尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

どのような改善を望むのかー教員労働問題②

2019年12月04日 23時30分19秒 |  〃 (教育行政)
 教員に「変形労働時間制」を可能にする(地方議会での条例改正を可能にする)「給特法改正案」は12月4日の参議院本会議で採決され、賛成多数で可決された。9日まで会期があっても、最後の月曜はやらないことが多い。だから金曜(6日)には本会議があるだろうと思っていたが、日米貿易協定もあるし「桜を見る会」問題で野党側が内閣不信任案を出すと想定していた。まあ出しても一蹴されるだけだが、それでも日米貿易協定(の成立)前にやらないと意味ないだろうが。

 成立はしたけれど、今後の「職場の闘い」(あり得るかどうかは判らないが)に向け、問題を整理しておく必要がある。この法案を厳しく批判する人も多いが、「残業エンドレス」とか「これでは教員の生活が破壊される」とまで言うのはどうだろうか。現状がひどい状況になっている本質に目を向けず、ちょっと対処するだけというアイディアだが、それでも夏休みであれ振り替えできるならその分休めるには違いない。学校の働き方は地域、校種等で大きく違いがあり、まずは細かい調査が先に必要だ。

 上の写真は10月28日に、反対署名を提出した岐阜県公立高校教員、西村祐二さんと過労死した中学教員の妻工藤祥子さんである。最近は教育問題で大きな法改正があっても、教員組合の動きが見えない。それどころか、保守的な立場に立つ全日本教職員連盟(組織率2%程度)などは、参議院の参考人質疑で賛成意見を述べている。11月29日付東京新聞記事によれば、反対意見は上記署名を提出した西村さんと連合の相原康伸事務局長。賛成意見は全日教蓮の郡司隆文委員長と日本PTA全国協議会の東川勝哉顧問。連合として反対しているが、日教組全教からは出ていない。

 そもそも、教員は何を望んでいるのか。それはどのようにすれば可能なのか。
①残業そのものをなくす 
②残業(超過勤務)には残業代を支払う 
③残業には「勤務時間の振り替え」(代休)をする。
 3つの方向性があり得るが、それぞれ勤務内容によって変わってくる。教員の残業そのものを完全になくすことは出来ない。一般論で言えば、どんな職業であれ一切の残業なしには出来ないだろう。教員に関しては、給特法で認められている「宿泊行事の引率」などは勤務期間を超過せざるを得ない。その場合は「一ヶ月以内に勤務時間を振り替える」措置を取っている。それが全国的な措置なのか知らないけれど、そして実際には「一ヶ月以内の振り替え」は不可能なんだけど書類上は振り替える。

 そのことを考えれば、「超過勤務は夏休みに振り替えればいいでしょう」はおかしいことになる。超勤分の疲労回復なんだから、あまり後ではおかしいわけだ。もっとも東京都には土日に4時間以上の部活動を行った場合、4ヶ月以内に振り替えられる(または部活動手当を受けるのと選択できる)という仕組みがあった。(過去形で書いたのは、その後の変更の有無を知らないから。)部活なら後でもいいのかと言えるが、これは「部活動の位置づけ」と絡むので、なかなか難しい。

 職場内でも「部活をやりたい教員」はかなり多い。一方主に生活上の理由で「部活に負担感を持つ教員」も同様に多いと思う。この問題は以前書いたけれど、部活を今のまま続けることはやがて不可能になると思う。部活がある限り、教員の残業問題は解決しない。社会の側でも「部活は教員のボランティア」という意識では、やがて学校も生徒も共倒れになる。負担するべき経済的支援はきちんと負担するべきだ。具体的には、「部活動は社会教育に移管していく」「部活指導員が担当する」「当面の間、希望する教員は無条件で部活指導員に兼任できる」「教員も含め、部活指導員には活動実績に応じた給与を支払う」という方向である。

 部活動を含めて、教員の残業は小学校で月当たり60時間、中学校では80時間だという調査結果が出ている。給特法による調整額4%は「8時間」に当たる。教職調整額は総額で1386億円だという。法制定当時の考え方を生かして、現在の残業時間で計算すると、国負担で3千億円、区と地方を合わせて約9千億円になるという。(以上は衆議院での川内博史議員の質問に対する文科省の答弁による。朝日新聞11月16日。)そういう意味では、およそ「一兆円の搾取」が行われていることになる。

 こういう答弁を見ても、「給特法」の再検討は避けられないだろう。だが「給特法」そのものを「悪法」視するのはおかしい。今になって、「給特法」以前は残業代があったなどと論じる人さえいる。もちろん、現実は「4%であれ、残業代が出るようになった」のである。50年代、60年代には「デモシカ先生」などと呼ばれ、「先生でもするか」「先生しかなれない」などと経済的には恵まれない職業だった。その待遇の悪さが、組合の高組織率の要因でもあった。だから「給特法」は間違いなく「日教組対策」でもあったわけで、現実に70年代から教員組合の組織率が低下していく。

 しかし今すぐに「給特法」を廃止して残業代を正式に支払うことは財政的にも不可能だ。それに学校現場には「残業が出来ない教員」が相当に存在する。「育児」「介護」などの事情の他、「体調不良」(休職明けを含む)や「長時間通勤」(2時間近い人もいる)などの教員がかなり多い。そのような教員も「4%加算」を受けているわけであるから、給特法を廃止すれば「職場の中で弱い立場の教員」が大幅な給与ダウンになってしまう。そういう教員でも加算があっていいのかと思うかもしれない。いいのである。今は残業できない教員でも、違う時期には大幅な超過勤務をこなしているからだ。

 今では教職調整額は一種の「教職手当」となっている。事務系職員には出ないから、不平等だという人もいるが、どんな教員でも授業をして生徒と向き合っている。僕は長年教員をして思ったのだが、この「生徒と向き合う」ことが一番大変なのである。どんな教員でも「4%加算」があるということが、職場の同僚としての共同性を支えていると思う。だから一緒にきちんと仕事して欲しいと思う根拠でもあり、それぞれの教員が「自分は教員なんだから責任があるんだ」と思う根拠にもなる。

 また今「残業代を支払う」という制度に変わったとしたら、「残業」の承認が厳しくなるはずだ。今は管理職の命令(承認)なしに残っているわけだから、残業理由を届け出る必要も無い。それが残業代を管理職が厳しく管理することになれば、当然残業理由が厳しく問われるし、教員個々に情報公開を見据えたきちんとした届けがいる。自分の経験でも、「職人的こだわり」とでも言うような「完全にしたい欲求」による居残りがある。それに結構ダラダラ残っている人もいないとは言えない。僕はある程度「超過勤務はナアナアにしておく利便性」もあるように思う。

 こうなると、方向性が見えてこなくなるが、最後に言えることは「教員配置基準の緩和」が必要だということだ。少子化に伴い授業時数も減って行く。このままではどんどん減ってしまう。新採教員もいなくなって、年齢バランスが崩れる。それに小学校の新指導要領、小中の「道徳教科化」、小学校の「英語教科化」、あるいは「アクティブラーニング」の推進など、実質的に授業が増えている。授業でやることを大きく変えるには、授業時間数の軽減なくしては不可能だ。長くなってしまい、結論もなかなか出る問題ではないけれど、もう少し続けることにする。
コメント
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