1993年にノーベル文学賞を受けたアメリカの黒人女性作家トニ・モリスンを一月一冊のペースで読んできた。ノーベル賞作家というのは、かなり手強い作家が多い。それにしてもトニ・モリスンがこんなに読みにくいとは思わなかった。ハヤカワ文庫epiに入っているものを買ってあったので、文庫になるぐらいだからある程度読者もいるんだと思うが。読み始めた以上、途中で止めたくないから、ガマンして何とか読み切った。だからオススメしないが、どうして僕に判りにくいのかを考えてみたい。
今までに書いた記事は以下の通り。
「青い眼が欲しい」と「スーラ」ートニ・モリスンを読む①(2019.9.3)
「ソロモンの歌」ートニ・モリスンを読む②(2019.9.23)
「ビラヴド」ートニ・モリスンを読む③(2019.10.25)
順番に読んできて、本来なら11月に「ジャズ」(Jazz、1992)を書くはずが、あまりにも判らないので止めることにした。この小説には後で触れたい。続いて最後の6冊目が「パラダイス」(Paradise、1997)である。これはノーベル賞受賞後の初の小説で、文庫本で解説を入れて600ページもある大長編である。21世紀になって、「ラヴ」(2003)、「マーシイ」(2008)、「ホーム」(2012)、「神よ、あの子を守りたまえ」(2015)という小説があって翻訳も出ているが、文庫化されてないので敬遠することにする。読みたければ、図書館で探せば大体見つけられるんじゃないかと思う。

「パラダイス」は長い割には、文章が読みやすく判りやすい方だ。しかし、登場人物が多すぎて途中で困り果てる。「ビラヴド」や「ジャズ」と同じく、トニ・モリスンはアメリカ黒人史の中から珍しいエピソードを見つけ出し想像力の翼を広げる。それはつまり、アメリカ黒人史のメインストリートの物語ではなく、どちらかと言えば「マイノリティの物語」である。アメリカ社会全体では黒人はマイノリティなわけだが、その黒人社会の中のマイノリティである。それは「肌の黒色が薄い」ことで「より黒い黒人」に差別されたり、貧しい黒人が多い中で、「裕福な黒人」というケースである。
黒人の解放奴隷がまとまって居住できる場所を求めた。オクラホマ州を目指し、自由に住めるはずが受け入れられない。そんな黒人たちが自分たちだけでルビーという町を作った。固い絆で結ばれ、経済的にも裕福になるが、やがて「創業」一族が支配する保守的な町となる。アメリカである以上、男たちは第二次世界大戦やヴェトナム戦争に徴兵されることを避けられない。ルビーではありえない人種差別にさらされ、外部世界を知った若者たちは町を去る者、ルビー以外の人と結婚する者も出てくる。町を覆う不安や怒りがやがて、町外れに住む「修道院」に住む女たちへの怒りとなり爆発する。
100年以上の物語、100人以上の人物が錯綜する小説で、すごいけれど外国人には判りにくい。町に住む保守的な長老黒人の不安や怒りもよく判らない。若者たちが公民権運動に共感するのに対し、長老たちが批判的なのも判らない。黒人なら誰もが共感するのかと思うと、町の秩序を破壊する恐れを感じるのである。そんな世界の崩壊、そして再生はあり得るのか。この壮大な現代の神話は読み応えがある。ナチスドイツに迫害されたユダヤ人が建国したイスラエルが、今度はアラブ人を抑圧する国家となる。そんなような構図だと思う。実際にそのような黒人だけの町が作られていたらしい。

「ジャズ」は1920年代の「ジャズエイジ」を舞台に、まさにジャズのような、音楽的、詩的な文体である犯罪を描いた作品。ページ的には短いが、大変読みにくい。男が愛人である若い女を撃ち殺し、男の妻は激しく怒って棺の中の女の顔を切りつける。しかし、妻は次第に死んだ愛人のことを知りたいと思い始める。「饒舌な謎の語り手」(と裏表紙に出ている)も全然判らないし、視点が変わりすぎる。それもあるが、別れを切り出されたわけでもないのに、男が女を殺すのも理解不能。妻が次第に愛人を知りたいと思うようになる…というのも全然判らない。読んでいて展開が理解出来ないのである。
そんなトニ・モリスンの大長編がアメリカではベストセラーになる。それは何故だろうか。僕には完全な答えはないけれど、一つは文体の問題もあるだろう。翻訳は読みやすいけど、原文の詩的、神話的な喚起力が完全には翻訳不能だと訳者も書いている。また「黒人史」の特殊性もあるだろう。僕は今までできるだけ「アフリカ系アメリカ人」と書くようにしてきたが、今回は「黒人」と書いている。肌の色で区分される「人種」という概念そのものに問題はある。それは理解出来るが、では一挙に大陸の名前なのか。日本と中国と韓国とインドとヴェトナムと…アメリカには多くの「アジア系」がいるが、複雑な歴史はアジア系とひとくくりにはできないだろう。
それが「アメリカ黒人」の場合は、奴隷と解放という過酷な歴史の中で、元々は「母国」であるアフリカとのつながりを完全に絶たれた。だから「アフリカ系」とひとくくりにするしかない。完全に独自な存在として、新たな「アメリカ黒人」という民族とでも考える方が近い。残酷な奴隷制度の中で、人々は自分がどういう運命をたどるか、自分で決められない。だから、あらゆる黒人の運命が自分の運命と感じられるだろう。トニ・モリスン文学で、実に多くの「アメリカ黒人」の性差、年齢差を越えた運命が語られる。読者はそれを「もう一人の自分の運命」と感じる。そこに特徴があるのかなと思った。
今までに書いた記事は以下の通り。
「青い眼が欲しい」と「スーラ」ートニ・モリスンを読む①(2019.9.3)
「ソロモンの歌」ートニ・モリスンを読む②(2019.9.23)
「ビラヴド」ートニ・モリスンを読む③(2019.10.25)
順番に読んできて、本来なら11月に「ジャズ」(Jazz、1992)を書くはずが、あまりにも判らないので止めることにした。この小説には後で触れたい。続いて最後の6冊目が「パラダイス」(Paradise、1997)である。これはノーベル賞受賞後の初の小説で、文庫本で解説を入れて600ページもある大長編である。21世紀になって、「ラヴ」(2003)、「マーシイ」(2008)、「ホーム」(2012)、「神よ、あの子を守りたまえ」(2015)という小説があって翻訳も出ているが、文庫化されてないので敬遠することにする。読みたければ、図書館で探せば大体見つけられるんじゃないかと思う。

