トニ・モリスンをやっと読み終わって、ようやく年末のミステリーに取りかかった。ミステリ-の記事もヒットしないんだけど、自分が好きで書いてる。奥田英朗の「罪の轍(わだち)」は、多くの年末ミステリーで上位になっている。まさに「オリンピック直前」の東京の変貌を背景に、格差や虐待などを織り込み、多面的に犯罪と警察を描き出した巨編だ。587ページもあるが、長さを感じずにひたすら読みふける。北海道の礼文島と東京の下町(南千住、浅草、上野など)を結ぶ構想力が素晴らしい。
東京五輪直前というのは、もちろん前回の五輪。1963年の東京はあちこちで建設工事が行われ、日々変化している。国立競技場は完成しプレ五輪が実施されている。新幹線や代々木体育館の工事はまさに進行中。警視庁でも、昔ながらの警官が多い中、大学出の警官が捜査一課に配属されるようになった時代だ。落合昌夫はそんな期待に応えるべく張り切っている。明治大学剣道部出身だということが捜査に生きてくる場面はとても印象的である。
一方、その前に冒頭では礼文島が出てくる。ニシンが突然不漁となり、かろうじて昆布で持っている。昆布漁師の見習いをしている二十歳の宇野寬治は、周りから「莫迦」(バカ)と呼ばれて下に見られている。記憶が長く持たず、何事も続かない。集団就職で札幌に勤めたものの不祥事を起こしクビになる。礼文に戻っても、母も冷たい。再び空き巣を繰り返し、やがて東京に出たいと思っている。そんな宇野寬治がどうやって島を出て、東京へ行けるのか。
ある日、荒川区の南千住で時計商が殺される事件が起きる。事件を捜査するが、真夏の昼間で証言が得にくい。子どもなら何か見ているんじゃないかと話を聞くと、林野庁の腕章をした男という証言が相次ぐ。それが北海道から抜け出た宇野寬治らしいということになり、落合たちは礼文島まで捜査に出張する。もちろん飛行機は予算上使えない。列車で青森へ、青函連絡船に乗って札幌へ。そこから稚内を目指す大変な旅行である。電話やテレビがようやく一般家庭に普及してきた時代だ。そんな世相が事細かに描かれ、時代の空気を濃密に再現している。
もう一人、山谷で簡易旅館を営む家の長女、町井ミキ子を通して、山谷の状況が出てくる。町井一家は朝鮮人だったが、ヤクザの父が警察で死亡し、以後母は大の警察嫌いとなっている。その後、日本に帰化して旅館業を続けているが、弟はヤクザの下っ端になってしまった。ミキ子は商業高校を出て、一般会社に就職をしたかったが、家庭環境からかどこも採用してくれなかった。今は家の手伝いをしながら税理士を目指して勉強している。山谷のヤクザや左翼活動家などの関わりが、この小説に単なる警察小説を越えた社会的視野を与えている。
時計商殺しの捜査が続く中、浅草の豆腐店の子どもの誘拐事件が発生する。落合たちは誘拐事件の捜査に回され、被害者宅に詰めたりする。まだ「逆探知」も出来なかった時代である。ところが、この事件でも宇野寬治が子どもたちと遊んでいたという証言が出てくる。宇野が犯人なのか。それにしても、宇野寬治はどこにいる? ミキ子は珠算教室で被害児童の姉を教えていた。一方でミキ子の弟は宇野と知り合い、仕事を見つけてやったりしたようだ。弟も事件に絡んでいるのだろうか。
事件についてはこれ以上書かないが、途中から宇野寬治の特異な生い立ちが重要な意味を持ってくる。継父から虐待されていたのだが、最近のケースでもそのような例があった。そして彼は空き巣を繰り返しても、罪の意識を全然持たず、記憶も時々飛んでしまうようになった。このような犯人像は60年代的ではなく、むしろ21世紀的だ。果たして60年代初期の警察は、彼にうまく対処できるのだろうか。
後半に出てくる「吉夫ちゃん誘拐事件」は、当時を知っている人ならすぐ判るように「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」をモデルにしている。1963年3月31日に、東京都台東区入谷の4歳児が誘拐された。日本初の「報道協定」が結ばれた事件である。身代金を持ち逃げされながら子どもの行方が判らず、警察が大きく批判された。犯人からの電話録音を公開し、警視総監がテレビで犯人に呼びかけるなど、実際の事件と小説は基本的に展開が共通する。この事件の経過は簡単に調べられるから、ここでは書かない。電話が逆探知できるようになったのも、この事件以後。非常に大きな影響をその後に与えた事件で、当時小学校低学年だった自分はよく覚えている。
