アフガニスタンで中村哲さんが殺された。「悲しみに堪えない」とか「惜しみても余りある」とか「憤りを禁じ得ない」とか慣用句が頭の中を駆けめぐるけれど、当初は言葉が見つからない感じだった。

襲撃事件が伝えられた12月4日は、最近多忙だったので見ていなかった新作映画に行っていた。まずは岩波ホールで「少女は夜明けに夢をみる」(上映終了)で、これはイランの少女更生施設に収容されている少女たちを見つめたドキュメント映画である。上映終了後にスマホを見たら、中村氏ケガと出ていた。僕はそれが一種の事故だと思った。そこから今度は渋谷へ行ってヒューマントラストシネマ渋谷で「テルアビブ・オン・ファイア」という映画を見た。これはパレスチナを舞台にイスラエルとの厳しい対立を背景にしたコメディである。映画を見終わってまたニュースを見たら、中村氏死亡と出ていた。
なんで自分のことを書いたかというと、2本目の映画はうまく時間が合ったから行ったわけだが、この2本を見ようと思ったときから、僕は「今日はイスラム世界に触れる日」だなと思っていたのである。映画を見ていて、イランとパレスチナでは状況が違うが厳しい状況を生き抜くことは共通だと思った。それは世界共通かもしれないが、どちらの映画を見ても宗教色は感じない。世界のどこでも、家庭、仕事、恋愛などに悩みがある。イラン映画は更生施設だから、「薬物中毒」のケースが多く、イスラム体制下で薬物が流通してい事情には驚いたが。
ここ何年も「イスラム過激派の無差別テロ」があちこちで起こった。日本人の犠牲者も多く出た。しかし、今回は無差別テロではない。明確な目標を持った襲撃事件だ。イランやパレスチナでも「暴力」は多いけれど、それは映画にも反映されているが、このような「武装勢力」が外国人を敵視して襲撃するということはあるだろうか。アフガニスタンでは何故それが起きるのか。事件が起きたジャララバードはパキスタンとの国境の町である。カイバル峠を隔てて、パキスタンのペシャワールと向き合う。
中村氏の団体名は「ペシャワール会」である。元々はパキスタンで活動していた。僕は多分、1980年代にはペシャワール会のことを聞いていたと思う。何故なら、中村氏の当初の活動内容は、ハンセン病患者救援だったからだ。1980年にハンセン病との関わりが出来、日本の療養所や韓国の定着村に行くようになった。その後も関心が続き、どこかで聞いたのだと思う。福岡の会だから、僕は直接支援したり話を聞いたことはない。直接間接につながりがあるところだけでも多かったから、そんなにどこでも関わることは出来ない。やがてパキスタンで活動が難しくなり、アフガニスタンでの灌漑施設など水環境の整備などを中心とするようになった。
パキスタン情勢はアフガニスタンと密接に関わっている。「タリバン」勢力も元々パキスタン側の支援で勢力を伸ばしたとされる。このつながりは僕にはよく判らない。しかしジャララバードで明確な殺意を持って殺されるというのは、両国のイスラム勢力の関わりを示唆している。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのような少女でも襲撃する勢力がパキスタンには存在する。外国援助団体を何故敵視するのか。「見て欲しくないもの」があるわけだろう。
(中村氏を悼むアフガニスタンの人々)
中村さんは「9・11」以後の米軍を厳しく批判し、日本でも自衛隊の海外派遣に批判的だった。中村氏の発言はいろいろあるが、それはことごとく納得できるものばかり。日本だけでなく、「先進国」の人が「発展途上国」でどのように活動するべきか、「金言」の数々が残されている。どう受け継いでいくべきか。僕には正直言って、もうよく判らない。
中村哲氏の母は作家火野葦平の妹にあたる。もう忘れられているかもしれないが、戦前に「土と兵隊」などが評判になり、戦後も「花と龍」などで有名になった。祖父玉井金五郎は北九州市若松の沖仲仕「玉井組」をやっていた。一種の「侠客」である。そのような「侠気」が中村哲のベースにあると感じてきた。言葉を換えれば「義を見てせざるは勇なきなり」となる。そのような精神は、必ず誰かが継いでいくものだと思う。