「パラダイス」は長い割には、文章が読みやすく判りやすい方だ。しかし、登場人物が多すぎて途中で困り果てる。「ビラヴド」や「ジャズ」と同じく、トニ・モリスンはアメリカ黒人史の中から珍しいエピソードを見つけ出し想像力の翼を広げる。それはつまり、アメリカ黒人史のメインストリートの物語ではなく、どちらかと言えば「マイノリティの物語」である。アメリカ社会全体では黒人はマイノリティなわけだが、その黒人社会の中のマイノリティである。それは「肌の黒色が薄い」ことで「より黒い黒人」に差別されたり、貧しい黒人が多い中で、「裕福な黒人」というケースである。
黒人の解放奴隷がまとまって居住できる場所を求めた。オクラホマ州を目指し、自由に住めるはずが受け入れられない。そんな黒人たちが自分たちだけでルビーという町を作った。固い絆で結ばれ、経済的にも裕福になるが、やがて「創業」一族が支配する保守的な町となる。アメリカである以上、男たちは第二次世界大戦やヴェトナム戦争に徴兵されることを避けられない。ルビーではありえない人種差別にさらされ、外部世界を知った若者たちは町を去る者、ルビー以外の人と結婚する者も出てくる。町を覆う不安や怒りがやがて、町外れに住む「修道院」に住む女たちへの怒りとなり爆発する。
100年以上の物語、100人以上の人物が錯綜する小説で、すごいけれど外国人には判りにくい。町に住む保守的な長老黒人の不安や怒りもよく判らない。若者たちが公民権運動に共感するのに対し、長老たちが批判的なのも判らない。黒人なら誰もが共感するのかと思うと、町の秩序を破壊する恐れを感じるのである。そんな世界の崩壊、そして再生はあり得るのか。この壮大な現代の神話は読み応えがある。ナチスドイツに迫害されたユダヤ人が建国したイスラエルが、今度はアラブ人を抑圧する国家となる。そんなような構図だと思う。実際にそのような黒人だけの町が作られていたらしい。

「ジャズ」は1920年代の「ジャズエイジ」を舞台に、まさにジャズのような、音楽的、詩的な文体である犯罪を描いた作品。ページ的には短いが、大変読みにくい。男が愛人である若い女を撃ち殺し、男の妻は激しく怒って棺の中の女の顔を切りつける。しかし、妻は次第に死んだ愛人のことを知りたいと思い始める。「饒舌な謎の語り手」(と裏表紙に出ている)も全然判らないし、視点が変わりすぎる。それもあるが、別れを切り出されたわけでもないのに、男が女を殺すのも理解不能。妻が次第に愛人を知りたいと思うようになる…というのも全然判らない。読んでいて展開が理解出来ないのである。
そんなトニ・モリスンの大長編がアメリカではベストセラーになる。それは何故だろうか。僕には完全な答えはないけれど、一つは文体の問題もあるだろう。翻訳は読みやすいけど、原文の詩的、神話的な喚起力が完全には翻訳不能だと訳者も書いている。また「黒人史」の特殊性もあるだろう。僕は今までできるだけ「アフリカ系アメリカ人」と書くようにしてきたが、今回は「黒人」と書いている。肌の色で区分される「人種」という概念そのものに問題はある。それは理解出来るが、では一挙に大陸の名前なのか。日本と中国と韓国とインドとヴェトナムと…アメリカには多くの「アジア系」がいるが、複雑な歴史はアジア系とひとくくりにはできないだろう。
それが「アメリカ黒人」の場合は、奴隷と解放という過酷な歴史の中で、元々は「母国」であるアフリカとのつながりを完全に絶たれた。だから「アフリカ系」とひとくくりにするしかない。完全に独自な存在として、新たな「アメリカ黒人」という民族とでも考える方が近い。残酷な奴隷制度の中で、人々は自分がどういう運命をたどるか、自分で決められない。だから、あらゆる黒人の運命が自分の運命と感じられるだろう。トニ・モリスン文学で、実に多くの「アメリカ黒人」の性差、年齢差を越えた運命が語られる。読者はそれを「もう一人の自分の運命」と感じる。そこに特徴があるのかなと思った。