へ帰ると、早速父の借金のことで町民から苦情を言われる。
(シナンと父)
父は小学校の教員として尊敬されていたのに、競馬に入れ込んで皆の信用を失い生活も苦しい。妻や娘とも疎遠となり、田舎の老父の家で井戸掘りをしている。水が出ると信じているのに、周囲の誰もが水が出る土地ではないと言っている。ほとんど皆に相手にされない変わり者になっていて、息子のシナンも父のようにはなりたくないと思っている。この「父子の対立」というのは、多くのドラマの主題になってきたが、この映画もその系列の物語と言える。
映画はリアリズムのように見えて、幻想的というか夢というか、予知夢なのか幻覚のようなシーンがところどころに出てくる。また作家志望のシナンが有名作家スレイマン(架空の作家)に偶然書店で出会って長々と語りかけるシーン、町に戻った時にイスラム教の導師2人と宗教や人生に関して語り合うシーンなど忘れがたい「討論シーン」が出てくる。こんな映画はかつて見たことがないぐらい、抽象的セリフが飛び交う映画だ。それは決して難解ではなく映画世界に没入するようなシーンになっている。
直接的にトルコ社会を描く映画ではないが、それでも随所にトルコ情勢を知ることは出来る。例えば、大学卒業後の進路。文学青年のシナンは小説家として認められたいが、それがダメなときは教師になるか、軍隊に入るか。どっちにしても「東部」に送られるという。後で出てくるが、実は父も最初は東部で教師生活をスタートしていた。「東部」とは「クルド人地帯」のことで、テロや内戦の危険もあるし山地で条件も悪いんだろう。「新採教員」は東部からスタートするのか。父は小学校教員だが、国が一括して採用して配属するんだろうか。そしてシナンは結局軍隊に入って東部に赴任する。
(トロイの木馬象がある町で)
また故郷に帰って、幼なじみの女性に再会するシーンがある。高校時代に多くの青年が争ったという過去があるらしい。シナンは最初は気づかず、声を掛けられて判る。スカーフを被っていたからという。世俗的イスラム国家のトルコでは、公の場でスカーフを被ることは禁止されてきた。シナンの家族も(家庭内しか描かれていないが)スカーフはしていない。イスラム色が強いエルドアン政権が長くなり、次第にスカーフを被る女性が多くなっている事情を物語るのか。それは判らないが、高校時代はスカーフをしてない女性も、結婚が近づけばスカーフをするのかもしれない。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は前作「雪の轍(わだち)」(2014)でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した。さらに前の「昔々、アナトリアで」(2011)はグランプリ、「スリー・モンキーズ」(2008)は監督賞と何度もカンヌで受賞している世界的巨匠である。僕も「雪の轍」を見た時はその壮大な世界と映像美に感嘆した。今回の「読まれなかった小説」もカンヌに出品されたが、無冠に終わった。「万引き家族」「ブラック・クランズマン」「COLD WAR あの歌、2つの心」「ドッグマン」があった年で、無冠もやむを得ないだろう。セリフが多すぎて観念的で、どうも前作ほどの完成度はなく、感銘も少ないとは思う。でも巨匠の新作であり、人生への省察に満ちた作品だ。
映画の中で「トロイの木馬」の復元像が何度か出てくる。これは西北部の海辺の町チャナッカレに置かれている。トロイ遺跡観光の拠点となる町だという。主人公シナンは町の大学を卒業して、そこからバスで90分ほどの内陸部の出身地に帰ってくる。就職は決まってないが、「野生の梨の木」(原題)という名の小説を書き上げ出版を望んでいる。その小説はエッセイ的でもある作品で、父との葛藤も出てくるという。町へ帰ると、早速父の借金のことで町民から苦情を言われる。
(シナンと父)
父は小学校の教員として尊敬されていたのに、競馬に入れ込んで皆の信用を失い生活も苦しい。妻や娘とも疎遠となり、田舎の老父の家で井戸掘りをしている。水が出ると信じているのに、周囲の誰もが水が出る土地ではないと言っている。ほとんど皆に相手にされない変わり者になっていて、息子のシナンも父のようにはなりたくないと思っている。この「父子の対立」というのは、多くのドラマの主題になってきたが、この映画もその系列の物語と言える。
映画はリアリズムのように見えて、幻想的というか夢というか、予知夢なのか幻覚のようなシーンがところどころに出てくる。また作家志望のシナンが有名作家スレイマン(架空の作家)に偶然書店で出会って長々と語りかけるシーン、町に戻った時にイスラム教の導師2人と宗教や人生に関して語り合うシーンなど忘れがたい「討論シーン」が出てくる。こんな映画はかつて見たことがないぐらい、抽象的セリフが飛び交う映画だ。それは決して難解ではなく映画世界に没入するようなシーンになっている。
直接的にトルコ社会を描く映画ではないが、それでも随所にトルコ情勢を知ることは出来る。例えば、大学卒業後の進路。文学青年のシナンは小説家として認められたいが、それがダメなときは教師になるか、軍隊に入るか。どっちにしても「東部」に送られるという。後で出てくるが、実は父も最初は東部で教師生活をスタートしていた。「東部」とは「クルド人地帯」のことで、テロや内戦の危険もあるし山地で条件も悪いんだろう。「新採教員」は東部からスタートするのか。父は小学校教員だが、国が一括して採用して配属するんだろうか。そしてシナンは結局軍隊に入って東部に赴任する。
(トロイの木馬象がある町で)
また故郷に帰って、幼なじみの女性に再会するシーンがある。高校時代に多くの青年が争ったという過去があるらしい。シナンは最初は気づかず、声を掛けられて判る。スカーフを被っていたからという。世俗的イスラム国家のトルコでは、公の場でスカーフを被ることは禁止されてきた。シナンの家族も(家庭内しか描かれていないが)スカーフはしていない。イスラム色が強いエルドアン政権が長くなり、次第にスカーフを被る女性が多くなっている事情を物語るのか。それは判らないが、高校時代はスカーフをしてない女性も、結婚が近づけばスカーフをするのかもしれない。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は前作「雪の轍(わだち)」(2014)でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した。さらに前の「昔々、アナトリアで」(2011)はグランプリ、「スリー・モンキーズ」(2008)は監督賞と何度もカンヌで受賞している世界的巨匠である。僕も「雪の轍」を見た時はその壮大な世界と映像美に感嘆した。今回の「読まれなかった小説」もカンヌに出品されたが、無冠に終わった。「万引き家族」「ブラック・クランズマン」「COLD WAR あの歌、2つの心」「ドッグマン」があった年で、無冠もやむを得ないだろう。セリフが多すぎて観念的で、どうも前作ほどの完成度はなく、感銘も少ないとは思う。でも巨匠の新作であり、人生への省察に満ちた作品だ。