襲撃事件が伝えられた12月4日は、最近多忙だったので見ていなかった新作映画に行っていた。まずは岩波ホールで「少女は夜明けに夢をみる」(上映終了)で、これはイランの少女更生施設に収容されている少女たちを見つめたドキュメント映画である。上映終了後にスマホを見たら、中村氏ケガと出ていた。僕はそれが一種の事故だと思った。そこから今度は渋谷へ行ってヒューマントラストシネマ渋谷で「テルアビブ・オン・ファイア」という映画を見た。これはパレスチナを舞台にイスラエルとの厳しい対立を背景にしたコメディである。映画を見終わってまたニュースを見たら、中村氏死亡と出ていた。
なんで自分のことを書いたかというと、2本目の映画はうまく時間が合ったから行ったわけだが、この2本を見ようと思ったときから、僕は「今日はイスラム世界に触れる日」だなと思っていたのである。映画を見ていて、イランとパレスチナでは状況が違うが厳しい状況を生き抜くことは共通だと思った。それは世界共通かもしれないが、どちらの映画を見ても宗教色は感じない。世界のどこでも、家庭、仕事、恋愛などに悩みがある。イラン映画は更生施設だから、「薬物中毒」のケースが多く、イスラム体制下で薬物が流通してい事情には驚いたが。
ここ何年も「イスラム過激派の無差別テロ」があちこちで起こった。日本人の犠牲者も多く出た。しかし、今回は無差別テロではない。明確な目標を持った襲撃事件だ。イランやパレスチナでも「暴力」は多いけれど、それは映画にも反映されているが、このような「武装勢力」が外国人を敵視して襲撃するということはあるだろうか。アフガニスタンでは何故それが起きるのか。事件が起きたジャララバードはパキスタンとの国境の町である。カイバル峠を隔てて、パキスタンのペシャワールと向き合う。
中村氏の団体名は「ペシャワール会」である。元々はパキスタンで活動していた。僕は多分、1980年代にはペシャワール会のことを聞いていたと思う。何故なら、中村氏の当初の活動内容は、ハンセン病患者救援だったからだ。1980年にハンセン病との関わりが出来、日本の療養所や韓国の定着村に行くようになった。その後も関心が続き、どこかで聞いたのだと思う。福岡の会だから、僕は直接支援したり話を聞いたことはない。直接間接につながりがあるところだけでも多かったから、そんなにどこでも関わることは出来ない。やがてパキスタンで活動が難しくなり、アフガニスタンでの灌漑施設など水環境の整備などを中心とするようになった。
パキスタン情勢はアフガニスタンと密接に関わっている。「タリバン」勢力も元々パキスタン側の支援で勢力を伸ばしたとされる。このつながりは僕にはよく判らない。しかしジャララバードで明確な殺意を持って殺されるというのは、両国のイスラム勢力の関わりを示唆している。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのような少女でも襲撃する勢力がパキスタンには存在する。外国援助団体を何故敵視するのか。「見て欲しくないもの」があるわけだろう。

中村さんは「9・11」以後の米軍を厳しく批判し、日本でも自衛隊の海外派遣に批判的だった。中村氏の発言はいろいろあるが、それはことごとく納得できるものばかり。日本だけでなく、「先進国」の人が「発展途上国」でどのように活動するべきか、「金言」の数々が残されている。どう受け継いでいくべきか。僕には正直言って、もうよく判らない。
中村哲氏の母は作家火野葦平の妹にあたる。もう忘れられているかもしれないが、戦前に「土と兵隊」などが評判になり、戦後も「花と龍」などで有名になった。祖父玉井金五郎は北九州市若松の沖仲仕「玉井組」をやっていた。一種の「侠客」である。そのような「侠気」が中村哲のベースにあると感じてきた。言葉を換えれば「義を見てせざるは勇なきなり」となる。そのような精神は、必ず誰かが継いでいくものだと思う。