僕はかつて訪れた礼文島がすごく気に入って、数年後にもう一回旅行した。風景の美しさは変わらないだろう。東京の南千住に話が飛ぶと、こっちは毎週何度も通り過ぎている。北千住にあったお化け煙突もチラッと出てくる。山谷や浅草の内情はさすがによく判らないけど、東京東部の事件なので何となく土地勘がある。ミキ子が出た商業高校はどこかな、台東商業の可能性が一番高いかななんて考えながら、ずっと読みふけった。前回五輪の頃は、東京はまだこのレベルだったのか実感出来る。
東京五輪直前というのは、もちろん前回の五輪。1963年の東京はあちこちで建設工事が行われ、日々変化している。国立競技場は完成しプレ五輪が実施されている。新幹線や代々木体育館の工事はまさに進行中。警視庁でも、昔ながらの警官が多い中、大学出の警官が捜査一課に配属されるようになった時代だ。落合昌夫はそんな期待に応えるべく張り切っている。明治大学剣道部出身だということが捜査に生きてくる場面はとても印象的である。
一方、その前に冒頭では礼文島が出てくる。ニシンが突然不漁となり、かろうじて昆布で持っている。昆布漁師の見習いをしている二十歳の宇野寬治は、周りから「莫迦」(バカ)と呼ばれて下に見られている。記憶が長く持たず、何事も続かない。集団就職で札幌に勤めたものの不祥事を起こしクビになる。礼文に戻っても、母も冷たい。再び空き巣を繰り返し、やがて東京に出たいと思っている。そんな宇野寬治がどうやって島を出て、東京へ行けるのか。
ある日、荒川区の南千住で時計商が殺される事件が起きる。事件を捜査するが、真夏の昼間で証言が得にくい。子どもなら何か見ているんじゃないかと話を聞くと、林野庁の腕章をした男という証言が相次ぐ。それが北海道から抜け出た宇野寬治らしいということになり、落合たちは礼文島まで捜査に出張する。もちろん飛行機は予算上使えない。列車で青森へ、青函連絡船に乗って札幌へ。そこから稚内を目指す大変な旅行である。電話やテレビがようやく一般家庭に普及してきた時代だ。そんな世相が事細かに描かれ、時代の空気を濃密に再現している。
もう一人、山谷で簡易旅館を営む家の長女、町井ミキ子を通して、山谷の状況が出てくる。町井一家は朝鮮人だったが、ヤクザの父が警察で死亡し、以後母は大の警察嫌いとなっている。その後、日本に帰化して旅館業を続けているが、弟はヤクザの下っ端になってしまった。ミキ子は商業高校を出て、一般会社に就職をしたかったが、家庭環境からかどこも採用してくれなかった。今は家の手伝いをしながら税理士を目指して勉強している。山谷のヤクザや左翼活動家などの関わりが、この小説に単なる警察小説を越えた社会的視野を与えている。
時計商殺しの捜査が続く中、浅草の豆腐店の子どもの誘拐事件が発生する。落合たちは誘拐事件の捜査に回され、被害者宅に詰めたりする。まだ「逆探知」も出来なかった時代である。ところが、この事件でも宇野寬治が子どもたちと遊んでいたという証言が出てくる。宇野が犯人なのか。それにしても、宇野寬治はどこにいる? ミキ子は珠算教室で被害児童の姉を教えていた。一方でミキ子の弟は宇野と知り合い、仕事を見つけてやったりしたようだ。弟も事件に絡んでいるのだろうか。
事件についてはこれ以上書かないが、途中から宇野寬治の特異な生い立ちが重要な意味を持ってくる。継父から虐待されていたのだが、最近のケースでもそのような例があった。そして彼は空き巣を繰り返しても、罪の意識を全然持たず、記憶も時々飛んでしまうようになった。このような犯人像は60年代的ではなく、むしろ21世紀的だ。果たして60年代初期の警察は、彼にうまく対処できるのだろうか。
後半に出てくる「吉夫ちゃん誘拐事件」は、当時を知っている人ならすぐ判るように「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」をモデルにしている。1963年3月31日に、東京都台東区入谷の4歳児が誘拐された。日本初の「報道協定」が結ばれた事件である。身代金を持ち逃げされながら子どもの行方が判らず、警察が大きく批判された。犯人からの電話録音を公開し、警視総監がテレビで犯人に呼びかけるなど、実際の事件と小説は基本的に展開が共通する。この事件の経過は簡単に調べられるから、ここでは書かない。電話が逆探知できるようになったのも、この事件以後。非常に大きな影響をその後に与えた事件で、当時小学校低学年だった自分はよく覚えている。
僕はかつて訪れた礼文島がすごく気に入って、数年後にもう一回旅行した。風景の美しさは変わらないだろう。東京の南千住に話が飛ぶと、こっちは毎週何度も通り過ぎている。北千住にあったお化け煙突もチラッと出てくる。山谷や浅草の内情はさすがによく判らないけど、東京東部の事件なので何となく土地勘がある。ミキ子が出た商業高校はどこかな、台東商業の可能性が一番高いかななんて考えながら、ずっと読みふけった。前回五輪の頃は、東京はまだこのレベルだったのか実感出来る。